学園編㊸
競技大会四日目の夜、心地の良い風が窓の隙間からカーテンを揺らす。
寮のベッドに横たわりながら、ステラは天井を見つめていた。明かりは落としてある。けれど、瞳の奥では、まだ今日の光景が何度もフラッシュのように焼き付いている。
──電次郎さんの背中。
あの瞬間、自分はたしかに、あの人の背中にすがっていた。鼓動が、体温が、震えが、じかに伝わっていた。
「……まるで、お父さんみたいだった……」
ぽつりと、呟いた自分の声が、静かな部屋に吸い込まれていく。
思い出すのは、小さかった頃の記憶。もう顔も声も曖昧になってしまったけれど、それでも父の背中だけは、なぜか強く残っている。
大きくて、あたたかくて、そして──いつも、どこか遠くを見ていた。
「……そういえば……わたし、毎日言ってたな……」
眠る前、膝の上に乗せてもらって、無邪気に笑いながら。
「わたし、絶対にお父さんのお嫁さんになる!」
笑いながら頭を撫でてくれた父の手の温もりが、なぜか、今日の電次郎の背中と重なる。
「なんで……だろう……顔が……熱い……」
ステラは両手で頬を包んだ。
この“反応”は、記録されていない。観測していない。経験にも、データにも、ない。
「こんな感情……わたしの観測記録には、ない……」
感情とは、曖昧なものだ。
だからこそ、ステラはずっと、明確なデータとして言葉や仕草、心拍や魔力の揺らぎを記録してきた。
それが、彼女にとっての“安心”であり、“制御”だった。
けれど今、胸の内側で渦巻いているこの気持ちは──
定義できない。数値化できない。
脈拍も呼吸も平常ではなく、魔力の波形すら、なぜか不規則に揺れている。
“記録できない感情”。
それはまるで、未知の魔法に触れたかのような、得体の知れない熱だった。
──背中の温かさ。
──自分の名を呼ぶ声。
──信じて、任せて、背負ってくれたぬくもり。
あれは、ただの作戦の一環じゃなかった。
誰かに“支えられていた”と感じる、初めての実感だったのかもしれない。
だからだろうか。
ほんの少し、あの背中に……もっと、甘えていたかった。
その思いに気付いた瞬間、ステラは自分の胸元をぎゅっと押さえた。
まるで、その想いを誰にも見られたくないとでも言うように。
「……こんなの、おかしい……わたしは……観察者で、記録者で……」
でも。
ふと──
「ステラ、信じてるぞ」
あの声が、記憶の奥でふわりと響いた気がした。
その瞬間、彼女の瞳に、わずかな潤みがにじんだ。
「……もう、知らない……」
そう呟いて、ステラは毛布を被り、背を丸めたが眠気は襲ってこない。胸の中ではずっと、電次郎の背中の温もりが、火照りのように残ってる。
それを忘れようと目を瞑ったが、今度はライオネットの顔が浮かんだ。
「そういえば、今日の試合、勝ってしまったな……」
何かが胸の奥でざわつき、再び目を見開いた。
あの冷たくも美しい笑顔。
手の甲で頬に触れ、「よくやったわね、ステラ」と言ってくれたときの、ひどく甘やかな声。
あれが欲しくて、ここまで頑張ってきた。
先生に褒めてもらいたかった。
必要とされたいって、ただ、それだけだった。
「……わたし……また……間違えたのかな……」
試合に勝ってしまったこと。
電次郎を助けたこと。
あの背中に感じたぬくもりを、忘れたくないと思ってしまったこと。
全部、ライオネットの望んでいた「結果」から外れていた。
先生が、失望していたらどうしよう。
いらない子だって、判断されたら──また、独りに戻ってしまう。
だから明日はちゃんと負けよう。
ライオネット先生が望むように、すべてを戻そう。
「それで……許してもらえるよね……?」
声に出すと、わずかに胸が痛んだ。
その理由までは、まだ分からない。
分かりたくもなかった。
だから彼女は、毛布の奥に顔を沈めて、静かに目を閉じた。
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