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13、とある朝の通勤風景

 急に自転車通勤をやめるのもな、暑くなるまでは自転車通勤するか。

 どうせ7月になったら残業続きで遅くなるから車になっちゃうし。


 そう思って、週に一日か二日程度自転車通勤を続けていると、いつもの小学生と挨拶をするようになった。

 残業があるからそれ位しか乗れないんだよ。

 暗くなってからの自転車通勤は物騒で怖いし、鮎川氏にも止められたんだよ。


「ずっと自転車で行くんですか」

「もう少しして暑くなったらまた車で行く予定。学校ってまだ遠いの?」

 大人を真似るような口調の男の子に答えたら、低学年の子たちも一斉に答えてくれる。


「まだまだ歩くよー」

「川越えたところー」

「えーっと、7時50分位に着きます」

 小さい子のたどたどしい言葉も可愛いけど、さすが高学年は違うね。

 しかも、まだ10分以上歩くんだ。

 けっこう遠いなぁ。


「荷物多い時とか、雨の時は大変だよね。車の水かかったりしない?」

「どこに水たまりがあるか分かってるからけるよ!」

 たくましい。

 歩行者の近くを通る時はスピード緩めればいいのに、みんなお構いなしで行っちゃうんだよね。


「お姉さんがいつも停まってくれるから、すぐ渡れます」

「いつでも停まるからね、焦らずに渡ったんでいいからね」

 こっちが停まれば対向車も停まるからね。


 ていうか、こんなにのんびり話しながら通学して大丈夫かな。

 遅刻しないかな。

 腕時計で時間を確認して、「ああ、この時間だとそろそろ」と振り返る。


「あの車もたぶん停まってくれるよ」

 ちょうど後方に鮎川氏の車が見えたので子供達に教えてあげる。

 みんなで手を振ったらこちらに気付いたらしい鮎川氏は、驚いた顔で通過して行った。

 あの人の動揺してる顔なんて初めて見たな。



 彼女は知らない。

 子供達の笑顔につられた彼女のそれが、これまでに見せていたものとは違い無邪気ではじけるような明るい笑顔だった事も、それを突然向けられた彼が直後に赤面して口元を押さえた事も、彼女はそれを知り得るはずもない。


◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆―――――――◆

<涼太氏は今日も呆れる>


 17時半過ぎ。

 定時と残業の間の10分休憩で休憩所でコーヒーをすする。

 あ、もうホットはダメだわ。

 アイスコーヒーにすれば良かったなどと思っていたら、鮎川さんが現れた。


「今日は残業ですか」

「そう」

「……なんかいい事あったんすか」

 機嫌が良さげな気がする。

 とはいえ、この人が不機嫌そうにしているところなんて見た事もないけど。


「今日は朝からいい事あって。そのせいか妙に1日ついてて」

 そう言ってふと見せた顔が、会社で見せるどの表情とも種類の違うもので。

 

「いつもは何回連絡取ってもつかまらない先方の担当者を1回で捕まえたり、出してた強気の見積もりが案外そのまますんなり通ったりと調子がいいんだ」

 他の社員から見たらいつもの鮎川さんに見えるだろうな。

 でも俺はフットサル仲間だったり、バーベキューにも一緒に行った仲だから気付いてしまったんだけど。

 あー……

 楽しそうに言っている鮎川さんに、これは非常に言いにくい事なんだけど。


「若ちゃんが鈴原にアジサイ園に誘われたって、なんか途方に暮れてるっぽいんですけど。今回は団体行動じゃないですよね?」

「ああ、うん、違うね」

 鮎川さんは、特に動じる事もなくとあっさりと頷いた。

 もっと何らかの反応を想定してたんだけど。


「若ちゃん、断っていいんですよね? というか断った方がいいんですよね?」

「悪いけど頼める?」

「連絡しときます」

「助かる」

 そう言って、鮎川さんはふわりと笑った。


 この人の穏やかで綺麗な笑顔は、男の俺でもなんだか妙に嬉しくなる。

 会話自体は業務連絡とそう変わりない様なやりとりだったけど、いつもと違うのは、それが普段の余裕を感じさせる仕事用の物じゃなくて、少しだけ、ほんの少しだけ嬉しそうで。

 前後の会話があるからこそ分かる程度の、微々たる感情の漏れ。


 でもそれがハンパない。

 なにその男でも色香にあてられそうな笑顔。


 そこで鮎川さんの内線を兼ねた社用の携帯が鳴った。

 応対しながら、あいさつ代わりにこちらに軽く片手を上げて席に戻って行く鮎川さん。

 暑くなってワイシャツ姿のその背中は、日頃から鍛えているだけあってカッコいい。

 やる事なす事いちいち様になるってどうなんだ。


 ああ、これは。

 あいつが一線を引くのも少しだけ分かる気がする。

 

 あんな完璧感がハンパない男を相手にするなんて、どんな猛者だよと思うわ。


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