学園編⑬(ステラ視点)
私は楽しそうに勘違いするライミを無視して背中を向け、ペンを走らせた。
──観察対象:轟電次郎。スムージーミキサーによる被験者への影響:好印象(複数名)。装置の効果は一時的な嗜好満足に留まるが、精神的安心感を誘発する可能性……?
ペンが止まる。
精神的安心感──なぜこんな言葉を選んだのだろう。 彼の使用する家電は確かに人を笑顔にしている。だが、それは装置による効果なのか、それとも彼の在り方そのものによるものなのか。あるいは電子という新たな粒子がもたらすナニか?
「……研究対象に、余計な感情は不要」
そう呟いてノートを閉じた。 だが、その瞬間、背後から声が飛ぶ。
「ふむふむ、精神的安定感。にゃるほどにゃ」
「にゃ語尾、やめてください。耳が痒くなります」
ライミは自分のベッドの上で丸くなりながら、こちらを見ていた。
「わたしも最近、精神的安心感を感じるにゃ」
「最近……というと、いつからです?」
「電次郎と決闘してからにゃ」
「やはり……観察対象の接触が精神安定に影響している可能性が高いですね」
電力とはそういった力も秘めている?
「だからにゃ、ステラもそろそろ素直になったらいいにゃ」
「意味が分かりません」
「観察対象にゃんて言ってるけど、もう名前で呼びたくなってるんじゃないのかにゃ?」
「……轟電次郎は観察対象です」
「“電ちゃん”とか呼んでみたいんじゃないかにゃ?」
「……無いです」
「“でんじろうさん”って恥ずかしそうに言うステラ、見てみたいにゃ〜」
「うるさいです」
私は机に向き直って無視を決め込んだ。
「それでさ、観察対象のことだけど──わたし、電次郎のことちょっと、見直したんだにゃ」
「……」
無視を決め込んだのに、ライミはごろんと寝返りを打って、天井を見ながら続けた。
「なんかさ、電次郎の出す家電は、めちゃくちゃ便利で、みんなを笑顔にするんだけど。それ以上に、電次郎の笑顔がよく分からない安心感を与えている気がするにゃ」
(安心感……研究対象が他者にもたらす心理効果)
記録としては非常に興味深い。だがそれ以上に、ライミの言葉は、どこか私の心の奥にも刺さっていた。
──無償の優しさなんて、存在しない。
私は戦争孤児だ。故郷も、家族もない世界で、生き延びるために学び、誰かの役に立たなければ居場所すら得られなかった。 “優しさ”とは対価と引き換えに得るもので、“安心感”は義務を果たして初めて与えられる報酬だと、ずっと思っていた。
(それを、あの人は、笑顔で分け与えている……何も求めずに……そんな大人がいるはずない)
「その笑顔がライミさんを陥れるためのものじゃないって言い切れますか?」
「……わたしを? 電次郎が? 騙してるってことにゃ? にゃいにゃい」
「私に素直になれって言いますけど、ライミさんは素直過ぎて痛い目を見ると思いますよ」
「戦いで痛いことは沢山経験したから大丈夫にゃ」
やはりこの人とは話が通じそうにない。
私の目的は、電次郎をライオネット先生のモノにすること。そのためにはまず彼を知ること。
なぜ、彼の周りは笑顔の人が多いのか──
なせ、ライミは短期間で彼に想いを馳せるのか──
彼の言動の裏に潜むもの──それを探り出すことができれば、私と先生の未来に繋がるはず。
「ステラ、気をつけるにゃ」
「なにをです?」
「それ、恋にゃ。わたしも最初は違うと思ってたけど、気づいたときにはもう負けてたにゃ」
「……馬鹿な……わたしはあくまで、研究者です」
「でも、にやけてるにゃ」
「……気のせいです」
観察日記に、新たな一文を書き足した。
──観察対象に対する心理的揺らぎを確認。要、冷静な分析と記録の継続。
(……冷静さを保つために、もっと観察しなければ)




