学園編㉝(エネッタ視点)
──息が、うまくできない。
口は何かで塞がれていて、喉が痛むほど乾いているのに、声も出せない。ただ、かすれた呼気が鼻の奥で擦れる音だけが、自分の存在を確かめてくれる。
目も、見えない。布を巻かれている。いや……布じゃない。もっと荒くて、硬い。麻だろうか。痛い。瞬きをするたびに、まつ毛が引っかかる。
わたくしはいま、椅子に……縛られている。手も、足も、動かない。冷たい何かが手首に食い込んで、ちょっとでも動かそうとすると、皮膚が引き裂かれそうになる。
ここは……どこ?
頭痛と一緒に、記憶が蘇る。
部屋から出た瞬間……頭に衝撃が走った……殴られた?
拉致……誘拐……。
重い言葉が痛む脳裏に過る。
こんな状況……経験したことがない……。
生まれたときから守られてきた。城の外を出るときには、何人もの騎士が護衛についていた。誰かが常に、わたくしの安全を保証してくれていた。
それが今、誰もいない。
誰にも気づかれない。
……怖い。
頭では「落ち着け」と繰り返しているのに、心が震えを止めてくれない。
ふと、静寂の彼方に囁き声が聞こえた。男性? 複数……。
「……なあ、本当に王族なんて誘拐して大丈夫なのか?」
「大丈夫だ。三日だけ拘束しときゃ大金がもらえる手筈になってる」
「でもよ、どこの誰だ? こんな大それた誘拐なんて考えたのは」
「顔は仮面で隠してたけど、ありゃこの学校の先生だぜ」
「マジかよ、悪い奴もいるもんだな……」
「お前が言うなよ」
笑い声。だが私の胸の奥には、重いものが沈み込んでいく。
──学園の先生が黒幕? 本当に、そんなことが……?
最初は驚きだけだった。けれど、男たちの会話が続くうちに、別の不安が芽を出していく。
「それよりもよぉ、すげぇ上玉じゃね?」
「王族の女なんて、今後一生お目にかかれねぇよな」
「なぁ、三日もあるんだし。ちょっとくらいバレなくねぇか」
「バカかお前ら、二兎追う者は一兎をも得ずっていうだろ……」
「じゃあお前は見張りな」
「なっ、お前らだけズルいぞ」
「やっぱりお前もヤりたいんじゃねぇか」
──汚らわしい笑い声が響く……。
わたくしに指一本でも触れたら、喉元を噛み切ってやるわ……。
手足の自由だけでも取り戻そうと藻掻く。
けれど動かすたび、縄が肉に食い込み、じわじわと熱く、鈍い痛みが広がる。やがて、指先の感覚が遠のいていく。血が通っていない。冷たい。まるで、自分の体の一部じゃないみたい……。
どうして、こんなことに……。
そういえば、国を出る少し前、ミカ様に言われた。
──魔王軍は諦めの悪い奴らじゃ、姫の周りも用心じゃぞ。特に新顔は疑ってかからんと足をすくわれるでな──
新顔……ジェダくん?
思わず頭を振った。
ジェダくんの名前が不意にでも出てしまった自分を責めたい……でも、彼には何か表には出さない感情がある気がしてならなかった。
もう誰を信じていいのか分からなくなってきた。
怖い。
怖い、怖い……。
誰か助けて。
ミカ様、クレア……電次郎様……。
私の中で、わずかに光が残っていた。その人なら、気づいてくれるかもしれない──そう信じたかった。




