表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/13

5話 佐々木さん

 放課後。

 チャイムの余韻がまだ耳に残る中、俺は校門を抜けた。

 向かう先は、バイト先の本屋だ。


 店の裏口から入り、簡素なバックヤードで制服を脱ぐ。

 ハンガーに掛け、用意していた私服に袖を通した。

 エプロンを身につけて、売り場に出る。

 

「店長、お疲れさまです」

 

 すると奥から、店長の短く「お疲れ」とだけ返事が返ってくる。


 静かな作業場で、段ボールを開けるカッターの音だけが響く。

 どうしても思い出してしまう。昼休み、あの薄暗い階段で、天瀬さんと馬鹿みたいに笑い合ったあの時間を。


「お疲れさまです」

 

 先に作業をしていた大学生のバイトの先輩、佐々木さんに声をかける。

 佐々木さんは、入荷したばかりの新刊を棚ごとに仕分けながら、こちらを振り返った。

 

「あ、高梨くんお疲れー。……ん、あれ?」

 

 佐々木さんは作業の手を止め、俺の顔をじっと覗き込んできた。

 

「なんですか、人の顔じろじろ見て」


「いや……今日さ、なんか雰囲気違わない? いつもは学校で魂抜かれてきました。みたいな死んだ魚の目してるのに。今日はなんだか、顔が緩んでるっていうか」


 俺は咄嗟に視線を逸らし、エプロンの紐を結び直した。自分ではいつも通りのつもりだったが、そんなに顔に出ていたんだろうか。

 

「別にいつも通りですよ。普通に学校行って、普通に来ただけです」

 

「嘘だぁ。なんか良いことあったでしょ。宝くじでも当たった? それとも、誰か可愛い子にでも道聞かれた?」

 

 佐々木さんはニヤニヤしながら、台車を俺の横に寄せた。

 この人は勘が鋭いから、適当に流さないと面倒なことになる。


「でも、良いことあったんでしょ? 」


 俺の頬が少し熱くなる。昼休みにあの階段で天瀬さんと笑い合ったことを思い出す。

 

「……まあ、ちょっとだけ、そんな感じです」

 

「やっぱりねー。顔に出てるもん、見ればわかる」


「え、俺ってそんなに顔に出てます?」


「もうね、いつもは『立ち入り禁止の看板』みたいに人を寄せ付けない顔してるのに、今日は『期間限定・全品半額セール中!』ってくらいオープンな顔してる。隠したって無駄だよ、高梨くん。運命の出会い? それとも、道端で一万円札の束でも拾った?」


 俺は照れ隠しに、一番近くにあった雑誌の束を掴んで棚に押し込んだ。

 

「ただ少し、世界が明るく見えただけです」


「うわ、何それ。急にポエミー!」

 

 佐々木さんは一拍置いてから、盛大に吹き出した。

 

「重症じゃん! なにその思春期全開コメント!」

 

 笑いながら、バシバシと俺の背中を叩いてくる。


「どうせ、友達か恋愛関係なんでしょー?」


 ……ばれてらぁ。


 返す言葉が見つからず黙り込んだ俺を見て、佐々木さんは満足そうに頷いた。

 

「いいよいいよー、高梨くん。青春してるねぇ! お姉さん嬉しいよ」


 少しだけ声を落として、柔らかく続ける。

 

「その明るくなった世界、大事にしなよ?」

 

「急に優しくなるのやめてください」

 

「たまにはね。お姉さんだから」


 佐々木さんはそう言って、いたずらっぽくウインクをした。

 この人は、時々こういう風に核心を突いてくるから油断できない。

 俺は誤魔化すように、入荷したばかりの文庫本の山を台車から抱え上げた。

 

「……大事にしますよ。壊さないように、慎重に」

 

「あ、今の台詞もちょっと甘酸っぱい! メモしとかなきゃ」

 

「もう、いいから仕事してください」

 

 ひらひらと手を振って、佐々木さんはレジの方へと戻っていった。

 バックヤードに一人残された俺は、小さく息を吐く。


 休憩室。

 スタッフルームの隅にあるテーブルで、俺たちは向き合っていた。

 佐々木さんはカップのカフェオレを手にしているが、さっきから一口も飲んでいない。

 俺はペットボトルの茶を一口飲み、小さく息を吐いた。

 

「というか、佐々木さんこそさっきからどうしたんですか」


「え、私? 何が?」

 

「何がって……。明らかに上の空ですよね」


「あー……。バレた? 高梨くんの『ポエム発言』を弄り倒して楽しもうと思ってたのに、ちょっとそれどころじゃない事態が発生しちゃって」

 

 テーブルの上に置かれた彼女のスマホが、さっきから「ブブッ、ブブッ」と断続的に、かつ執拗に震えている。


「さっきからそのスマホ、通知が来すぎて自意識を持ったルンバみたいに動き回ってますよ。いいんですか?」

 

 俺が指摘すると、佐々木さんは「ちっ」と小さく舌打ちをして、ようやく自分のスマホを手にした。画面には、メッセージアプリの通知が滝のように流れ込んでいる。

 

「これを見なさいよ、高梨くん。元カレから『今日会える? 会いに行ってもいい?』っていう地獄からの招待状が五分おきに届いてるわけ」

 

「……うわぁ、それは……。ご愁傷様です」

 

「でしょ? だから、私まで『死んだ魚の目』になりそうなの。高梨くんが眩しい世界に旅立とうとしてる横で、お姉さんは泥沼に引きずり戻されそうになってるのよ。不公平だと思わない?」

 

 佐伯さんは手に持っていたバーコードスキャナーを、まるで自分に向けられた銃口のように虚しく眺めた。

 

「……だから、さっき急に優しくなったんですか。壊れやすいから大事にしろ、とか」

 

「そう。自分のがバッキバキに壊れてるから、せめて他人のくらいは守ってあげようかなーって。……まあ、半分は現実逃避だけどね」

 

 そう言って自嘲気味に笑う佐々木さんの顔は、いつもの余裕たっぷりな姿とは少し違って、なんだか年相応の大学生に見えた。


「こっちはね、別れる時に『君は一人でも生きていけるから』っていう、全人類の元カレが使うテンプレ台詞で振られてるのよ! なのに今さら『やっぱり君がいないと』なんて通知を送ってくるその指、全部もやしに変えてやりたい!」

 

 佐々木さんは立ち上がり、拳をぎゅっと握りしめた。テーブルの上のスマホは、相変わらず「ブブッ、ブブッ!」と命乞いをするかのように震え続けている。

 

「いい? 来たら私が一発ぶん殴る。高梨くんはその隙に、防犯カメラの映像を消去。……完璧なプランじゃない?」

 

「全然完璧じゃないです。俺を共犯者にしないでください」

 

 売り場に戻って五分。自動ドアが開いた瞬間、佐伯さんの背筋が氷柱のように凍りついた。

 

「……来た」


そこに立っていたのは、前髪が目にかかるほど長く、いかにも「夜の公園でギター弾きながら愛を語りそう」な男だった。

 

「……いた。詩織、話を聞いてくれ!」

 

 男が切なげな声を上げて駆け寄ろうとした瞬間、佐々木さんは営業用スマイル(殺意100%)を顔面に貼り付け、恐ろしい速度で男の胸ぐらを掴んだ。


「あ、いらっしゃいませー。お客様、当店は『過去のゴミ出し』は承っておりませんが、特別に裏口で処分して差し上げますね」

 

「えっ、あ、ちょ、詩織……!?」

 

 佐々木さんは男をずるずると引きずり、驚異的なパワーで裏口のドアを蹴破って外へ出た。俺はパニックになりつつも、店長にバレないよう清掃中の看板を立てて後を追う。

 裏の搬入口に出ると、そこには夕闇の中で対峙する二人の姿があった。

 

「あのさ、俺、やっぱり沙織じゃないとダメだって気づいて――」

 

「黙れ。その口を開くたびに世界の酸素が汚れるんだよ」

 

 佐々木さんの冷徹な一言がナイフのように刺さる。

 男が「でも!」と一歩踏み出したその時、佐伯さんの右拳が空を切った。

 

「――っらぁ!!」

 

「ごふっ!?」

 

 綺麗なストレートが男の腹部にめり込む。

 物理の法則を無視したような衝撃に、ひょろい男の体は「く」の字に折れ曲がり、足が地面から浮き上がった。そのまま後ろへ数メートル吹っ飛び、搬入口に積まれた空の段ボール箱に突っ込む。

 

「一発ぶん殴ったから、これで貸し借りなし! 二度と私の視界に入るな! あんたみたいな汚れた本はね、うちの棚には一分一秒だって置いとけないの。さっさとどっか行きな!」

 

「ひっ、ひいいいっ! 変わってない、やっぱり詩織は怖すぎる……!」

 

 男は涙目で逃げ去っていった。その逃げ足の速さは、捕食者から逃れる小動物のそれだった。

 

「……ふぅ。スッキリした」

 

 佐々木さんがパチンと指を鳴らしていた。

 乱れた髪を整え、何事もなかったかのように俺を振り返った。

 

「さ、戻ろ。明るい世界を邪魔する邪気を、お姉さんが掃除しといたから」


 さっきまでの闇落ちしたオーラはどこへやら、今の彼女は「よし、今日も良い仕事した!」と言わんばかりの、実に爽快な笑顔を浮かべている。

 

「戦慄してます。佐々木さんを怒らせるとこうなるんだなって、身を以て理解しました」


「失礼だなぁ。そんな野蛮な人みたいに言わないでよ」


 佐々木さんは、殴ったばかりの右手を後ろに隠し、小首を傾げて可憐な笑みを浮かべた。

 さっきの「っらぁ!」という気合十分な掛け声が幻だったかのように、その仕草は女の子らしい。

 

「今の、見てたでしょ? 私はあくまで、迫りくる害虫を優しく追い払っただけ。……ね? これくらい、普通のお姉さんの嗜みだってば」

 

「……その嗜み、威力高すぎませんか? 一瞬、男の人がくの字に曲がって宙に浮いてた気がするんですけど」


「というか、そもそも高梨くんの見間違いじゃない? 今の、ただの『強めのボディタッチ』だよ? 女の子がちょっと照れて、肩とかをポカポカ叩いちゃうアレの延長線」

 

「延長線が長すぎます。肩じゃなくて鳩尾に入ってましたし、音も『ポカポカ』じゃなくて『ドゴォッ』でしたから」

 

「やだなぁ、気のせいだよ。私みたいな清楚な書店員が、人の腹にストレート叩き込むわけないでしょ。きっと高梨くんの目が、本の読みすぎでファンタジーと現実の区別がバグっちゃったんだね。可哀想に」


「……バグってるのは佐々木さんの清楚の定義の方だと思います」


 俺が呆れて肩を落とすと、彼女はクスクスと笑いながら、店内へと戻った。

 何事もなかったかのようにレジで「いらっしゃいませー」と可憐な声を出し、棚の整理をこなしている。さっき男を宙に浮かせた右拳で、今は丁寧に新刊を並べているのだから、世の中の「清楚」という言葉は一度辞書で引き直したほうがいい。

 ようやくシフトが終わり、着替えを済ませて外に出る。

 

「あ」

 

 自転車を漕ぎ出そうとした時、制服のポケットに違和感を感じて手を突っ込んだ。

 指先に触れたのは、小さな銀紙の感触。

 

 ――天瀬さんからもらった、チョコだ。


 自転車の片手でハンドルを握ったまま、立ち止まってその包みを解く。街灯のオレンジ色の光に照らされて、小さなチョコレートが顔を出した。

 口に運ぶと、ひんやりとした甘さがゆっくりと溶け出していく。

 

「……あ、甘い」


 俺はペダルを力強く踏み込み、家路につく。

 街灯が灯り始めた並木道。

 風に舞う桜の花びらが、加速する俺の横をゆっくりと追い抜いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ