第十話・山小屋のお嬢さん
ラレルは殊音について、人が良く出入りする里山を歩き回っていた。運動不足のラレルは五分山道を歩くだけで、汗を洪水のように吹き出してしまう。
殊音は道なき道にわけ入って山菜をつんでいった。ラレルも殊音に採って良いと言われた植物をぷちぷち採集していく。二人は始め、並んで採集をしていた。しかし、採集の慣れと体力の差から段々と二人は距離を開けて進む。
ラレルはついに疲れてしまい、森の中に立ちすくんだ。木々の合間から赤くなってきた日の光が射していた。
右側の土地は樹木が少なく開けている。下草がもうもうと生えていて小さな草原を思わせる場所だった。殊音から眼を話して、その方向を見る。
小さな小屋があった。壁は丸太を積み重ねてできている。ログハウスだ。人里近く、小さなこの山には似つかわしくない建物に思えた。しかし、小学生のラレルは初めて見た丸太の建物に惹かれた。彼には、良く手入れされた、上品な小屋に見えた。
ラレルは殊音に声をかけるのも忘れて、その小屋に近寄っていく。そして小屋の周囲をぐるぐると回りだした。
「誰か住んでいるのかな」
「誰もいないよ」
ラレルは驚いて振り返った。殊音が山菜を入れている布袋を持って立っていた。
「どうしてここに!」
「ラレルが寄り道してるから着いてきただけ」
そういって殊音はずんずんと前へ出て、ログハウスの扉に手をかけた。
「ここ、いつも鍵かかってて、人の気配もないんだ。ほら」
殊音はさび付いたドアノブを握り、ドアをひいて見せた。ぎいっ、と短く耳障りの悪い音がして、ドアが開いた。
「あいてるじゃないか!」
「あれ?」
二人が薄暗い、小屋の中を覗くと女の声が聞こえてきた。
「どなたかしら?」
ラレルの眼に、一人の女性と、大きな、大きな絵が眼に入った。小屋の天井に届きそうなほどの巨大なキャンパスである。暗くて見難いが、そのキャンパスには黄色い獣、ライオンのような生き物が画面いっぱいに描かれているらしかった。女は、その絵の左すみから身体をひねり、こちらを眺めている。長いスカート、長いストレートの髪が彼女の雰囲気を包み込んでいた。
「いや、ちょっといたずらしただけ」
殊音がそっけなく返答していた。
「まあ、入って下さいな」
「はあ」
「あなたがたは、もしかしたら私と同じくらいの年かしら?」
「小六ですけど」
ラレルの目からは、随分と大人びて見えたがこの少女、実は中学一年生。つまりラレル達と一つしか違わないという。名前は「鳳城あやめ」。年が近いと知ってか、それから彼女は親しげに接してきた。
「こんな山里に一人暮らしで寂しかったんですの」
妙な言葉使いだった。お嬢様言葉というものかもしれない。もちろん、実際にそういうしゃべり方をする人間をラレルはこのとき初めて見た。
「大きな絵ね」
「ええ。描くのが大変なんですの。この梯子を使って……」
「この絵を描くためにここにいるの?」
「まあ、そうですわね」
「ここで一人暮らし?」
「一人ですわ。色々事情がありましてね」
殊音はそれ以上聞かなかった。
「一人で寂しくない?」
ラレルはぽそりと、口を挟んでいた。
「そりゃあ、寂しいですけど……」
「そうだよね……」
ラレルが俯くと、あやめは少し微笑んだ。
「だからお友達になってくれると嬉しいですわ」
「うん! 友達になろ!」
殊音が笑顔で言った。ラレルには少し、ついていけないような、どこか不自然さを感じた。彼にとって、ラレルが思うには「自分達」、にとって友達とはなろうとしてなるものではないからである。
そして、見知らぬ人間に堂々と「友達になってください」と言える精神に奇妙な感覚覚えた。
胸が苦しくなってきた。立ち上がりたくなってきた。だけど、場を混乱させるわけにもいかず、ラレルは少女達の談笑の場にただ座っていた。
「貴方達はどうしてここに?」
「ちょっと、山菜を採りにね」
「山菜を? そういうことは山の持ち主に許可が必要ですわよ」
「えー、そんなのしらなーい」
殊音は大きな絵の方を向いていた。しらばっくれるつもりの態度にしか見えなかった。その様子を見て、ラレルは動揺したが、あやめはくすくすと笑った。
「ふふふ、心配することはありませんわ。この山の所有者は私のお父様ですもの」
「え、そうなの!?」
「ですから、貴方達のことはお父様にいっておきますわ」
「ありがとう!」
「でも、あまり山菜を採りすぎないでくださいね。なくなってしまいますから」
うんうんと頷いて、「良かったあ、これで飢え死にしなくて済むよ」と殊音はラレルを小突く。
「飢え死にするほど食べ物に困っていますの?」
「実はそうなんだよね。もう……」
「それじゃあ、私の家から送られてきた食べ物がたくさんありますから貰ってくれませんか?」
「え、いいの?」
「私一人じゃ食べ切れませんし」
「ありがとー!」
こうして殊音とラレルはあやめから親戚の旅行土産という魚や果物の缶詰やチョコレートなどを大量に抱えて下山することになった。
「いやー、やっぱり友達にするなら金持ちだよね! 同じ旅行土産でも旅館からぱくったタオルなんかを土産にする馬鹿なんかよりさ!」
「殊音は舞ちゃんのこと嫌いなのか?」
「冗談だよ! あはは……」
二人が夕日に照らされている「あおぞら」の前まで帰ってくると、鳴が出迎えてくれた。彼女は殊音達が抱えている荷物の中身を見るなりこういった。
「殊音……、これどこで盗んできたの?」
「その冗談つまらないし。貰ったんだよ」
「誰から?」
「山に住んでる親切なお嬢さんにね」
二人は中に入って、手を洗った後、その土産のお菓子を食べながら事情を話した。鳴はも美味しそうにチョコレートを食べていたが、一つしか食べなかった。
「へえ。"KWM"のお嬢さんがあそこにねえ」
「KWM? それがあやめのお父さんの会社の名前?」
「そうだよ」
「どうして鳴が知ってるの?」
「前にボスがあの山の所有者を調べていたんだよ。殊音が食料採集にいくから」
「え、私知らなかったよ」
「あの、ボスって誰?」
「ここのオーナーのことよ。何故か私たちスタッフはボスと呼ぶの」
「私は見たことないけどね」
殊音はそういった直後、ラレルは居間の入り口の横の壁に掛けてある、皿とも見間違えそうな安物時計を見やった。
「じゃあ僕はそろそろ帰ります。」
「え、今日も泊まっていくんじゃないの?」
「そんな」
「家が恋しいの?」
「そういうわけじゃあ……」
「まあ、帰るというなら無理はいわないよ」
「じゃ、また明日ね」
「うん」
ラレルはコンビニの前に来た。
「もうここ通るのやだなあ。回り道になるけど、次から別の道通っていこう」
見覚えのある人物が、コンビニの前の駐車場で佇んでいた。何やら棒状の物を手に持って。
「あれ、あの子は……?」
先ほど会った鳳城あやめであった。二人の眼が会うと、あやめはラレルに近寄ってきた。
「ラレルさん」
「え……? どうしてここに」
「貴方に用が会って来ました。ここに来るだろうと言われて」
「一体なんの用事があるの?」
「少し長くなりますので、中に入りましょう」
「中にって……?」
あやめは答えずにコンビニの裏口に入っていった。ラレルもそれに続いた。中は事務室のようだった。制服やその他の服が白い壁にかけられていて、薄汚いロッカーが並び、小さなテーブルが一つと折りたたみ椅子がいくつかあった。
「率直に言いますね。実は、貴方には引きこもっていて欲しいのです」
あやめは優雅な動きで貧乏臭い折りたたみ椅子に座り、そう言った。手に持っていた棒は全くすべる気配もなくテーブルに立てかけられていた。
「ど、どういうこと?」
「貴方に外出されると困る方がいらっしゃいまして……」
「そんなめちゃくちゃなこと言われても」
「私はその方のことをどうしても断れない立場に居るのです。おとなしく引きこもりになってくれませんか」
「そんな酷いよ!」
「確かに、貴方が充実した小学校生活を送っているのならばとても酷なお願いですが。現実は全く反対。貴方は酷いイジメを受けていて、本音では引きこもりたくてしょうがないはずです」
「実際引きこもっていたよ! でも親がうるさくてフリースクールへ逃げ出したんだ」
「そこのお友達が殊音さんですか? だけど、そこもあまり楽しいものではないでしょう?」
「殊音や鳴先生はとても良くしてくれるから楽しいよ。なんで君にそんなこと言われなくちゃいけないんだ」
「そうですか……」
残念そうな声になって、あやめが下を向く。そして椅子から立ち上がった。蛍光灯の白い光が影を作り出し、俯いた彼女の顔を隠していた。
「じゃあ、学校と同じに目に会えばフリースクールもやめてくれますか……?」
「……」
「確か、一時間近く殴られ続けて後、階段から突き落とされて足の骨を折ったことがあるそうですわね」
「やめてっ」
「じゃあ、家から出ないでくれますね?」
「それは……」
ラレルが言葉につまるとあやめは立てかけていた棒を手に取った。その時初めてラレルはそれが木刀であると気づいた。木刀にしては、あまりにも黒ずんでいて、無造作に扱われていて、トイレの用具入れにありそうな粗末さだったからである。
「私もこんなことはしたくないですけど、同じ目にあって貰います」
「うわああああ」
ラレルは立ち上がって逃げ出そうとしたが、瞬時に襟首を掴まれその場に転んでしまった。
「助けて!!!」
大声を上げた。今までは、誰かに囲まれてもめったに大声を上げることはなかった。
「誰も助けになんてきませんよ。今いる従業員は事情を知っていますからね」
「く……」
ラレルは這いずるようにドアへかけよろうとした。しかし、手を伸ばした瞬間、胃袋から腰にかけてコンクリートブロックが落ちてきたような重い衝撃を受けて床に突っ伏してしまった。その後ラレルの全身に激しい痛みが走り、その後右肩の痺れに気づいた。
「げええええええええええ」
ラレルは何かを拒絶するような嗚咽の声を自然に発していた。肩を木刀で一度打たれた。それだけで、このお嬢が並でない技量を持っていることが分かった。
「私、こういうことには慣れてなくて」
あやめは持っている木刀でラレルの身体を打ちつけた。感触を確かめるようにゆっくりと。その度にラレルは悲鳴ともとれない、荒い息のような声を上げた。
扉が開く音がした。