第一話・逃げ道
井締ラレルは名前の通りのいじめられっ子。彼と出会った人で彼をいじめない人はいないと言われるほどのいじめられっ子だ。
ラレルは小学校で五年以上過酷な虐めに耐え続けきた。靴や筆箱を隠される事は毎日どころか1日5回はあった。彼の机はマジックで「死ね」「キモい」などという落書きが書かれていて、机の中心には彫刻刀で掘られた見事なマキグソが浮かび上がっていた。
ラレルの給食にはいつもカエル、バッタ、ゴキブリ、猫のフン、消しゴムのカスのどれかが混入していた。もちろん全部食べないと先生に怒られる。
「ゴキブリが入ってるよ!」
と訴えても、取り除いて食べろと言われるだけだ。
よく五年も持ったものだが、五年生のある時期からますます虐めは酷くなり、六年生になって彼はついに不登校を選ぶ。
暗い自室に引きこもり、パソコンでエロゲーをやりつづけること一週間。ラレルの母は息子がこのままずっと学校へ行かないのかと心配になっていた。
母はラレルを説得するため彼の部屋へ向かった。その部屋の扉には『開ける前にノックしろ』と下手糞な字で書かれた張り紙が貼ってある。しかし母がそれに従ったことは一度もない。今回も躊躇なく扉を開けた。
「ラレル」
「何だよババア」
もう慣れているのだ。あえぎ声が流れてくるヘッドホンをつけていても、母がドアノブに手をかけた音を聞いてコンマ三秒以内に固くなったソーセージとモニターに移っている交尾中の女の子を隠すことができる。
「開けるときはノックしろって言ってるだろ」
「ごめんね。でもお母さんはちゃんと分かってるのよ」
「何をだよ!」
「あんたがエッチなゲームをしながらおちんちんを」
「言わなくて良いんだよ! そういうことは! 一体何しにきたんだお前!」
「そうそう」
母は思い出したように言った。
「ねえ、もう学校にいかないの?」
「行くわけねえだろ!」
「この前先生が来てね、学校にくると楽しいぞーって。」
その教師はラレルにゴキブリを食べさせ、楽しそうに笑っていた。
「もう皆いじめないって言ってるよ」
「今日もうちのポストに犬のフンが入れられていただろ! まだ俺をいじめる気まんまんなんだよ」
「そんなことないわよ。今日クラスの子がこれをラレル君にってもってきてくれたの」
母は箱をラレルに渡した。ラレルが箱を開けてみるとそこにはぺしゃんこに潰れたトカゲがあった。
「車に轢かれたトカゲじゃねえか!ちくしょおおおお!!」
「そんなに嬉しいの?」
「嬉しいわけないだろ!そんなこともわからんのか!」
「そう…、ごめんね」
「息子に『イジメラレル』なんて名前つける糞親じゃわからないよな。悪魔くんもびっくりだぜ!」
「だって神社の神主さんが画数が良いっていうから」
「画数がよけりゃなんでもいいのかよ!」
「あんたも『ラレル』っていう名前を聞いてニコニコして喜んでいたじゃない」
「いつ喜んだ?」
「名前をつける時に決まってるでしょう」
「赤ちゃんの時じゃねえかあ! 名前の意味なんか分かるわけないだろ!」
「ダメよ、自分の無知を人のせいにしちゃ」
「てめえええ!! もうぶちぎれた! てめえをぶち殺して全国のお茶の間に俺の名を轟かせてやるぜ!」
「未成年は実名報道されないのよ。そんなことも知らないなんてやっぱり学校に行ったほうが良いみたい」
「くそおおおおお!!」
「どうでも良いから早く学校に行きなさいよ。息子がひきこもりだなんてご近所に知られたら恥ずかしいじゃない」
「息子より近所の評判の方が大事なのか!」
「うん」
「うわあああああ!!」
ラレルが引きこもってからというもの母は一時間おきにラレルの部屋に訪れ、学校に行くようにこのような毒電波入りの説教をしにきた。おかげでラレルの精神は限界に近づいていた。
テレビドラマなどでラレルが学んだことだが、このような親の襲撃は家庭内暴力で乗りきるようだ。
ラレルもバットを物置きから持って来てみたりしたものの、彼は口は悪いが根は優しい人間なので、母を殴り倒すことなどできなかった。
ラレルが母から受ける扱いはこの通り酷かったが、それは母に愛が無いからではなく、ちょっとした頭の問題なのだ。
少なくともラレルはそう思っていた。
結局、母の説教から逃れるためにラレルは家を出ることを選んだ。しかしどこに行こうか。
どこかの不良のように一日中遊び回っていれば良いのかも知れない。だが、インドア派小学生のラレルはゲームセンター以外に外で時間を潰す場所を知らない。また、そんなことに使うための金を母が出してくれるはずがない。
そこでラレルはフリースクールに通おうと思い立ち、母に相談してみた。
「いやよ。高そうだし。」
「はあ!?
ふざけんなクソババア!」
「だいたいフリースクールなんて社会に適応できない
『人間のクズ』が行くところでしょ?そんなとこ通ってたら情けないわ。」
これにはラレルもさすがに堪忍袋の緒が切れた。
「呆れた女だ。生かしておけぬ。」
自分のことだけならまだしも全国の悩める青少年を侮辱する母が許せず、ラレルは台所に向かい包丁を取り出した。
「わかった!わかったから!
どこにでも行っていいからやめなさいよ!」
「くそっ、このババア……」
どうにも人間らしさを見せない母に対してラレルは悔しさを感じた。が、こうしてラレルはフリースクールに通えることになったのだ。
ラレルは、ちょうど最近できたらしい近所のフリースクール『あおぞら』に向かった。そこで上手くやっていく自信はない。しかし自分の部屋にすら居場所がない彼は旅立つしかなかった。
ラレルが『あおぞら』に向かう途中、住宅街の中に紛れこんでいるコンビニの前で同級生達にあった。
「おおっ!?井締クンではありませんか?」
大袈裟に呼び掛ける茶髪の少年達。彼等はラレルを見つけるなりすぐに大きな声で笑い出した。
「相変わらずキモい顔してるなあ、おい!」
馴れ馴れしくぽんぽんとラレルの肩を叩く少年。こんな失礼なことを言うだけあって、彼は小学生ながらかなりモテるイケメンサッカー少年だ。対してラレルはオジサン眼鏡をかけた豚鼻の天パで油まみれで出歯で顔デカで老け顔で……
「うるさい!!」
という風に、とにかく不細工で哀れな小学生なのだ。
「井締がキレたぞ!」
「うわー、怒るともっとキモーい!」
「血圧上がるぞ!」
「乳酸菌取ってるぅ?」
ラレルが怒り出すのが楽しくて仕方がないようで、ラレルが怒ると彼等はいつも手を叩いてハッスルする。
「ねぇねぇ、乳酸菌取ってるぅ?」
勿論これはラレルが好きなアニメキャラの台詞だ。銀様にイジメられるのはラレルの夢だがこんな糞ガキにアニメキャラの真似をされると自分のアニメ愛を侮辱されているように思えて我慢ができない。しかし怒りを露にしたらさらにいじめっ子の思うつぼではないのか。
「おい小島、ヤクルト出せよ。こいつ乳酸菌が足りねえみたいだからよ!」
小島少年は先程このコンビニで買ったと思われるヤクルトを取り出して蓋を開け、イケメン少年に渡した。
「おら、飲めよ!お前と銀様の大好きな乳酸菌だぞ!」
イケメンは油ぎったラレルの顎を掴んで、ラレルの鼻にヤクルトの口を押し当てた。
「ぶ、ぶひっ!」
「鼻から飲んだ方が効くんだぞちゃんと飲めよ!」
飲める筈がない。鼻に入ったのは少しだけで、半分以上はラレルの顔を伝っていき服と胸を濡らした。
「おいおい勿体ねえなあ!」
「食べ物を粗末にするんじゃねえよ!」
「ぶふっ!」
「うわっ!」
ラレルが鼻からヤクルトを噴き出すと少年達は身を縮め、眉をしかめた。
「鼻水と一緒に噴き出しやがった!」
「きたなーい!」
「おい、ヤクルト代とクリーニング代払えよな!」
「締めてひゃくまんえんになりまーす!」
一転ニコニコして少年はラレルのズボンのポケットに手を伸ばす。
「ぷぷっ。何これー。」
ヒヨコの絵柄がついたプラスチック製の財布を取り出して少年は笑った。当然彼等は全員革の財布だ。
ラレルはそれを奪い換えそうと試みたが四人の力で押し返される。いじめっ子達はラレルの財布を開けて中を覗いた。中身を見たイケメンは突然鬼の形相になる。
「オイコラ、ニ千円しか入ってねえぞ!」
「万札一枚もないのかよ!やっぱ井締はキモいなあ!」
ラレルはまたも馬鹿にされてしまった。しかし流石の彼等も万札は一枚も持っていない。
「しょうがねえなあ!ヤクルト代だけで勘弁してやるからもう溢すんじゃねえぞ!溢したら殴るからな」
そういってイケメンは再びラレルの鼻にヤクルトをあてがった。溢すに決まっている。
「あー、溢した!」
「溢すなっつっただろうが!」
イケメンはいきなりラレルの股関を蹴り上げた。
「ぎゃああああ!」
うずくまるラレル。何が面白いのか笑い続けるいじめっ子達。さらにはコンビニに出入りしている客達もラレルを助けるどころか彼等と一緒にクスクス笑っているのだ。
ラレルはリンチされている自分を助けようとは一切思わない通行人に対し絶望した。
「お前らには良心がないのか」
ラレルは奴等の靴底で泥だらけになりながら叫んだ。しかし鬼畜共はこう答えるのだ。
「あるとも! だからこそお前みたいな社会のクズを攻撃しているんだよ!」
「お前自分が不当にいじめられていると思っているのかァ?
てめえに生きる価値があると思っているのかァ?」
「そう思うならそこのおっさんに『助けて』って言ってみろよお! お前がクズじゃなきゃ助けてくれるかもよ!」
そのおっさんはリンチされているラレルを楽しそうに横目で見ながらコンビニに入ろうとしていた。
「助けて……」
もちろん無駄だった。おっさんはぷいと目を反らし、コンビニの中に入ってしまった。
また鬼畜共は言うのだ。
「俺達が悪だと思うならそこの女子高生に『助けて』って言って見ろよ!」
二人の女子高生がコンビニに入ろうとしていた。彼女達がリンチの現場に目を向けると、ちょうどラレルと目が合った。
「助けて……」
二人は眉をしかめた。
「うわっ」
「キモッ」
二人は早足でコンビニに入ってしまった。
「俺がゾンビか何かに見えるのか」
自分は退治されるべき存在なのか、自分のキモさが悪なのか
「フヒヒヒ! 誰も助けてくれないなあ!」
「当たり前だぜ! トイレで流されるウンコを助ける馬鹿がどこにいる!」
女子高生の二人組とすれ違いに、小学生ぐらいの女の子がビニール袋を片手にコンビニから出てきた。しかしラレルはもう助けを求める気はない。
「全て俺がキモいのがいけないのだ」
「よく分かったな! そりゃご褒美じゃ!」
倒れたラレルの頬はまた踏みつけられ、茶色いギザギザ模様が増えた。
今出てきた少女も自分のことを嘲笑しているのだ。ラレルはそれを確認しようとして、コンビニの方を向いた。彼女は居なかった。
もうとっくに行ってしまったか……違う! 彼女はラレル達の近くに立っている!
「やめなよ」
「は?」
少年達は疑問の声を上げた。ラレルに救いの手が差し伸べられるとは微塵も思っていなかったのだろう。
「大丈夫?」
少女はラレルの汚い手をとって彼を起こした。普通の出来事に見えるだろうか? しかしこの少年達にとってそれはあまりにも異常な光景だったに違いない。また、ラレルにとっても。
ラレルに自分から触れた女の子など今まで全くいなかったのだ。とにかくラレルの女子からの嫌われぶりは伝説的である。
ラレルに誤って触れてしまった女子がいれば、ナントカ菌と称してクラスは大騒ぎになるのはもちろん、授業で社交ダンスの相手がラレルになってしまった女子は先生に泣きついて勘弁して貰った。
ある日の休み時間、ゆるりと腰を下ろして友達とお話しようとし、空席に座った女子はその席がラレルのものだと知ったとたん泣き出してしまった、ということもある。
ちなみにラレルのクラスには彼が学校に来なくなる前、二人の登校拒否の児童がいたが、二人とも女子で、その一人はラレルと一緒に学級委員に任命されたため、もう一人はラレルの隣の席になってしまったために学校に来なくなったのだ。もちろんラレルが不登校児になってからは二人とも元気に学校に通っている。
ラレルは今まで女子から受けた仕打ちを思い出していたが、ふと我に帰ると彼を助けた少女はラレルの顔をハンカチで拭いていた。
「おい!どうなっているんだ!」
ラレルをいじめていた少年達は長い間呆気に取られていた。