学園編⑭(スイラン視点)
あの日から、世界は静かだった。 トレスはもう僕に嫌がらせをしない。取り巻きも、何も言ってこない。 電次郎さんが来てからだ。トレスは変わった。少なくとも、表面上は。
それが……悔しかった。
あれだけ僕を笑い者にして、教室の道具みたいに扱って、今さら普通に笑って話してる。 誰も、何も言わない。僕だって、何も言えないまま、毎日を過ごしている。
……それで、いいの?
電次郎さんの家電を囲んで微笑むクラスメイトたちを眺めながら、心の底にずっと残っていた黒い焔が、またゆっくりと燃え上がる。 僕は──あいつらに、壊された。 でも今は、僕も、笑っている。……それが、許せなかった。
放課後、僕は一人、VRヘッドセットを手に実験室の隅にいた。 これは電次郎さんが貸してくれた道具だ。誰でも夢の中のような体験ができる、不思議な魔道具。
最初に使ったのはトレスだった。大笑いして、電次郎を「アニキ」とまで呼んでいた。 ……滑稽だった。
僕はそっとヘッドセットの内部を開き、画像が映し出される部分に幻覚魔法の印を書いた。 トレスがこれを使っている時に、魔法を発動すれば、自分の失態、過去の残酷な言葉、他者に投げつけた侮辱を再現させる。
それにより、地獄の門が開き、炎に包まれ、地の底へと落ちていく幻覚を見る。
「これで……気がつくかな。少しは」
でも、たかが幻覚……きっとすぐに気付き、誰の悪戯だよって笑って済まされるだけかもしれない。
でも、これで僕の黒い焔が少しでも鎮まってくれたら……きっと気が晴れる。
そのとき、背後から聞き覚えのある声がした。
「おっ、居た。スイラン悪い、それ貸してくれ。トレスの奴がうるさくてさ」
振り返ると、電次郎がドアにもたれていた。いつもと同じ、ちょっと気の抜けた顔。
「うん、いいよ。貸してくれてありがとう」
「そういやコレ。俺が触れてないと動かないのに、どうして欲しがったんだ?」
「構造が気になって、凄いよねこの魔道具。全然仕組みが分からないけど……」
「だろ? 俺もそう思うんだよ。やっぱ家電はすげぇんだ。電源ポチって押すだけでみんな幸せになっちまう。マジで人生捧げる価値あるもんなんだよな。そうか、スイランもその凄さを分かってくれたか。どうだ? トレスと一緒に実際に使ってみるか? 対戦もできるんだぞ」
電次郎さんは、声を弾ませた。
……本当に、人が喜ぶ姿が好きな人なんだ……それに比べて僕は……。
「どうしたぁスイラン? すげぇ悲しそうな顔してるけど、なんかあったか? おじさんで良かったら話し聞くぜ?」
僕は口を開けなかった。
「……まぁ、人に言えねぇことの一つや二つ、男なら持ってらぁな。気が向いたらいつでも相談してくれ」
そう言って、電次郎さんは去っていった。
……ズルい人だ。そうやっていつも誰かの心に寄り添おうとする。その行為に一体なんの意味があるというのだろう……理解に苦しむ。
ああ、急いで電次郎さんの後を追わないと……。
トレスが顔を歪めて慌てる姿を見なきゃ……。




