第六話・二人の少女
「私の弟は、この前事故で亡くなったの」
殊音はゆっくり言葉を出した。ラレルは何と言えばいいかわからなかった。
「それじゃあこの服は形見の」
今まで来てた服が、突然重さを持ったように感じた。
「だから、その、これを着てて欲しいなって思って……。タンスにしまっているより、あの子が近くにいる気がするから。迷惑かな?」
「ううん」
そういうものだろうか。ラレルにはまだ、理解するのが難しい感情だった。
「じゃあこれを毎日着るよ」
「嬉しいけど、臭くなったりするのは嫌……」
鳴と舞はテーブルに着いたままである。
「あの二人、大丈夫かな?」
鳴が言った。初日からいきなりケンカになってしまうようなことは避けたい。
「でも、仲良さそうに見えたよ」
舞が答えた。
「そうだね、殊音は誰とでも仲良くしちゃうし」
「誰とでも、じゃないと思う」
「うーん」
鳴は、少し余所見をしながら殊音のことを思い返した。
鳴が殊音と知り合ったのは一ヶ月前。殊音はある日突然ここ、「あおぞら」にやってきたのだ。鳴は彼女を歓迎したが、通うつもりなら保護者に話をするように伝えた。殊音は保護者などいないと答えた。
それは、どういうことかと聞いたが、殊音は答えなかった。両親はいないが、児童養護施設で暮らしているわけではないらしい。親類の家などに預けられているのだろう。
保護者の承諾なしに子供を預かるわけにはいかない。けれど結局、殊音は「あおぞら」に所属することとなった。それは、殊音が「ある人」に話してくれと言ったことによる。
ある人とは、鳴の友人で、「あおぞら」のオーナーの妹であり、殊音の恩師だった。彼女も教育者としての仕事をしていて、鳴の良き相談相手である。
そういうわけで次の日、鳴は彼女に電話した。
「立川殊音……? ツインテールの?」
彼女はとても驚いているようであった。
「そうだよ。あんたの教え子なんでしょ?」
「うん。なんだか名前聞いただけで懐かしいな」
「それで、保護者の方にお話を聞いて貰って、っていったらあんたの名前が出てきたんだど、どういうこと?」
「そりゃ、私からもお願いしてってことでしょ」
「あんたからお願いされたって……」
「殊音ちゃんの保護者の方には住所を調べて、私から話しておくよ。だから殊音ちゃんを預かってあげて。なんかワケがあるんだよ」
「ワケがあるって、相手は子供よ?」
「私がなんとかするから! 兄さんにも言っとくね。」
「あおぞら」の運営と直接関わりのない彼女にいかせてもいいのだろうか、とも鳴は思ったが、半ば強引にそういうことにさせられてしまった。どうも、彼女は殊音のことを自分にあまり知られたくないと思っている、と鳴は考えた。鳴は結局下っ端のスタッフで、雇われ管理人だからオーナーには逆らえない。
「殊音ちゃんってどんな子なの?」
「うーん、明るくて良い子だよ。すごく」
「元気いっぱいな感じ?」
「そういうんじゃなくてー、お姉さんっぽいのかな?」
「うちの子たちと仲良くできる?」
「それはたぶん大丈夫だと思う。誰とでも仲良くできる子だよ」
確かに殊音はめんどう見が良く、周りの子たちをいつも助けていた。雑用もよくこなした。ただ、人をバカにしたり、いじめたりする子に対しては冷たかった。
フリースクールは不登校児が通う場所なので、地味な子供ばかりでなく、不良タイプの子供が来ることも多い。
「あおぞら」にもそういった子たちが来ていた。
そういった子たちは他のあまり自己主張をしない子たちをからかったり、バカにしたりする。殊音は彼女達に対して毒を吐き続けた。そして殴り合いの喧嘩になると、必ず殊音が相手を一方的に張り倒してしまう。鳴が注意をしても、殊音は態度を改めることはなかった。正義感が強いというより、単純にそういう人間を憎んでいるようであった。
現在では運営が不安定なこともあってそういう子達はほとんどやめてしまったが。
鳴はふと回想をやめた。インターホンの音が聞こえたからだ。
「誰だろ?」
舞は答えなかった。彼女にわかるはずないもの。
「今日は来客の多い日だね」
そう言いながら鳴は玄関に向かい、ドアを開けた。遊んでいそうな、一人の女の子と二人の男の子が現れた。
「こんばんわ。何かご用かな?」
鳴は優しく話しかけた。
「金髪でツインテールの女はここにいる?」
「いるけど、お友達?」
「ちょっと呼んでくれない?」
女の子は鳴と話す気はないらしい。
「うーん、その子はねえー」
どうも、普通の子たちではない。目つきがギラギラしていて女の子のはだけた胸と大きな男子の首にはタトゥーが見えた。
殊音はたまに不良に目をつけられることがあった。今回も、安易に殊音を出したら何があるかわからない。鳴が対応に困っていると、殊音が中から出てきた。
「もしかして、私に用?」
殊音は鳴の横をすっと通り抜け、玄関口に出た。
「そ、そうだ! こいつだぜ!」
小さい方の男の子がいった。
「お、けっこう可愛いじゃん」
大きい男はニヤニヤしている。だが、女の子の方は様子が違った。さっきまでの勢いは失せ、目を伏せたり、横を向いたりして目を合わせないようにしている。心なしか足先もやや横を向いて、その場から逃げたがっているようにも思える。
「さっきラレルをリンチしてた人だね! 仲間連れてきて復讐でもする気か?」
「てめえのせいで佐藤が入院しちまったんだよ! 耳を揃えて入院費1500万払え!」
「1500万!? そんなに高いわけないでしょ」
「慰謝料と手数料があるのだ!」
殊音と男の子が喧嘩腰になって怒鳴り始めた。
すると、ラレルくんがこの子達にいじめられているところを殊音が助けたということか。鳴はその様子を想像していた。
「まあ待てよ」
大きい男が二人を制止した。
「金ねえなら俺とデートしてくれよ。そうすりゃ2000万ぐらいチャラにしてやる」
そう言いながら、彼は殊音の腕を引っ張った。殊音は黙りながらも抵抗する。
「待って下さいよ。それじゃあマイナス500万で俺達が金払うことになっちゃうじゃないですか」
小さい男子は焦っている。
「はあ? 頭悪いなお前」
そういいながら彼はさらに殊音の腕を引っ張った。この状況で、こんな時間にまともなデートなどするはずがない。鳴はそろそろ止めようと声を出しかけた。しかし、女の子の方が先にしゃべった。
「やめろ」
「は?」
二人は聞き返す。
「もう帰ろう」
そういって女の子は背を向けて歩き出した。
「おい、わびいれさせなくていいのか?」
「いいの」
小さい男の子は困惑しながらも、女の子についていった。しかしもう一人はその場に残ってまた笑っている。
「そうか、こいつが……」
「ダイキも早く来な」
「お前達だけでいってろ。俺はちょっと話がある」
女の子は少しの間止まっていた。そして、
「余計なこと言わないでよね」
といって二人は姿を消した。
「話って何?」
殊音が聞いた。鳴はその様子を黙って見ている。
「ここに、井締ラレルって奴はいるか?」
殊音が玄関に出てからしばらくして、殊音の部屋に恐そうな少年が通された。コンビニの前で、恵理香とバイクに乗っていた中学生だ。
「ラレル、この人があんたに会いたいって」
ラレルは黙っていた。なんでこんな人を連れてくるんだろう。何をするかわからないじゃないか。そう思っている間、その少年は目を見開いてラレルを眺めていた。そして口を開いた。
「すっげえ不細工だな!」
やっぱり酷いことを言われた。殊音も怒ったような顔をしている。
「いやいや、さすがだぜ井締。顔も名前負けしてねえ!」
「くだらない用事なら帰って欲しい」
殊音がイライラしながら言った。
「俺は井締と友達になりにきたんだ。俺も昔はいじめられっ子だったからな! いや、今もか」
殊音は意外に思ったようだが、ラレルはそうでもなかった。ラレルはこの少年のことを学校の噂で聞いたことがある。
恵理香をいつもバイクに乗っけている中学生は高橋大樹という。不良グループの一員だが、身体は大きいくせに気が弱く、いつもパシリにされているらしい。なので、より強気になれる相手、年下である恵理香やその友達の小学生とつるんでお山の大将になった気でいるダメ人間だそうだ。
こいつが俺と友達に? 何か裏があるな。ラレルはまるっきり信用していなかった。いじめられ暦が長い彼はなかなか人を信用しない。ただし可愛い女の子は別だったりする。
「俺も教科書に落書きされたり、女の前でパンツ脱がされたりとか色々されたけどよ、お前にはかなわねえんだろうな。何しろ名前からしてレヴェルが違うしな」
もちろん話にならない。ラレルは教科書をビリビリに破かれて、その他持ち物と一緒に学校中の女子トイレに捨てられることが何度もあった。パンツを脱がされるどころかアニメキャラの絵をオカズに女子の前で、公開オナニーさせられることも度々あった。そういう状況では、女の子もなんだかんだ言って最後まで笑いながら見ているものらしいが、ラレルの場合はその光景があまりにグロテスクなのか、最後まで見てくれた女子はほとんどいなかった。
「お前はどんなことされてたか聞かせてくれよ」
言えるわけがない。殊音もここにいるのに。ラレルが黙っていると、大樹はラレルの頭を掴みグルグルまわし始めた。
「つれないなーおい。さっきからだまりっぱなしじゃねえか」
やっぱりイヤな奴だ。そう思うと殊音が
「あんたがウザいからでしょ。あんま調子に乗んないでくれる?」
と言った。ラレルに見せるような優しさはなかった。
「悪い悪い」
「話するだけなら今度でも良いでしょ。今日はもう遅いし。今日じゃないといけないの?」
大樹は困った様子を見せた。
「それじゃあ、二人だけの大事な話するからちょっと外にいてくれないか」
「私がいちゃダメなの?」
「いじめられっ子同士の会話だぜ。女子のリコーダー舐めさせられたとか、パンツ脱がされたとかいう話になったら恥ずかしいだろ」
殊音は少し迷っていた。
「殊音は行ってて良いよ。舞ちゃんも寂しいだろうし」
ラレルは初めて言葉を発した。正直不安だったが、女の子に守られているのも恥ずかしい。
「ラレルが嫌がることしたら怒るよ」
そういって殊音は部屋を出て行った。
大樹は殊音が出て行ったのを確認すると、話し始めた。
「仲が良いねえ。できてるの?」
「何が? 赤ちゃん?」
ラレルは不意打ちをうけ、ちょっとびっくりして答えた。
「そんな答えが出るほど進んでいるのか……」
「あ、いや、冗談ですよ。今日会ったばかりだし。ところでどうしてここがわかったんですか?」
「ん、ああ。ここに通っている子に聞いた」
「知り合いの子がここに通ってるんですか」
「さっき道端で会っただけだぜ」
「え?」
「恵理香がさ、どうしても佐藤を病院送りにした金髪の女を捜せっていうから、俺はこの当たりの家一帯にそういう髪型のやつがいないか訊いて回ったんだよ。人探しにわざわざ協力してくれる人はほとんどいなかったけどな。手かがりなしのまま夜になっちゃって、途方に暮れてたらさ、道の真ん中で転んでタオルをぶちまけて転んでた子がいたわけだよ」
舞ちゃんか。
「その子を助けたついでに、あの子のことを訊いたんだ。そしたら今会いに行くとこだって言うじゃないの。それで、恵理香に連絡して三人で来た」
なんでこんな危なそうな人にべらべらしゃべっちゃったんだろう。素直すぎる子なのか。
「殊音に賠償請求するためですか」
「それもあった。1000万ぐらいふんだくって遊びまくりたいよな」
この貧乏屋敷のどこに1000万があるのだろうか。
「でももう一つ目的があった」
「何ですか?」
「佐藤をやった金髪の女が『立川殊音』かどうか確かめること」
その意図がよくわからないので、ラレルは黙っていた。
「殊音と恵理香は、知り合いなんだぜ。二人が引っ越す前はお互い近くに住んでた」
「へえ。でも殊音は全然気づいてない見たいですよ。えり……じゃなくて二条さん、めちゃめちゃ変わっちゃったから。格好も顔も性格も雰囲気も。別人どころか正反対」
ラレルがこう言うと、大樹は突然声を大きくした。
「そうなんだよ! それが良かった! おかげで恵理香は助かった!! お前は恵理香の命の恩人だぜ」
「は?」
恵理香が変身を決意したのは、確かにラレルが原因だ。しかしそれが良かったとはどういうことなのか。恵理香本人はラレルの気持ち悪さと周囲の冷やかしに散々苦しめられていたはずなのだが。しかし、殊音に気づかれなかったのが良かったということは……
「殊音が二条さんに何かしようとしているんですか?」
大樹は少し間を置いて、そして話し出した。
「殊音の弟が、最近死んだことは知ってるか?」