第二話
――ルナフィア。貴女を私の聖女と認めます。
聖域内にいた者、全員の頭の中に、厳かな言葉が降りてきた。
間違いなく女神ルミエールだ。
教皇は歓喜した。実に五十余年ぶりの聖女誕生に立ち会ったからだ。
彼が先代聖女と出会ったのは十歳に満たない子どもの時だ。
美しく白く輝く聖女に見惚れてしまったのだ。
なんと神々しい、これが聖女か。
それ以来聖女に尽くし、いつの間にか三十歳で枢機卿という地位まで登り詰めた。
だがそれから間もなく、聖女は亡くなってしまった。
彼女は四十を超えていたが、寿命で死ぬにはまだまだ早い年齢である。
ただ聖女という激務が、彼女の寿命を蝕んでいたからだ。
彼女の遺言で、彼は教皇へと就いた。
それから三十余年、聖女になりうる者は誰もいなかったが、とうとう現れたのだ。
彼が初めて聖女と出会ったときと同様、ルナフィアは白く輝いていた。
その輝きは間違いなく、先代聖女と同じだ。
「おお……聖女様……」
彼はすぐさま、明後日の夜に街で聖女誕生のパレードを行う旨を周囲のものに命じた。
明後日の夜!?
いくらなんでも急過ぎだ。準備が到底間に合わない。
周囲は反対するが、教皇はここぞとばかりに熱弁をふるった。
彼が教皇についてから三十余年、つまり先代聖女が亡くなって以降、徐々に暗黒神の勢力に脅かされ続けていた。
ここで聖女誕生を知らせ、暗い雰囲気を吹き飛ばすのだ。
時間をかけて行うべきではない。
この慶事を国民に急いで知らせ、素早く聖女の姿を街中に見せる必要があるのだ。
こうして教皇以下、教会の幹部はパレードが始まるまで眠れなくなることが確定した。
そしてそれを憎々しげに見つめる聖女見習いたち。
彼女らは元下級貴族の令嬢や元平民だったが、ルナフィアより年上だ。
数歳の差だが、それでも彼女よりは先輩なのだ。
だがルナフィアの実家は侯爵家であり、下手に盾突くことはできない。
だからこそ、我関せず、を貫いていた。
「なぜ……」
「私たちだって一生懸命お祈りしていたのに……」
ルナフィアに言わせれば、真摯さが足りない、と言われるだろう。
実際、ルナフィアの祈りの時間は彼女たちより遥かに長かった。それでいて、教会の仕事もこなしている。
これは単に働き慣れていた、という理由もあるが……。
「そりゃあ前世では雑務から表計算、会議資料の作成から議事録作成、お茶出しまで、なんでもやってたからね」
そしてその日の夜と明日の夜は、パレードのため街中の宿に泊ることとなった。
これがルナフィアの、のちの命運を分けることになる。
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聖女誕生から一日経った晩のこと。
教会総本山の麓にある街中に、一体の黒い影が屋根から屋根へと飛び移っていた。
「聖女……だと? 忌々しい」
その影は憎々しげに呟く。
三十年前まで、聖女たった一人が張った結界により、暗黒神の侵攻が遅れに遅れたからだ。
だが聖女が死んだのち、真綿で首を絞めるように人間の国へと浸蝕していった。
この調子でいけば、あと数十年もすれば陥落できるだろう。
急いで落とす必要はない。ゆっくりと、愉悦に浸りながら徐々に苦しませるのが、最大の目的だからだ。
そう考えていた矢先に聖女誕生、という情報を得たのだ。
暗黒神から聖女誕生の神託を受けた真祖吸血鬼は、今のうちに襲うことを決意した。
いくら聖女とはいえ、誕生したばかりだ。力はないだろう。
「ここで人類を恐怖のどん底へ突き落とすのは、我ながらいい案だ」
彼が考えているのは、聖女を殺すことではなかった。聖女の血を吸い、眷属にすることだった。
ただ殺しただけでは、悲劇になるだけだ。数年もすれば、今と変わらなくなる。
しかし信じていた聖女が吸血鬼となり、人類へ襲い掛かればどうなるか?
止めの一撃になりうる。
ゆっくり苦しませるのもいいが、奈落へと突き落としたものを、甚振るのもまた愉しい。
聖女誕生という慶事から一転して、絶望へと変化した表情を今から見るのが楽しみだ。
「くくく……っと、ここが聖女の宿泊している宿だな」
屋根の上からでもはっきりと分かる、忌々しい女神ルミエールの気配。
だがこれからのことを考えるだけで、真祖吸血鬼の顔は愉悦に歪んだ。
宿へと侵入し、護衛を魔眼で眠らせ、聖女の寝ている寝室へと侵入する。
この辺りは、吸血鬼であればお手の物だ。
招かれないと入れない、という制限を持つ吸血鬼もいるが、真祖たる彼にそのような制限はない。
「さて、聖女どののご尊顔を拝もうではないか、くくくっ。起きろ」
「……はい」
寝ているルナフィアに対し支配の魔眼を使い、あっさりと支配下においた。
それに拍子抜けする真祖吸血鬼。
聖女とはいえ、まだ誕生したばかりだからな。それに、まだ子どもではないか。
「美しくはあるが……少々幼いか」
可能ならば持ち帰って家でゆっくり、少しずつ血を吸い、自分が吸血鬼に変わっていく恐怖を味わせたい。
しかし、今回ばかりはそうはいかない。早く聖女を堕とす必要があるのだ。
何せ明日の夜はパレードであり、そこで暴れさせてやれば……。
ふふっ、今から想像するだけで愉しいではないか。
「では、いただきます」
きちんと両手を合わせて、暗黒神に祈る。
そして、かぷっとルナフィアの首筋へと嚙みついた。
途端、聖女の血が真祖吸血鬼の身体を焼いた。
それは暗黒神の僕である彼にとっては猛毒だ。
「ぐっ!? だが耐えられなくは……ない」
並みの吸血鬼では、おそらく数秒待たずして浄化されただろう。
だが彼は暗黒神の強力な加護で守られた真祖吸血鬼だ。力を振り絞り、吸血をする。
そして一分後、どうにか血を全て飲み干すことに成功した。
これで、聖女は吸血鬼へと堕ちる。
「さあ目覚めよ。そして名を言うがよい」
「……おじさん誰よ? もしかして変質者?」
「誰が変質者だ!!」
ルナフィアも寝ぼけているのか、未だ夢と区別がついていない様子だ。
そして徐々に意識が覚醒していくと同時に、異変に気が付いた。
まず身体がおかしかった。
ここ最近聖女としての仕事が忙しかったせいか、ずっと身体が重かったけど、今日はやけに軽い。
今なら百メートルを十秒台で駆け抜けられそうだ。そんなに速く走れれば、十分オリンピックで金メダルを狙えるが。
いやそれよりも、目の前にいるおじさんは誰だ?
ここにきて、ようやく状況を判断するルナフィア。
「!? きゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「ぐあっ!?」
ぱしーん、と思わず変質者のほっぺを殴りつけた。
すると、自分でも驚くほどおじさんが吹っ飛んでいった。
「へっ?」
思わず自分の手を見てしまうが、特段変わった様子はない。
そして吹き飛んだおじさんを見る。
今は夜であり室内も暗いはずなのだが、まるで昼間のようにくっきり見えた。
「どういうこと?」
もしかしてもう朝を迎えたのかと思ったが、窓の外を見てもやはり暗かった。
かなり強く壁に当たったはずなのに、おじさんはダメージを受けていないように、立ち上がった。
でもなぜかルナフィアを見て驚愕している。
「なっ、なぜ!?」
「何が、なぜ、よ! 夜更けすぎに乙女の部屋に侵入している時点で、どこからどうみても不審者だよ!! 殴られるのは当たり前じゃない!!」
これには一瞬真祖吸血鬼も、納得しかけた。
「き、貴様はすでに我の眷属だ! 眷属が親に向かって殴るとは何事だ!」
「誰が親よ! 私の親はちゃんと他にいるわよっ!!」
殆ど会ったこともないけど、一応ルナフィアだって親はいる。
互いにふーふー言いながら、にらみ合う。
そして気が付く。
これだけ騒いでも誰一人部屋に入ってこない。護衛はどうしたのか?
いやそれよりも、胸にかけてあるシンボルが、なぜか痛い。
はっと思い直し、すかさず祈るものの、女神からの答えが返ってこない。
いつもならば、すぐ返事があるのに。
これはおかしい。
「女神様! ルミエール様!!」
必死で祈りを捧げるルナフィアを見て、真祖吸血鬼の顔がゆがんだ。
「はっ、貴様はすでに吸血鬼となった。ルミエールへの祈りなど届くはずがないわ」
「吸血鬼? え? うそ? 本当に?」
それは本当だろうか?
吸血鬼、というより暗黒神のことは教会の教育で何度も聞いた。
ルミエールと対立する悪神だ。
なぜ自分が暗黒神の僕である吸血鬼なのか。
混乱しつつも必死で祈りを捧げる。
「ルミエール様! お願い、返事して!!」
届かない祈りがこれほど心細いとは思わなかった。
思えば幼少のころから、ルミエールの御力を使ってきたルナフィアにとって、女神は家族以上の存在だ。
それが感じ取られない。
思わず目から涙がこぼれ落ちていく。
「ルミエールさま……お願い……」
泣きながらも祈りを捧げている姿を見て、真祖吸血鬼が勝ち誇ったように、ルナフィアの腕を掴んだ。
「まだ貴様は不十分と見える。明日の夜まで、じっくりと吸血鬼としての存在を教え込んでやろう」
彼の言葉は、ルナフィアにとって恐怖だ。
心が拒否反応を起こした。
「い、いやぁぁぁ、ルミエールさま!! 助けて!!」
と、その時だ。
霧が一部晴れたかのように、ルミエールと繋がった……気がした。
胸に飾ったシンボルが、白く輝きだす。
それと同時に、ルナフィアの身体から莫大な聖の力が溢れ出した。
「な、なに!?」
掴んだ手が一瞬で塵となっていく。
それに呼応するように、先ほどルナフィアから吸い取った血が、彼の身体のうちから暴れ出した。
このままでは危険だ。
一瞬でそう悟った彼は、一目散にここから逃げようとした。
しかし……身体が思うように動かない。
「ルミエール様!!」
「がっ、はぁぁぁぁぁ!!」
ルナフィアが再び祈りを捧げると、内部から聖なる力が真祖吸血鬼の肉体を打ち破って、外へと溢れ出した。
女神ルミエールの浄化だ。
普段の彼ならば、ここから逃げることもできただろう。
しかし先ほど飲んだ、彼にとって毒となる聖女の血が、身体の内部で暴れまくっていた。
それに加え、ルナフィアから発せられている聖の力が外からも襲い掛かっている。
「ば、ばかなっ……」
やがてそれは彼の身体を包み込み、塵へと変わっていく。
彼が最後に見た光景は、半分溶けた身体にも関わらず、泣きながら祈りを捧げているルナフィアの姿だった。




