2話 第一号
「……なんで、こうなるんだ」
誰に向けたわけでもない独り言が、風に流れる。
数分後。
「お待たせー!」
弾んだ声と一緒に、天瀬が戻ってくる。
腕には、弁当袋を持って。
中庭の隅に置かれたベンチは、昼休みのわりに空いていた。
曇り空のせいか、外で食べている生徒はほとんどいない。
「ここ、座ろ」
天瀬が何の迷いもなく腰を下ろす。
俺は一瞬だけ間を置いてから、少し距離を空けて隣に座った。
――近い。
意識した瞬間、余計に落ち着かなくなる。
普段なら、こんな距離で誰かと昼飯を食べることなんてない。
弁当箱を開いた俺の手元を、天瀬が興味深そうに覗き込んできた。
「それ、高梨くんが作ったの?」
「そう」
「え、すごっ」
間髪入れずに返ってきた。
「料理できるんだ!」
「別に大したものじゃないよ」
実際、特別なことはしていない。
卵焼きと、野菜炒めと、冷凍食品が少し。
「母子家庭だからさ。たまに、自分で作るんだ」
天瀬は即座に声を上げる。
「え、私もだよ! だから、私も自分で作ってるよ!」
そう言って、自分の弁当箱をぽん、と叩く。
「今日は、その日!」
ふふん、と得意げな顔。
「……そうなんだ」
天瀬の弁当箱が開く。
中には、彩りのいいおかずがきれいに詰められていた。
「どう? それっぽいでしょ」
「うん……美味しそう」
「でしょ?」
満足そうに笑う。
境遇が似ているとか、そんなことを意識する前に、ただ会話が続いていることが、不思議だった。
箸を取る音が並ぶ。
天瀬は自分の弁当箱に箸を伸ばしかけて、ふと俺の方を見た。
「その卵焼き、食べてみたい」
言われて、俺は一瞬だけ箸を止めた。
たった一切れ。断る理由なんてない。
けど、誰かに自分の弁当をつままれる、という状況に慣れていなかった。
「あ、こういうの嫌だったら全然いいからね」
慌てて言い繕う感じでもなく、軽い笑顔で。
「大丈夫だよ、どうぞ」
そう答えると、天瀬はぱっと表情を明るくした。
「ほんと? ありがとう」
天瀬は自分の箸を伸ばして、俺の弁当箱の中から卵焼きを一切れつまんだ。
迷いがない。
そのまま口に運ぶ。
もぐもぐ、と数秒。
それから、ぱっと顔が明るくなる。
「おいしい!」
即答だった。
「甘すぎなくて、ちょうどいい!」
感心したように言ってから、にっと笑う。
「じゃあ、今度は私のも食べてみて」
天瀬は自分の弁当箱を、俺の方へ少し押し出した。
「はい、どうぞ」
「……いいのか」
「いいよ。交換ね」
俺は少しだけ迷ってから、箸を伸ばす。
どれを取るべきか一瞬悩んで、端にあった小さな唐揚げをつまんだ。
口に運ぶ。
「……」
思わず、動きが止まる。
「どう?」
天瀬が身を乗り出す。
「……おいしい」
「でしょ!」
ぱっと笑顔になる。
「味、濃すぎないようにしてるんだ」
「料理上手なんだね」
照れたように笑う天瀬を見て、俺は箸を持ったまま一瞬だけ言葉に詰まった。
なんで、こんな普通に昼飯を一緒に食べてるんだ。
ついさっきまで、誰にも邪魔されず一人で過ごすつもりだったはずなのに。
「ねえ、高梨くんってさ、部活とか入ってるの?」
天瀬が弾んだ声で尋ねてくる。
「いや、何も」
正直に答えると、天瀬はふーん、と軽く唸ったような声を漏らす。
「天瀬さんは、部活入るの?」
唐突に聞くと、天瀬は少し首をかしげた。
「うーん、どうしようかなって感じかな。昨日ちょっと体験見て回ったんだけど」
「へえ、どこ見たの?」
「運動部、文化部とか色々。ちなみに、中学の頃はバスケやってたよ」
楽しそうに話す天瀬の横顔に、思わず箸を止めて見入る。
「そうなんだ。結構活発なんだね」
「まあ、好きなことは楽しみたいし!」
にこっと笑う天瀬を見て、俺は箸を持ったまま少し言葉に詰まった。
どうしよう、何か話さなきゃ。でも、何を話せばいいんだ……。
「あ、あのさ」
「ん?」
「……天瀬さんって、目玉焼きには醤油かける派?」
バカか、俺は。
この状況で、なぜ目玉焼きの好みを調査しているんだ。もっと他に聞くべきことは山ほどあるだろう。
天瀬さんは一瞬きょとんとした後、こらえきれないといった様子で吹き出した。
「ふふっ、あはは! 何それ、急に」
「いや、その……なんとなく気になって」
「私は醤油かな。高梨くんは?」
「……俺も。醤油」
「あはは、一緒だ。ねえ、高梨くん。そんなに顔を真っ赤にしてまで聞くこと?」
彼女は可笑しそうに笑いながら、僕の顔を覗き込んできた。
醤油派かどうかなんて、もうどうでもよかった。ただ、隣り合う肩から伝わってくる熱気のせいで、頭の中が真っ白になっていた。
「じゃあ、高梨くんは、黄身を最初に潰す派? それとも最後まで残しておく派?」
「それは……最後、かな」
「それも同じだ! なんだか気が合うね」
天瀬はにっと、ちょっと嬉しそうに笑った。
その笑顔はまぶしくて、少し目を逸らしたいくらいだったけど、つい見つめてしまう。
曇った空を見上げたまま、俺は弁当箱を閉じかけていた。
その時だった。
「陽菜ー!」
中庭に、よく通る声が響く。
天瀬が顔を上げて、ぱっと表情を明るくする。
「あ、来た」
軽く手を振ると、校舎側から女子が一人こちらに向かって歩いてきた。
「なにしてたの? 教室いなかったし、探したんだけど」
そう言いながら近づいてきて、そこでようやく俺の存在に気づいた。
「……あれ?」
一拍置いて、視線が揃ってこちらに向く。
「……あの、誰?」
友達が俺を見て問いかける。
「えっと、高梨くん! 昨日、階段で助けてもらった人」
「へえ……」
興味津々な視線が飛んでくる。
「で、今日一緒にお昼?」
……俺の居心地は一気に悪化。
転校二日目で、もう友達ができているなんて。
俺はまだ一人だというのに。
天瀬が友達に笑顔で振り向く。
「この子は美咲」
軽く手を振る。
「東条美咲です。よろしくね、高梨くん」
「……あ、はい。よろしく」
喉の奥で引き攣ったような声。我ながら情けない。
早くこの場から立ち去りたい。そう願った矢先、東条さんが楽しげに目を細めて爆弾を投下した。
「ね、陽菜のこと、どう思う?」
あまりにも直球すぎる質問に、喉が一瞬で凍りついた。
「えっ、ちょっと美咲!?」
天瀬が慌てて突っ込む。
——おい待て。
ここで何を答えるのが正解なんだ?
俺は答えに詰まりながら、正直に思ったことが頭をよぎる。
――明るくて、距離感が近くて。
それでいて、妙に踏み込みすぎない。
「……いい人、だと思う」
無難すぎる回答。
「ふーん?」
「ほら、困ってるじゃん」
天瀬が、俺をかばうように割って入る。
「そういうの、得意じゃないんだって」
……なぜ、そこまで分かる。
ちょうどそのとき、予鈴が鳴った。
「あ、もう終わりだ」
「邪魔しちゃ悪いし、私は先戻るね〜」
「ちょ、ちょっと美咲! 変な言い方しないで!」
東条が校舎へ戻っていく。
残されたベンチで、俺は小さく息を吐いた。
「……友達、もうできたんだね」
思ったより、素直に口から出た。
「うん。幼馴染だけどね。すごくいい子なんだよ」
それから、少しだけ首を傾げる。
「高梨くんは?」
「……いない」
間を置く余裕もなく、答えは即座に出た。
嘘をつく理由も、飾る必要もなかった。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、天瀬の表情がぱっと花開く。
「じゃあ、私が友達第一号だね!」
「え……?」
天瀬は満面の笑みを浮かべて、そう宣言した。
ひまわりが咲いたような、一切の濁りもない笑顔。
そんな無防備な笑顔を向けないでほしい。
そして軽やかな足取りで、ベンチを離れ、校舎へ向かって走り出す。
「またねー!」
手をひらりと振る天瀬。
その声だけが、曇り空の中庭に軽く残った。
「友達……」
落ち着け、高梨。たかが昼飯だ。
隣に座っていた天瀬の笑顔が頭に浮かぶたび、胸が変にざわつく。
妙に気まずいわけでも、嫌な感じでもないのに、なんだこの感覚……。
風が少し吹くだけで、心臓が跳ねるような気がした。




