「いくら石碑」の存在
北海道某所の奥深き森、かつては誰も足を踏み入れなかった谷間に、ひっそりと佇む「いくら石碑」。その存在は長らく忘れられてきたが、近年、考古学者の間で密かに注目を集めつつある。なぜなら、この石碑は「いくら」という謎めいた言葉を刻んでおり、なおかつその起源が定かでないからである。
石碑は高さ約2.4メートル、幅は1.2メートル。灰色の安山岩に彫られた文字は、風雨にさらされながらもなお鮮明であり、その表面には「いくら」と三文字、さらに小さな文字で「奉納いくら百貫」と刻まれている。これにより、この石碑がかつての供物を記念するものである可能性が示唆される。だが、問題は「いくら」である。一般に「いくら」とは鮭の卵を意味するが、果たしてそれが百貫もの量で供えられたというのか。そもそも、石碑が建てられた時代に、これほどのいくらを集める技術があったのだろうか。
ある伝承によれば、江戸時代中期、当地に現れた謎の修験者・海胡という人物が「海神の怒りを鎮めるため、いくらを供えるべし」と説き、村人たちを導いたという。彼は毎年秋になると川辺に立ち、鮭の群れに向かって「卵よ、石となりて護符となれ!」と唱えたとされる。この呪文の効力か、村には一時期、石のように硬い「いくら石」と呼ばれる卵が出回ったともいう。
いくら石碑は、その「いくら石」を奉納する場所として建立されたのではないか、という説が近年提唱されている。実際、石碑の周囲には、半ば埋もれた球状の石が散在しており、そのいくつかは直径2〜3センチほどで、表面にはわずかな橙色の模様が確認できる。この現象が自然現象によるものか、それとも人為的なものかは未だ議論の的である。
また、碑の背面には小さな文字で「真心をもって捧ぐること、潮の流れに従うべし」と記されており、これが海胡の教えの一部を示している可能性もある。だが、この文言に従い、実際に潮の流れにいくらを捧げた結果、周囲の鮭の群れが突然逆流し、村が水没寸前に至ったという逸話も残されている。
果たして「いくら石碑」は、古代の祭祀の痕跡なのか、それとも一介の奇人の残した冗談めいた遺物なのか。その謎は、今なお深い霧の中に包まれている。