幻想奇譚という名の導入文は∞を意味する
『幻想奇譚』とは、現実離れした不思議な話のことを指すが、
君らの言う異界側からすると、君の生きている世界の話こそが、
幻想奇譚であるという単純な真理を忘れてはいけない。
これは創作物が好きな神々と、
それに翻弄される人間(作家)たちの物語。
……
拝啓 異界の皆々様方
ごきげんよう。
君らの世界では、こういう挨拶が好まれるのかな?
俺の住んでるボロアパートに届いた一通の手紙は、
こんな感じではじまった。
はじめからおかしいと思っていたんだ。
たかだかフリーターの男のうちに、封蝋された真っ黒な封筒が届いた時点で。
あの時に気が付くべきだったんだ。
俺は仕事帰り、ボロアパートの郵便受けにポスティングチラシとは別に、その封筒があった。
宛先は俺宛
しかし切手は貼られていない。
そして差出人も書かれていなかった。
あの時、怪しんで捨てるべきだった。
しかし赤い封蝋に貴族のような紋章。
見ないという選択肢は俺にはなかった。
どきどきしながら、俺は封筒を開けた。
もちろんペーパーナイフのような洒落たものはないから。
包丁であけた。
真っ黒の封筒とは対照的に、真っ白の便箋が一枚入っていた。
そこには、見慣れない文字が書かれてあった。
「なんだこれ。日本語じゃないな」
俺がそう呟いた瞬間。
文字がぐにゃりと動いた。
そして、文字は日本語に変わった。
俺は驚きのあまりに、便箋を投げ捨てた。
5分の沈黙が流れた。
(がしゃん、ぶーん)
外で郵便配達の音がした。
俺は冷静さを取り戻す。
「疲れているんだろう。そんなはずはない」
そう俺は口に出した。
内的会話ではなく、たしかに口に出して言った。
俺は立ち上がり、投げ捨てた便箋を拾い上げる。
”拝啓 異界の皆々様方
ごきげんよう。
君らの世界では、こういう挨拶が好まれるのかな?
君はきっとこの手紙の奇妙さに怯え、投げ捨てるかもしれない。
しかし、その後、再び拾い上げる。
それは君という人間の、本来持っている好奇心の発露なんだよ。”
便箋には、そう書かれてあった。
「監視されているのか」
俺はそう呟き、窓のカーテンを閉める。
気味が悪い。
俺は続きを読みだす。
”きっと君はこういうだろう。
俺は見られているのか?
と怯えるだろう。
気味が悪いと思うだろう。
そしてそのセンスのない緑色のカーテンを閉めるだろう。”
なんだこれは。盗聴か、監視カメラでもつけられているのか?
俺は恐ろしくなって、口をふさいだ。
俺は恐ろしさと、好奇心の同居する不思議な感情のまま、
読み進めないという選択を忘れてしまった。
”
まぁ盗聴も監視カメラもないから、安心したまえ。
なにせ、
私は神だから。
”
そう書かれてあった。
なにが神だ。怪しすぎる。新手のカルトか?
そうだ検索しよう。
俺はそう思い、検索ワードを考える。
なににする。
監視されてる手紙
監視 手紙
ストーカー手紙
いやどれも適切ではない。
俺はふたたび読み進める。
”
まぁ神の世界のことは、検索してもわからないよ。
諦めて読み進めてみたまえ。
悪い話じゃないから。
この手紙はね。
ようはスカウトの手紙なんだ。
神の世界へのね。
そしてそのスカウトは要請ではない。
依頼でもない。
懇願でもない。
義務ではない。
しかし強制だ。
ただね。今晩だけ時間を上げよう。
恋人はいないよね。
でも好きな人はいる。
最後に告白でもして、
旅立つのはどうだろうか?
もちろん、どっちみち、別れが来るから、
君は失恋だ。
でも君は、告白して失恋した事がないだろ。
いい経験だと思うんだ。
ではまた明日
”
手紙はそこで終わっていた。
そしてそこまで読み切った瞬間。
便箋も封筒も、白い粉のようになって消えた。
そこには残留の粒子すらなく。
もとより存在がなかったと思うことしかできなかった。
俺は48歳フリーター。
今は飲食店で厨房の手伝いをしている。
厨房の手伝いと言っても、調理師の免許とかは持っていない。
彼女もいない。
でもたしかに好きな人はいる。
毎朝モーニングを食べにいく喫茶店のアルバイトの子だ。
あまり話したことはない。
でも一度だけ
カワイイ髪留めをしていたから、
「その髪留めカワイイね」
と言ったことがある。
「そうでしょ。これお気に入りなんです」
ととても素敵な笑顔を見せてくれた。
その日から、その髪留め姿の彼女をよく見るようになった。
俺はかれこれ5年ほどその喫茶店に通っている。
定休日を除く毎日だ。
決まった席はないが、だいたい隅っこの方で、同じ時間にモーニングを食べ、同じ時間に帰る。
マスターと顔なじみのような会話をすることもない。
ただ会釈するだけの仲。
その喫茶店はそんな連中の溜まり場だ。
そんな俺が、おしぼりと水をだしてもらい、注文し、モーニングを運んでくる。そして会計をする。
たった4段階の接点しかない彼女に告白するなんてありえない。
そう思った。
でも……
涙が止まらない。
この社会はクソだと思っていた。
ぜんぶ諦めてた。
でも、ゲームオーバーかもしれないって思ったら、
泣けてきた。
俺は通帳を見た。
残高は18万3891円だった。
俺はATMで3万円おろした。
そして3駅隣のファッションビルに向かう。
たしかここに女性向けの小物の店があるって聞いたことがある。
あっあった。
平日という事もあって、店は閑散としていた。
「いらっしゃいませ。お探し物ですか?」
と店員が聞いてきた。
ショートカットの30代くらいの女性だ。
香水のにおいがした。
どうしよう。手が震える。
でも……、
せっかくここまで来たんだし。
「……あのプレゼント。したいんです」
と俺は声をふりしぼった。
「お相手はどんな方ですか?」
と店員は尋ねた。
「喫茶店のアルバイトの子で、女の子。髪留めをプレゼントしたい」
と俺は言った。
「髪の毛は長めですか?」
と店員は尋ねた。
「そうです。なんか、まとめている?のか、そういう感じです」
と俺は言った。
「少々お待ちくださいね」
と店員は雑誌を持ってきた。




