荒俣アンダーザブリッジ
*
「はーい、じゃあ今週もこれでおしまいでーす。また来週も元気に登校してねー?」
初音先生の声が響いたあと。教室は一気に喧騒に包まれる。
ようやく今週も学校終わったー!
部活だ部活~♪
週末遊ぼうぜ。
お、いいね。お前んち行っていい?
「はーい、そこ。遊びもいいけど勉強もちゃんとしましょうねー?」
分かってます初音先生!
俺たちを信じてください!
「うふふ、みんな素直で先生嬉しいわ♪」
初音先生はご機嫌な様子だ。そしてそのまま教室から出ていこうとしたけど、急に方向転換して私の方に向かってきた。
?、何か用事があるのかな。
「日向さん。学園祭の準備はどう?順調かしら」
「あー…、はい。進み具合はそこそこかと」
嘘は言ってない。
ただ細かい計画がまだほとんど立ってないだけで。
「そっかぁ。学園祭用に何か買った時はレシートはちゃんと取っておいて私に渡してね。じゃないと予算で落とせないからー」
「はい、分かってます」
「うふふ、頼りになる委員長さんまでいるんだもの。ホントに先生嬉しい♪」
そう言って先生は目に見えて上機嫌に職員室に戻っていった。
あれでいて部活の顧問を2つ掛け持ちしてるし、きっと放課後も忙しいはずなのに。それに加えてクラスの心配までしなくちゃいけないんだから『教師』っていうのも大変だよな、と何気なく思った。
閑話休題。
今日こそ、昨日の二の舞にならないようにちゃんと指示をしないと。
というかお化けの扮装とかまだ決まってないんだよね。そこから話し合わなきゃ。
(それにもう一つ、話したいこともあるし)
鈴鹿くんに相談して、もしかしたら。
(変われるかもしれない)
そんな風に思っていた時だった。
「日向さん」
呼ばれて振り向く。
「え?アル…」
と、名前を言い終わる前に腕を捕まれた。
「それで荷物は全部ですか?」
間髪入れない質問。
「は?あ、うん。今日はこのカバンだけだけど…」
「じゃあ行きましょう。今日も店に寄りたいんです」
そしてアルカードくんは唐突にそんな事を言い放った。
その言葉に対して、私はおろかクラス全体が凍りつく。
「は、はい!?急にどうして」
「急も何も昨日の夜に言ったじゃないですか。また来るって」
「ちょ、ちょっとこんなところで何を――」
(言ってんだやがんだこの野郎は!!)
実際に口から後半部分は出てないですよ。いつもの心の声、だけど本気でこれは洒落にならない。
シーンとした教室内からひそひそなんか言われてるし!
店って何?
昨日の夜って言ってなかった?
いつの間に?
え、あの二人って…。
(こ、これはヤバい…!)
私の平穏が崩れる!?
「ち、違うの別に変な事は無いの!昨日アルカードくんはうちの骨董店に偶然来ただけなの。それだけだから!!」
「さぁ行きましょう。あまり暗くなる前に探し物を済ませたいですし」
「だ、だから待って!学園祭の準備だってあるのに帰るなんて」
「まだ三週間もあるじゃないですか」
「今週の学校はこれで終わりなんだから実質あと二週間だから!土日についても話し合いが…」
「はいはい後で聞きますから。今は自分の足で歩くことを考えてください」
「いやアンタが無理やり引っ張ってるだけっ…ちょ、嫌っ!待って!」
「それではみなさんまた来週♪」
バタンっ!と乱暴に教室の戸が閉められて。教室には一瞬の静寂と、
「だだだだだだだだ大スクープですぅぅぅーーーーー!!!!」
という大声だけが響きわたったのであった。
*
「ちょっと離して!!」
「離したら逃げるでしょう?」
「あ、当たり前だ!」
そんな会話をしている間にも私は廊下を引きずられている。いやそれはもう文字通りに。
「変に力を入れると痛いですよ?」
そんな事を涼しげに言ってくるけど、実際のところ彼の力は尋常じゃない。いくら抵抗しようがお構いなしだ。というかもう人間の力じゃない……ってそうだホントに人間じゃなかった。
「こちらとしても逃がすわけには行かないんです」
「私だって用事があるつってんでしょうが!」
廊下を歩く人全員の視線を集めまくってるし。これ本気で私の学校生活ヤバいだろ。
「は、離し…」
「あ、そうだ」
突然立ち止まる。
「な、何?」
「魔女は何処にいましたっけ?ちょっと用があるんです」
「え?じゃ、じゃあ場所は教えるから私は一旦教室に戻っても」
「さぁ、案内してください。僕もここに来て間もないのでまだ不慣れなんですよ」
「…………」
何かもう私のなかで『諦め』という言葉がグルグルと回りだしていた。
(早く終わらせて解放された方が楽?)
でもコイツ結局、家まで来る気なんだよね。
(どうすればいいの……?)
「さぁ、早く」
「分かったからそんなに引っ張らないで!」
そんなこんなで舞台は部室へ。
*
「あれ?先輩がいない…」
部室に着いて扉を開けると、いつもはいるはずの先輩がいなかった。
珍しいこともあったものだ。終わってからすぐに来たせいなのもあるだろうけど、あの人が部室にいない所を今まで見たことはなかった気がする。
……そう考えるとここ以外で先輩と会った記憶もないかも。廊下ですれ違ったことも朝礼で見かけた覚えもないし。
(どうしたんだろ?)
そこに居るのが普通の人がフレームのなかに居ないだけで、風景が何だかかなり違って見えた。
「魔女がいないなら好都合だな」
「え?」
アルカードくんはそう言ってずんずん室内に侵入していく。
「というか、口調はもういいの?」
また荒くなっているし。
「あ?お前しかいないのに猫被ってどうすんだよ」
「……さいですか」
口調が戻ると、よりあの出来事が事実だって事を鮮明に思い出させられる。
(まだ多少は疑ってはいたんだけど)
もうこの現実を受け入れた方が楽になれる気がする。悲しいけどこれ、事実なのよね。
「おいヒナタ、早く手伝え。この部屋お前が掃除してんだろ?」
「え?あ、その通りだけど」
と、指示された棚をガサゴソやって数秒して。
「――あれ、そもそもなんで私手伝ってるの?そんな義理ないじゃん」
はた、と気づく。よくよく考えればなんで私は唯々諾々と命令に従ってるんだろ?
「私、教室に戻る」
足早に部屋から出ようとした。
『した』、ということはまだ行動は完了していないってことで。
私の手首は“また”彼に捕まれていた。
「はーなーしーて!」
「なんでそんなに戻りたがるんだ?昨日だってサボったくせに」
その言葉に私はひどく動揺する。
「なんで知って」
「それにアイツ、鈴鹿だっけか。アイツに何か言いたがってるのも知ってる」
そしてそんな言葉を吐いた。コイツは私の考えている事が読めるのだろうか。いや、
「……盗み聞きは悪趣味でしょ」
「お前の声がでかいんだよ。それより――」
ぐっと腕を引っ張られて彼の顔が一気に近づく。その端正な顔は意地悪げに歪んでいた。
「――俺に話せよ。お前のちっぽけな悩みなんて俺が解決してやる」
顔が尋常じゃないくらい近い。その甘い匂いに頭がクラクラする。
これは、ヤバい。
「ば、バカにしないで!」
必死に腕を振りほどいた。
だけど。私の腕を引っ張る力は信じられないほどに強かった。
耳元に寄せられた彼の歪んだ口は、朗々と言葉を産む。
「怖いんだろ?」
「え?」
「人に嫌われるのが、人に何かを無理に頼んで嫌われるのが怖いんだろお前は」
「………な」
あまりにもあっさりと言われた。
「ん」
私は真剣なのに。
「で」
コイツは。コイツは。コイツは。
「なんで、って“知ってる”からだ。知ってる上でお前の悩みは“ちっぽけ”だって言ったんだ」
その言葉にカッとなった。
「私は、そんな事を聞いてるんじゃないの。『なんであんたにそんな事を言われなきゃいけないんだ』って事を聞いてるの!」
呆然とした意識の中で次第に沸き上がってきたのは怒りだった。
「………」
「あんたって何様なの?急に出てきて引っ掻き回して、何がしたいの?私が何をしたの?私は――」
「おい、ヒナタ…」
「馴れ馴れしく呼ばないでっ!」
腕をもう一度振り払う。今度は抵抗なく外れた。
「意味がわからない。昨日からもう全部ぐちゃぐちゃだよ。今日だってちゃんと鈴鹿くんと話して解決出来そうだったのに!」
「……ふーん、そんなにアイツがいいのか」
「何が言いたいの?」
「ともかくお前は俺のそばにいろ。アイツに近づくな」
だから意味がわからない、と私は言い返そうとした。
その時、私の後ろで扉が開く。
そこに現れたのはこの部屋の主――
「おや、面白そうな事をやってるじゃないか」
先輩がそこに立っていた。
*
「で、一体ナニをしてたんだい。二人っきりで」
「……この状況見て分かんないんですか?」
私(涙目)が彼(凄く睨みつけている)に詰め寄られてる。そんな構図を見て先輩は一言。
「痴話喧嘩?」
「違います!」
「痴情のもつれ?」
「意味一緒じゃないですか」
「じゃあ…」
「もう黙ってください。そしてこれ以上私の頭を混乱させないで」
この険悪な雰囲気をどういう方向から見たらそう解釈できるのか非常に謎だ。
――でもこの人ってそういう人なんだよね。それはわかってたけど残念すぎる。
「むう、少しぐらいふざけたっていいじゃないか。魔女だってかまってもらえないと寂しいんだよ」
そう言いながらつかつか歩いて来て、いつもの定位置に収まった。
定位置というのは部室の中心でもって、木製の机が鎮座する場所である。
そこに座って分厚い本なんかを読んでる先輩の姿は確かに魔法学校の先生みたいに見えた。
「さて、久しぶりだねウラド」
仕切りなおし、とばかりに先輩から切り出した。
「相変わらずだな魔女。いつにも増して不気味だが」
「誉め言葉として受け取っておくよ。それで聞きたいんだけど、なぜ君がここにいるんだい?」
先輩は笑いながらそう聞いた。しかし不愉快そうなのは纏う雰囲気から火を見るより明らかで。
(ちょっと怖いな)
やっぱり勝手に家捜してたの気づいてるのかもしれない。
「石を探していただけだ。それはお前も承知していることだろう?」
「石……?」
一瞬、先輩はチラリと私をみた。それは本当に一瞬のことで。私がなにか言う前に 、
「そうか。なら好きに探せばいい。咎める気はないさ。ただし、ここにある品の扱いは丁寧にね」
そう答えていた。
「俺にだってモノの価値くらいわかってる。まぁ、せいぜい好きにさせて貰う」
二人の会話はそれで終わった。何か旧知の仲みたいだったから、もうちょっと何かあるのかと思えばそれだけだった。アルカードくんは、するべき会話は終わったみたいな顔をして『石』探しを再開するし。
先輩は相変わらず本を広げ始めるし。
……で、私は放置か。そういうプレイか。
話の腰を折られたまま会話が打ち切られて。
発散するタイミングを逸した怒りや何やらが私の中で解消できずにうやむやになったと言うか。
結局また私はストレスを一人で飲み込んだのだった。
(コレ、本気でいつかお腹に穴あくんじゃないかな)
ストレス社会とそんな中で戦うすべての人に乾杯。
そんな風に人類の心の安寧に心を馳せたとき、くいくいっ、と先輩に手招きされた。
(?、なんだろ)
呼ばれるままに近づくと、
「紅茶。アッサムがいいな」
そんな簡潔なオーダーを頂いた。
「…………」
キレる若者って言うけどキレても許される時ってあるよね。これってその時じゃね。
「……ここって喫茶店では無いんですけど」
絞り出すように言う。
「別にいいじゃないか。ティーブレイクは必要さ。なぁウラド」
「あ?まぁ…、そうなんじゃないか。カフェインとかブドウ糖は脳に効くからな」
「…………はぁ」
何なんだお前らその連携。
分かったよ入れりゃいいんだろ入れりゃ。私が悪うござましたってんだ。
逆らっても不毛なのは五か月で十分学習したつもりである。
が、唯一の抵抗としてやさぐれ全開でティーセットを取りに奥に向かってやった。
――こうして仏頂面がデフォルトになっちゃうのかな。
それは女子高生的にヤバいからすごく嫌だ。
どうにか固くなった表情筋をほぐしながら奥へ。
部室、と一概に言っても流石私立と言うべきなのかもしれない。
十畳近いメインの部屋の隣に物置き的な小部屋まである。
……でもたぶん、本当はここってミニ講義室と教員控え室なんだよね。
黒板も一応あるし。
内装とか凄い弄ってあるけど大丈夫なのだろうか?
それにまず、部員が先輩しかいなかった部がこんな部屋をどうやって勝ち取ったのかが謎だ。先輩は理事長から貰ったとしか言わないし。
解けない謎を考えながら、小部屋の戸棚からティーセットを取り出した。
そんな時、扉の隙間から滑り込むように先輩が小部屋に入ってきた。
「え、先輩?」
その行動の意味が分からなくて、一瞬体の動きが止まる。
そんな私に構わず先輩は難しい顔をしながら私の傍に立った。
いぶかしむ私を尻目に先輩は、
「君は言わなかったんだね」
「え?」
言葉をぶつける。
「『石』のことさ」
「っ!!!」
*
それを聞いて、金縛りにあったように体が動かなくった。
心臓の鼓動が早い。痛いくらいに早鐘をうっている。
私は答えられなかった。
「もう一度聞く。君は彼に『石』の事を言わなかったんだね?」
「…………」
「一応言っておこう。『それ』は本物だ。間違いなく賢者の石だ」
心臓が一段と高く跳ねた。本物?本当に?
「……人を」
「ん?」
「その石は、人を甦らせる事が出来るって聞きました」
私の声は震えていたかもしれない。
「ああ」
短い肯定。実に先輩らしい。
「それなら……」
先輩はわかっていたんだろう。私が何を言いたいのか。
「言っておくが使うのは無理だ」
言葉を先回りされて否定された。でも何故だか、頭の何処かでその答えは予想していた気がする。
「『あれ』は、只の変換器だ。無限に、何の損耗も無しに物質を変換する。言ってしまえばそれだけだ。だから命を錬成するには別の命が必要になる。無から有は産み出すことは不可能だ」
「別の命……」
それはつまり。
(誰かを使えば別の命、もしくは死んだ人を甦らせることが出来る――?)
そんな考えを、私は刹那的ではあったが、抱いてしまった。きっとそれを先輩は見透かしたんだと思う。
「……あくまで、仮定の話だが」
先輩の表情は依然として硬いままだ。
「もし君が他の命のために誰かを使おうとした場合、ワタシは――全力で阻止する」
(!!)
その時の先輩は見たこともないような厳しい眼差しを私に向けていた。
「……」
言葉が詰まる。けれど、言わなくては。
「そんなことはしません。一秒もその事を考えなかったとは言いませんけど、それは間違いなく」
「人の道を外れている」
「そうです」
「――――ふっ」
しばらく無言のまま見つめあった後、先輩は軽く笑って。
「ならいい。それがわかっているならこれ以上私から言うことはない」
「え?」
その言葉に驚いた。
「なんだいその反応は。ワタシがウラドに告げ口するとでも?」
「いや、だって二人とも知り合いみたいだし、それに小部屋に入ってきたとき凄く怖い顔をしてたからてっきり…」
彼に石の事を教えなかったことを詰問されるものだとばっかり思ってた。
「……怖い顔、か。そうか」
先輩はひとりでにそう呟いて、なにやら思案し始めた。
「そんな顔がまだ出来るとわな」
「え?」
「いや何でもない。美味い紅茶を期待してるよ」
そう言って先輩は部屋を出て行った。
取り残される私。
それ以上の言葉は無くて。
ただ私は、しばらく独りで立ち尽くしていた。