第二話・救いの手
「あ、ありがとう」
ラレルはどうしていいかわからず、とりあえずお礼を言ってみた。少女は少しはにかんだ。目は少し大きくて、鼻は形がまっすぐで綺麗、なかなか可愛らしい娘だ。しかしだいぶ個性的な姿でもある。特に髪型がそう。
その髪は長く、金に染めていて、ツインテールにしている。アニメならばよく見かける髪型だが。何かコスプレの趣味があるに違いない。ラレルはそう思った。
ちょっとおかしな様子だけれど、可愛い娘がキモさナンバーワンのはずのラレルと仲良さそうにしているなどということは到底いじめっ子達には受け入れられなかった。
「おい、お前そいつとどういう関係なんだ」
リーダー格のイケメンサッカー少年が少女に問い詰める。
「初対面」
「そいつは学校一の嫌われ者なんだ! キモいんだ!関わるな! お前もキモくなるぞ!」
「意味わかんないんだけど。
人をいじめて喜んでいるあんたの方がキモいよ。」
「んだとコラァッ!!」
その少年は殴りかかった。このようなありきたりな言葉……同じことをラレルや教師に言われても何とも思わない彼だが、美少女に言われるのは気に食わなかったようだ。しょっちゅう女の子にちやほやされているからだろう。一人でも自分よりラレルの味方をする女の子がいることが許せないのだ。
少年の拳はハンカチで受け止められたが、彼は反対の手でも殴りかかった。しかしそれもハンカチを持った少女の左手で受け止められる。少年はさらに怒りを増し、少女の目付きは鋭くなった。
「ざけてんじゃねやぁ!」
「馬鹿ね」
さらに少年が掴みかかろうと前に出たその瞬間、少女はすでに前蹴りを彼の腹に入れていた。ラレルには、彼女が横を向く場面も足を上げる場面も見えなかった。
イケメン少年は「ごおっ」と苦しそうな声を出し、その場にかがみこんだ。
「お、おい。大丈夫か。」
「救急車呼んだ方が良いよ。
内臓イッてるから。」
何を電波な、と少年達は思っただろう。それほど強く蹴ったようには見えなかったから。しかしイケメン少年はすぐに口から血を吹き出し始めたのだ。
「ど、どうしよう……」
ラレルも大変なことになったとあわてだした。
「ほっときなよ。私、もう行くね」
少女はハンカチをしまってさっさと行ってしまった。ラレルもその場にいるとまずそうだと思い、再びフリースクール『あおぞら』へ向かうことにした。
自分を助けてくれたその子も同じ方向へ歩いている。
「何だか気まずいな」
そう思ったけれど、血を吐いてぶっ倒れている奴の側には、やはり居たくない。ラレルは彼女の後ろをつけるように歩きだした。いじめっ子達は血だまりによってきた人々に囲まれて、ラレルを呼び止めることができなかったらしい。
しばらく歩いても、五分歩いても少女はラレルと同じ道を歩いている。
「……すぐにわかれると思ったのに」
前方の少女と10メートルの距離を保ちながら住宅街の小道を行くラレルは一見するとストーカーだ。
「もしかしたら俺が向かっている『あおぞら』の生徒かも知れない。何しろフリースクールという場所は不登校の子が来るところだから、俺のような人間に対して哀れみも感じるだろう。そこで俺と彼女は愛を育むやも知れぬ。うひょひょ。」
都合の良い妄想を抱き、ラレルは醜い顔をさらにキモくしていると、急に前方の女の子が振り向いた。
「あ……」
「ぶひひ」とにやけているところを見られてしまったのでさらに恥ずかしい。だけど目が合ってしまったので何か言わなければいけない気がする。
「さっきはどうも……」
小さな声で二度目の礼を言った。二人の間には距離があったので聞こえなかったかもしれない。
「うう、僕は何を言っているんだ。知らない人に話かけちゃいけないって教えられたじゃないか。不細工な男は話しかけるだけでセクハラになると」
「あの、怪我しているよね?」
その少女はラレルが後悔している間も彼のことを気遣っていた。
「え!?」
「私の家、この近くだから良かったら傷の手当てしようか?」
この言葉にラレルの心臓が飛び跳ねた。
「な、何を言っているのですかお嬢さん!」
「お嬢さん?」
「知らないオジサンを家に連れ込んじゃいけないと学校で習ったでしょう!?」
「どうみても子供だけど」
「それに僕、そういう経験ないし……あうあうあうー!」
「ど、どうしたの!?」
ラレルは気が動転するとオカシナことを口走る癖があり、それも苛酷ないじめられっ子人生の原因の一端になっていた。少女は突然発狂しだしたラレルに驚いたが、とりあえず、とラレルの背中を擦り始めた。
「落ち着いて。どこが具合が悪いの?」
「別にどこも……。敢えて言えば頭が悪いです、ぐすん」
「そうみたい……。あのね、家っていっても普通の家じゃないんだ」
少女はラレルを落ち着かせて言った。
「『あおぞら』っていうフリースクールに住んでるの。個人の家じゃないから気にしなくて良いよ」
「あう、マジですかー」
「マジです」
なんとラレルの妄想通りだった。こんなことがあるものなのか。
少女に案内されるままについていくと、オレンジ色の屋根の建物についた。
「ここが、あおぞらか。なんだか幼稚園みたいな建物だな。」
「上がって上がって」
ラレルは引きこもり気味の少年だったので、知らない場所は苦手だった。小さいころは初めての店や床屋に行く度に泣いていた。
今でも見知らぬ場所へいくとびくびくする。しかしこの建物フリースクール「あおぞら」に入って見ると、なんだかとても落ち着いた。
薄い肌色の床と白い壁を見ると病院のような雰囲気だった。明かりが行き届いていないせいか、薄暗く見える所もあり、あまりアットホームな場所とはいえない。
「だけど、なんだか山の中にいるみたいに感じるんだ」
「なにそれぇ。汚く見えるってこと?」
少女は笑いながら救急箱を持ってきた。
「さ、服脱いで!」
ラレルは言葉につまった。
「踏んづけられて、身体のあちこちすりむいてるでしょう」
そういいながら、少女はラレルの胸を触る。甘い香りがした。
「で、でも……」
「あれ、なんか濡れてるね?」
ラレルが恥ずかしがっているのを他所に、少女はラレルの服に綺麗な形の鼻をあて、くんくん匂いを嗅いだ。
「ヤクルト……?」
匂いでわかるものなのか。
「お風呂入った方が良さそうだね」
「ふぇっ!?」
「着替えは私の貸してあげようか?」
「パンツはどうしようかー。
私のはく?」
刺激的な言葉を次々に投げかけられ、ラレルは言葉にならない言葉を垂れ流し、顔はまっかっかになって破裂しそうだった。
「冗談だよー!」
少女はくすくす笑いだした。
「私ね、弟の服持ってるから、あげるよ」
「くれるの?」
「うん」
少女は顔を下に向けた。だが、すぐに顔をあげる。
「私お風呂沸かしてくるね。」
風呂の準備が整うまでの間、二人は居間のような広い部屋で、ソファーに座っていた。
二人の間に沈黙が続き、ラレルは何を話そうか迷っていた。ただ、彼女の名前を聞きたかったので、それには自分から名乗らねばなるまいと考えた。
「僕、井締ラレル」
「いじめられてるの?」
「そうじゃなくて、名前なんだ。まあ、いじめられてるけど……」
ラレルは少し震えだした。少女は怪訝な顔をしている。そんな名前の人間がいるのか、疑わしいのだろう。
「本名?」
「本名だよ……。自分でも信じられない」
ラレルは両拳を握りしめていた。うつむいて、涙がこぼれそうだった。
「えと、私は立川殊音っていうの。よろしくね」
「立川さん?」
「コトネで良いよ!」
人なつっこい女の子だな、と思ったが、ラレルは黙っていた。
「なんか、あだ名つけてあげようか? 自分の名前がいやなら」
「あだ名……」
世紀のいじめられっ子である彼は、もちろん醜いあだ名も腐るほど付けられていた。
ウジ虫、アブラギッシュ、キモオタ、ストーカーウンコマン、ヤク中、エロオヤジ、クソミソ腐敗臭、等々。ラレルは、あだ名に良いイメージを持っていなかった。
「いや、ラレルで良いよ……」
「そう? まあ、名前だけなら可愛い名前かもね。言いにくいけど」
ラレルはまた赤くなった。
一方的に話しかけて貰うのも悪い気がする。だが、ラレルから話しかけることはできなかった。
再び沈黙が続いた。ラレルは何を話そうか迷い、殊音もその様子だった。しばらくすると、
「ただいまー!」
元気な声が玄関から響いてきた。それは子供ではなく、大人の女の声だった。
「ん? 帰ってきたかな」
殊音は玄関の方をちらっと向いたが、彼女を出迎えるようなことはせず、そのまま座っている。
「殊音ー! お、その子はもしかしたら!」
声の主が扉から現れた。ボブヘアの女性だ。胸が大きい。この人がこのフリースクールの指導者だろう、と思いラレルは挨拶しようとした。しかしタイミングが掴めない。
「もしかしたらって何? ただ怪我してるから連れてきただけだよ」
その女性は少し口を曲げた。
「そうなの。実は今日新しい子が来るって聞いてたんだけど」
「それ、僕です」
ラレルはようやく、二人に事情を話した。この女性の素性も聞いた。名前は「一津木鳴」と言い、「あおぞら」のスタッフの一人なのだが、他のスタッフが非常勤な上、経営者もなかなか姿を現さないので実質的な管理者、ということらしい。
「ラレルもここにくるつもりだったんだ! 私と会ったなんて偶然だねー」
「これはきっと運命の出会いに違いないわ! 今日の星占いが当たったんだよ! 良かったね殊音」
今度は殊音とラレルが一緒に頬を赤らめた。
「な、なんのこと?」
「ほら、今日の朝テレビで獅子座の人は素敵な出会いがあるかもって……」
「私双子座なんだけど?」
「そうだっけ?」
「一緒に住んでるんだから誕生日ぐらい覚えてよ。獅子座はあんたでしょ」
「! ということは」
はっとしたその女性は、ラレルの顔を横目でちらちら見始めた。まさか、この僕に欲情し始めたのか! 大人の女に筆下ろしされちゃうのも言いかも知れないな。ラレルは再び妄想を開始した。
「仲良くしようね。ラレルくん。名前もなんか似てるし!」
「一文字だけじゃない」
殊音のツッコミを無視して、鳴は身を低くし、ラレルに向かってにっこり微笑んだ。妄想のしすぎか、ラレルにはやや淫らな笑顔に見えた。
よく見ると、なんとエッチな身体をした人だろう! 服の下からでもはち切れそうな乳はもちろん、重力に抵抗する大きなまるい尻、それらを強調する腰に引き締まった太股も、ラレルを興奮させた。グラビアアイドルにいそうな女性だ。
しかし引きこもりであるラレルを一番興奮させたものは、そんな女性が目の前に居る、そのこと自体だった。
「ねぇ、そろそろお風呂入れると思うけど」
殊音が低い声で言った。