厄災編⑯
夜明けの境界線が、世界をゆっくりと染めていく。
俺は広場の中心に立ち、壊れかけた家電の山を見下ろした。
焦げた金属、砕けたガラス、焼けただれたプラスチック。
その一つひとつが、この世界の記憶だった。
「……いくぞ」
深く息を吸い、右手を掲げる。
指先に微弱な静電気が走る。
「電子を……呼び寄せる」
ライオネットが頷く。
シービーは息を呑んだまま、祈るように手を握っている。
俺は意識を集中させた。
家電を召喚するときと同じ感覚──だが、今は“物”ではなく“粒”を求める。
目には見えない、無数の電子の海を。
指先が痺れた。
世界の向こう側から、ざわめきが押し寄せてくる。
静電気が髪を逆立て、足元の砂がわずかに浮いた。
「……来た」
ライオネットが小さく呟いた瞬間、
ブラウン管の中で、青白い光が爆ぜた。
プラズマが弾け、光の糸が空気を裂く。
それは炎でも雷でもなかった。
燃えるようで、冷たい。
弾けるようで、静か。
世界の輪郭が、わずかに“ゆがんだ”。
俺の中を、何かが通り抜けていく。
それは電気よりも軽く、呼吸よりも速く、
空間そのものに染み込んでいく流れのようだった。
それは、互いを押し合うことなく、溶け合っていく。
光が波となり、音が消える。
そこにあったのは、ただ“静寂の流れ”だけ。
「……すげぇ」
自分の声が、届かない。
音が遅れて返ってくる。まるで空気が眠っているようだった。
ライオネットが、呆然と呟く。
「これが……電子。粒が境界を失って、空そのものになっていく……」
シービーが俺の袖を掴んだ。
「おっさん……これ、見て」
彼女の指の先で、石化した人々の肌が淡く光っていた。
灰色の表面に、かすかな脈動。
まるで心臓が、思い出したように動き出している。
風が吹いた。
空はまだ曇っているのに、光の粒が舞い上がる。
無数のきらめきが、灰色の街を包み込む。
俺には見える。
電子の流れが、まるで川のように街を巡っている。
家電から放たれた光の筋が、すべての石像をつないでいく。
世界が息を吹き返す音がした。
それは雷鳴でも爆発でもない。
“音のない拍動”──
生まれたばかりの心臓の鼓動みたいな、微かな響き。
「……これが、第五の状態……」
ライオネットが言いかけて、言葉を止めた。
言葉ではなく、ただ涙がこぼれた。
俺は拳を握った。
もう一度、誰かの命をつなげた気がした。
だが同時に、その手元で“何か”が砕ける音がした。
家電召喚で開いた空間に亀裂が走り、そして、音もなく砕け散った。
「……ありがとうな」
俺は静かに呟いた。
世界を満たした光の粒が、ゆっくりと夜明けの空に溶けていく。
そして──
空が完全に白みきったとき、石の街から、
最初の“息”が聞こえた。




