小さなご令嬢、竜人庭師と花を交わす
「ほんとう、やってられないわ」
家庭教師の目を盗んで逃げだした。
いくら将来のためだからって、毎日毎日つくえにかじりついて、やんなっちゃう。
「お嬢様ぁー!」
脱走に気づいたのか、侍女が探し始めたようだ。
このままでは連れ戻されてしまう。
もっと遠くへ逃げなければ。
どこか簡単には見つからない場所......そうだわ。
そろりそろりと階段を下りて、物陰に隠れながら廊下を進む。
お父様の書斎の窓が開いているのを、わたしは知っているのよ。
「ここなら、かんたんには見つからないでしょう」
広い広い庭へと駆け出す。
色とりどりの花が咲き誇るすてきな庭園。
今までは、窓からしか見たことのなかった景色がいま、目の前に広がっている。
風に乗ってやってくる甘い香りが、心を穏やかにさせた。
「なかなかいいところね」
花壇を眺めながら歩いていると、誰かと目が合う。
じょうろで水をあげているその青年は、屋敷では見ない人だった。
「あなた、だぁれ」
「?」
彼はこちらに気づくとじょうろを置き、こちらに向き直る。
そして、丁寧にお辞儀をしたのであった。
「お嬢様!見つけましたよ!」
「げ、メアリー......今日は早いじゃない」
息を切らして現れたのは、侍女のメアリーだ。
「あら、ルキさん。すみません、お仕事中に」
「......☆/◎。○/↓●▲」
「それはよかったです。では、私たちは戻りますね」
彼の話す言葉は独特だった。
メアリーは理解しているようだったけれど。
彼女は、先生が待っていますよとわたしの腕を引こうとする。
「まってメアリー、この人だれなの」
「ルキさんですか? お嬢様はご存じなかったのですね。ティスリ―家の、庭師の方ですよ」
「ルキ?」
聞きなじみのない名前だ。言葉もよく分からないし、外国の方なのかしら。
どうすればいいかわからなくて、立ち止まっていると、ルキが微笑みかかけてきた。
「☆」
「ほらお嬢様も、ご挨拶されては」
どうやら挨拶をしてくれたらしい。
わたしも貴族なのだから、挨拶は無下にしてはいけないわね。
「えっと、シャム・ティスリ―よ。いご、お見知りおきを」
マナーの授業でやったことを一生懸命思い出す。
こんなことなら、少しは真面目に受けていてもよかったかもしれない。
彼はわたしの挨拶に、満足そうにうなずくと、手を振ってくれた。
はずかしくて、ぎこちないが、手を振り返してやる。
「では、今度こそ戻りますよ」
「しかたないわね」
メアリーに手を引かれ、屋敷へと歩き出す。
ルキというあの青年は、なんとも不思議な人だった。
わたしは気になったことをメアリーに話してみる。
「メアリーはルキの言っていることがわかるの?」
「ええ、わかりますよ」
外国語? と聞けば彼女は少し迷うそぶりを見せる。
なんとなく振り返ってみれば、いつの間にか日が傾いていたらしく。
庭園は夕焼け色に染まっていた。
「ルキさんは、竜人の方なんですよ。竜人は、この国にずうっと昔から住んでおられます」
「ふうん。竜人かあ」
侍女によれば、竜人の本来の姿は人ではなく、大きな竜。
ゆえに独自の声帯を持っているため、わたしたちと同じ言葉が話せないそう。
それでも意思疎通ができるのは、彼らとのコミュニケーションを大切にしてきたからなんだと。
少しだけ、興味がわいた。
ー
「あ、いた」
翌日。再び、庭園にやってきた。
今日はちゃんと勉強を終わらせた後だ。
彼は昨日と同じように、花壇の世話をしていた。
「ごきげんよう」
「☆」
声をかければ、少し驚いた様子を見せる。
ルキはまた丁寧にお辞儀をした。
「今日はわたし、きちんと終わらせてきたのよ」
「......」
「えっと、あなた一人でおせわをしているの?」
「......」
話を続けてみるが、微笑みながらうなずくばかりで、返事はない。
彼、私の言っていることは理解しているようだけれど。
まあ、いいか。
ここは、窮屈なお屋敷とはちがって、心が落ち着く。
別に追い出されるわけじゃないなら、もう少しここにいよう。
わたしは、近くのベンチに腰掛ける。
ルキはその様子を見た後、再び作業に戻った。
花が風に揺れるのを眺めながら、柔らかい日差しを浴びる。
ここは、わたしのお気に入りの場所になった。
ー
それからというもの、わたしは毎日のようにここへ来た。
学校であったこと、読んだ本の感想、勉強の愚痴。
ルキは黙って聞き、時々頷く。
たまに答えてくれたときは、どうしようもなくうれしかった。
それがどんなに短い言葉だったとしても。
意味はまだ分からないけれど、彼の声は静まった世界に響くような深い音で、安心する。
「ルキは、花がすきなのね」
「......○/↑▲♡」
「へえ、それがすきってことば?」
彼は頷く。時々、意味を聞くことで、わたしはルキの“音”を理解する。
長い髪を一つに結んでいる彼。その毛束が少し崩れ、かぜになびいていた。
ー
「......○/★/×」
ある日、いつものように庭園へ遊びに行った帰り、ルキが一輪の花を持ってきた。
それは彼が丁寧に育てていた、黄色のバラ。
どうやらくれるらしい。
「いいの?」
「......」
彼は頷き、バラを手渡すと嬉しそうにしていた。
「......っていうことがあったのよ」
部屋でわたしの髪をといているメアリーに聞く。
受け取ったバラは、窓辺の花瓶にさしておいた。
「なるほど。お嬢様は、ルキさんと仲良くなられたようですね」
「......べつに、そういうわけじゃないけれど」
ちょっとだけ、照れくさくなり顔をそむける。
後ろから、頭を動かさないでください!なんて聞こえてくるのは無視よ。無視。
「ではお嬢様、花言葉というのはご存じですか?」
「しらないわ」
花が言葉を話すのかしら、なんて幼稚な考えがよぎったとはいえず。
素直に侍女の言葉を待つことにした。
「花や植物に込められた意味のことです。言葉では伝わらない思いを、花に託すのですよ」
花なんかに託さず、そのまま言えばいいじゃない......なんて、かわいげがないかしら。
ルキにとっては、ちょうどいい文化かもしれないわね。
彼、庭師をやるぐらい、花が好きみたいだし。
「それじゃあ、あのバラにはどういう意味があるの?」
「それは、ご自身でお調べになった方が、ルキさんも喜ぶと思いますよ」
さあ、終わりましたと話を切り上げられる。
侍女のくせに、なまいきだわ。
仕方ないから、お父様に本を借りてこようかしら。
そしてその夜。
月明かりに照らして、ベッドの上で文字をなぞる。
『友情』
その文字を見たわたしは一人、喜びに胸がいっぱいになっていた。
ー
それから毎日、ルキは花をくれるようになった。
あまり話さない彼だけど、いつも嬉しそうに渡すのだ。
気持ちがこもっているその花は、庭園に咲くどの花よりも輝いて見える。
『信頼』『喜び』『感謝』
その意味を調べるたびに、わたしはとっても嬉しくなるのだ。
それに、彼と少しずつ会話を重ね、わかる“音”も増えてきた。
例えば、☆。
これは彼と会ったときに必ず鳴らす音だ。
わたしがごきげんよう、と言った時もこう返してきたし、挨拶のようなものだろう。
そして、▲。
これはどうやら感情を表しているみたい。
↑や↓のようなイントネーションで、うれしい、かなしいなどを表現している。
メアリーにも聞いたから間違いない。
今日は、クチナシの花をとってくれている。
どこに飾ろうかしら。
相変わらず、彼は嬉しそうだ。
「......○/↑▲」
「ふふ、うれしいの?」
「!......◎/←★/×?」
「ちょっとだけね」
ずいぶんと驚いたらしく、花を摘む手が止まらなくなっている。
普段はおとなしいのに、面白いわね。
結局、その日は大量のクチナシを両手に抱えて屋敷へ戻った。
メアリーにも、苦笑いをされたほどだ。
ー
お父様と町へ行って、お花を買ってもらった。
ほんとうは種を買って自分で育てたかったのだけれど、お許しはいただけなかった。
『感謝』の意味を持つという、ピンク色のバラ。
今日はわたしが、ルキに花を贈る。
なんて意気込んだのはいいけれど。
いざ目の前にすると、なかなか言葉が出てこない。
彼はいつもと同じように、花壇の世話をしている。
「ルキ」
「!......☆/◎」
こちらへ振り返るルキの仕草が、いつもよりゆっくりに感じる。
彼も、わたしに花をくれるとき、こんな風に緊張していたのかしら。
なんて、意識を逸らしてみるが。
そんなわけないか。
彼は私と違って大人だ。
きっとたくさんの花を贈り、受け取ってきたのだろう。
......そう考えるとなんだか、すっきりしないけれど。
「これ、あげるわ」
「!」
目を見開く彼を見たのもつかの間、体に衝撃が訪れた。
「え、ちょっ......」
きっと花に詳しい彼は、すぐにその意味に気づいたのだろう。
ルキはわたしを思いっきり抱きしめる。
「......っ」
「ちょっとまって、泣いてるの」
しかしまさかこれほどとは思わず、どうしていいかわからなくなる。
だいの大人が子供に抱きついて泣いてるなんて、みっともないわよ。
けれど、言葉にはせず。
彼の喜びを、ただ受け止めていた。
ー
あれから、数年たつ。
「おはよう、ルキ」
「☆/◎」
少しずつ社交界へ出るようになり、父の仕事も時々手伝うようになった。
そんな私は変わらず、庭園に訪れている。
癒しが少ない私には、やはりこの空気が一番落ち着く。
しかし彼は、以前と姿が変わらない。
竜人というのは、どうも長生きをする種族らしく。
私が初めて出会った時にはすでに、人間の寿命をはるかに超えていたそうだ。
「○/↑□/★/◎/→←。○/←△/◎/↑▲」
「ちょ、ちょっとまって。私まだ全部は分からないわよ」
彼が変わったと言えば、よく話すようになったことだろうか。
未だ分からない“音”も多いが、それでも会話はとても増えた。
「......○/↑▲♡/◎」
「......それは、反則じゃないかしら」
これならわかるでしょう、と言わんばかりのわざとらしい一言。
ルキの手に握られた、一輪の赤いバラ。
花を贈りあうたびに意味を調べていたのだから、ずいぶんと詳しくなった。
今ではご令嬢とのお茶会でも、話題にするほどだ。
「◎/↓▲/?」
「何言ってるの、そんなわけないでしょ」
どれだけ時間がたっても、この庭園は美しいままだ。
彼がいる限りはね。
私がそれを受け取ると、ルキは嬉しそうにうなずいた。
近くの花壇に目をやると、いつか私があげたものと同じ、ピンクのバラが咲き誇っている。
さて、つぎはどんな花をあげようかしら。
後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、異種族間での『言葉』に焦点を当ててみました。
すこしだけ、解読要素もにも挑戦。ルキが話す言葉にはきちんと意味があります。
どうでしたでしょうか?
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また別の作品でお会いしましょう。 玄狐りこ