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12話 夜ノ森さんは中二病

  寝不足気味の頭を抱えながら、俺は学校の渡り廊下を歩いていた。天瀬さんの体調はどうなっただろうか。

 そんなことばかりが頭を占領していると。

 

「止まりなさい。そこに運命の欠片を持つ者がいると、我が魔眼が囁いているわ」


 ……え?

 唐突に投げかけられた、芝居がかった声。

 立ち止まって視線を向けると、そこには一人の少女が立っていた。

 

 同じ学校の制服を着てはいるが、その姿はあまりに異質だった。

 左目には不自然なほど真っ白な眼帯。右手には何重にも巻かれた包帯。そして、この季節には不釣り合いなほど長い漆黒のマント……いや、マントに見えるようなストールを羽織っている。


 顔立ちは整っているが、その装飾のせいで中二病的なオーラが凄まじい。

 

「……あの、何か用ですか?」


 俺が戸惑いながら、敬語を混ぜて声をかける。すると彼女は「ふっ」と口角を不敵に上げた。そして、包帯の巻かれた右手で仰々しく顔を覆いながら、くくくと喉を鳴らす。

 

「名乗るほどの名はないわ。強いて言うなら……この灰色の世界を監視する『静寂の観測者サイレント・オブザーバー』。あるいは」

 彼女はバッと腕を広げ、髪をなびかせながら言い放った。


「夜ノよのもり れい! さあ、貴方の持つ『力』、私に見せなさい!」


 …………。

 

 なんだろう。朝から、ものすごくキャパオーバーな人物が目の前に現れた気がする。

 

「人違いじゃないか? 俺には、そんな見せられるような力なんてないぞ」


「ふっ、とぼけても無駄よ。貴方のその眼下に刻まれた、その色濃き『禁忌の紋章』……。ただの一般人に隠しきれるものではないわ。さあ、その身に宿した真の姿を現しなさい!」


「いや、紋章も何も、ただの寝不足なんだけど……」


「ククク、それこそが覚醒の前兆……『深淵の侵食』。貴方もまた、こちら側の住人というわけね」


 満足げに頷く夜ノ森さんの瞳は、どこまでも本気だ。


「焦らなくていいわ。まずは貴方の名を聞かせなさい。私の魔導書に刻むに値する存在かどうか、見極めてあげる」

 

「名前……? 高梨だけど」


「タカナシ……。ふっ、偽りの名ね。だがいいわ、今の貴方はその名で世界を欺いているというわけね」

 

 俺がどうにかしてこの場を立ち去ろうと一歩後ずさると、彼女はストールを翻して、俺の行く手を遮るように立ちはだかった。

 

「待ちなさい。まだ私と貴方の盟約は結ばれていないわ」

 

「盟約って、何の話だよ……」


「やはりそのレベルの侵食ともなれば、生身の肉体には負担が大きすぎるようね」

 

 夜ノ森さんは、俺の目の下のクマをまじまじと見つめながら、どこか同情すら含んだような溜息をついた。

 

「……だから、ただの寝不足だって」

 

「心配しなくていいわ。選ばれし者として、貴方を破滅へ向かわせるわけにはいかない。これを受け取りなさい」

 

 彼女は翻したストールの内側から、恭しく一本の小瓶を取り出した。

 

「これは……?」

 

「古の英知が結晶化した聖薬エリクサー。濁った視界を浄化し、精神を研ぎ澄ます効果があるわ」

 

 手渡されたのは、どこからどう見ても市販されている栄養ドリンクだった。

 しかも、ご丁寧にラベルの上から黒いビニールテープが巻かれ、怪しげな銀色のペンで幾何学模様……彼女の言うところの『魔方陣』が描かれている。

 

「中身、これ普通のドリンクだよな?」

 

「世を忍ぶ仮の姿に惑わされてはダメよ。さあ、それを飲み干し、再び真理を見通す力を取り戻すの」

 

 彼女は自分の眼帯にそっと手を置き、まるで偉大な使命を果たしたかのような清々しい表情を浮かべている。

 ……律儀にラベルまで隠して……。こいつ、本気でやってるのか、それともめちゃくちゃいい奴なのかどっちなんだ。


「……じゃあ、ありがたくいただくよ。……夜ノ森さん、だっけ」

 

「ふっ、私の名を口にするとは……相応の覚悟があるようね。いいわ、高梨――いえ、不眠の守護者。貴方の行く末、この私が見届けてあげる」


 勝手に変な二つ名をつけられ、俺はまた深くため息をついた。けれど、手に持った聖薬という名のドリンクの重みが、妙に今の俺には心強かったりもする。


 キンコーン、カンコーン……。

 絶妙すぎるタイミングで、校舎内に授業の始まりを告げる予鈴が鳴り響いた。

 

「あっ……」

 

 その瞬間、夜ノ森さんの体がびくんと震えた。さっきまで不敵に笑っていた表情が一変し、眼帯のない方の右目が、泳ぐように左右へ揺れる。

 

「ク、ククク……っ。どうやら時空の歪みが臨界点に達したようね。運命の歯車が、私を呼び戻そうとしているわ……!」

 

「……ただのチャイムだろ。早く教室行かないと遅刻するぞ」

 

「違うわ! これは選ばれし者のみに聞こえる終わりの鐘……。今は退くけれど、忘れないで。禁忌の紋章を持つ者よ。我らの魂が再び共鳴する日は近い……!」

 

 夜ノ森さんは、バサッと漆黒のストールを翻した。そのままの勢いで、廊下の向こうへと全速力で走り出す。

 ……が、その去り際。

 

「わわっ!?」

 

 誰もいないところで自分のストールの端を自らの足で踏みそうになり、派手にたたらを踏んでいた。慌てて体勢を立て直し、一度も振り返ることなく角を曲がって消えていく。

 

「…………」

 

 嵐が去った後のような静寂が、廊下に戻ってくる。

 俺の手元には、黒いビニールテープで魔改造された栄養ドリンクが一本。

 

 ……あいつ、絶対いい奴だよな。

 

 ドタバタと走り去る足音を聞きながら、俺は思わず口角を緩めてしまった。

 ふと、彼女がたたらを踏んだあたりに、何か薄っぺらなものが落ちているのが見えた。

 

「……? あいつ、何か落としたぞ」


 俺は歩み寄り、床に落ちたそれを拾い上げる。

 それは、フェルトで作られたいびつな形のお守りだった。  

 漆黒のストールの裏側に安全ピンで留められていたようだが、針が少し歪んでいて、走った拍子に外れてしまったらしい。


 そういえば……あいつの校章、赤色だったな。

 去り際に翻った彼女の制服。その襟元に光っていたのは、一年生を示す赤色の校章だった。二年の俺は青、三年の先輩方は緑。

 放課後にでも一年生のフロアに顔を出してみるか。

 俺は拾い上げたお守りを、制服のポケットにそっとしまい込んだ。


 放課後。

 俺は、ポケットに入れたままのお守りを返すため、一年生のフロアへと向かった。

 全ての教室を覗いてみたが、すでに大半の生徒は下校したか部活に向かったあとで、夜ノ森さんの姿はどこにもなかった。

 

「あいつ、どこ行ったんだ?」

 

 廊下で掃除をしていた女子生徒に声をかけてみる。

 

「あの、夜ノ森さんってどこにいるか知ってる?」

 

「え、夜ノ森さん? ……ああ、れいちゃんね。あの子なら、多分もう部室に行ってると思いますよ。ほら、あの子演劇部だから」


 演劇部。

 なるほど、と妙に納得してしまった。あの徹底したキャラ作りといい、芝居がかった台詞回しといい、あの少女にとって学校生活そのものが舞台のようなものだったのかもしれない。

 教えてもらった女子生徒にお礼を言うと、とりあえず演劇部の部室へと向かう。

 部室の扉の前まで来ると、中から何やら必死な声が漏れ聞こえてきた。


「……ない。どこにもない……っ」


 そこには、床を這いつくばって必死に何かを探している夜ノ森さんの姿があった。

 だが、その様子はおかしい。さっきまでの不敵な態度は消え失せ、眼帯をずらし、大粒の涙をボロボロとこぼしている。


「れいちゃん、落ち着いて。ほんとにどこにやったのさー」

 

 その隣では、他の女子生徒が、一緒になって必死に床を覗き込んでいた。

 

「……これ、探してるの?」


 俺が扉を開けて声をかけ、手のひらの上にお守りを載せて差し出す。

 すると、夜ノ森は「ひゃいっ!?」と情けない声を上げて飛び上がった。

 弾かれたように勢いよく立ち上がると、慌ててずれた眼帯を直し、ボロボロとこぼれていた涙を手の甲で乱暴に拭った。


「な、ななな……っ! 貴方、なぜここに!? 聖域(部室)への侵入は禁じられているはずよ!」

 

 必死にいつもの不敵な笑みを作ろうとしているが、声が震えているし、鼻の頭も赤いままだ。何より、さっきまで床を這いつくばっていたせいで、膝のあたりが白く汚れている。

 

「いや、入り口が少し開いてたから。それより、これ」

 

 俺がもう一度、フェルトのお守りを差し出す。

 彼女の視線が吸い寄せられるようにお守りに固定された。


「あ……っ!」

 

 夜ノ森さんは弾かれたように俺に駆け寄ると、震える手でお守りをひったくるように受け取った。

 そして、それを両手で包み込むようにギュッと胸元に抱きしめ、深く、深いため息をついた。

 

「よかった……。本当によかった……っ」

 

 そこにはキャラ作りも設定も何もない、心底安堵した少女の素顔があった。



「……今日のことは、忘却の彼方へ葬り去りなさい! 貴方が『不眠の守護者』であっても、私の聖域プライバシーを侵すことは許されないわ!」

 

 彼女はバッとストールを翻して、いつものように傲然と言い放った。

 けれど、そのまま踵を返して去ろうとした瞬間。彼女の足がぴたりと止まった。

 

 背中を向けたまま、夜ノ森さんはお守りを握りしめた手をぎゅっと胸元に寄せた。

 

「……でも」

 

 消え入りそうな、小さな声だった。

 

「……その。……拾って、届けてくれたことだけは……感謝するわ。恩に着るわよ、タカナシ」

 

 振り返った彼女の顔は、ストールの端で半分隠されていたけれど。

 眼帯のない方の瞳が、ほんの一瞬だけ、年相応の少女のような照れくさそうな光を宿して俺を捉えた。

 

「行くわよ、アキ! 時空の歪みが閉じる前に!」

 

 今度は転ばないように、けれどさっきよりもずっと早い足取りで、彼女は部室の奥へと消えていった。

 

「あ、待ってよ、れいちゃん! ……もう、素直じゃないんだから」

 

 一人残された友達のあきさんは、苦笑しながら俺に向き直った。

 

「本当にありがとうございました。あれは、あの子にとってただのお守りじゃないんです。……弟のれんとくんが作った、唯一の形見だから」


「……形見?」

 

 少年の名と、それに続く重い言葉に、俺は思わず聞き返した。

 

「はい。れんとくん、れいちゃんが中学生の時に病気で亡くなってるんです。あのお守りは、れんとくんが入院中に一生懸命作ったもので……」

 

 アキさんは少しだけ寂しそうに目を伏せて、話を続けた。


「あの子があんな風に……ああやって変な設定で振る舞ったり、演劇に打ち込んだりしてるのも、理由があるんです。……あの子の弟、れんとくんが、そうやってお芝居をするれいちゃんを見て、すごく喜んでくれてたから」


 アキさんは少しだけ寂しそうに目を伏せて、話を続けた。

 

「れんとくん、病室であの子が演じる物語を聞くのが大好きだったんですよ。あの子が『私は闇の観測者よ!』なんて格好つけて見せると、いつも目を輝かせて笑ってくれて……。だから、あの子にとって今の姿は、れんとくんの笑顔を守り続けるための大切な約束みたいなものなんです」

 

 あの不自然な眼帯も、大袈裟なマントも。

 それは単なる痛い趣味などではなく、この世を去った弟との繋がりを守るための、彼女なりの切実な武装だったのかもしれない。


「……そっか。見つかってよかったよ」


 部室の奥からは、「アキ! いつまで敵勢力と接触しているのよ!」という、少し鼻声の混じった夜ノ森さんの怒声が聞こえてくる。

 俺は少しだけ目元を緩め、演劇部の部室を後にした。

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