厄災編⑪
あまりに一瞬の出来事に、誰も声を上げられなかった。
勇者ジオ・ヒューズ。ミカちゃんの書斎で目にしたことがある、生ける伝説。前魔王を力で押さえ込み、竜族すら震え上がらせた存在。世界が誇る希望の象徴が、たったひと振りで掻き消された。
燃え残る灰が風に舞い、崩れ落ちた剣が石畳に転がる。
その乾いた音が、戦場にいる全員の心を切り裂いた。
「……ありえない」
クレアが膝を折り、目を見開いたまま呟く。
「先代魔王様を力で押しのけたあの勇者が……」
「勇者が勝てぬなら、誰があれを止められるというのだ……」
「無理だ……もう、この世界は終わる」
魔王軍の兵が次々と嘆きを漏らす。
誰もが声を失い、剣を落とし、背を向けようとさえした。
胸が締め付けられる。
俺だって、信じられない。
規格外の存在ですら灰に帰したバケモノに、俺たちがどう抗えっていうんだ。
それでも──俺は歯を食いしばった。
「落ち着け! みんな、まだ終わってねぇ!」
自分でも驚くほどの声が出た。
戦場のざわめきが一瞬止まり、無数の視線が俺に向けられる。
「どんなに強くても、マナが効かないならこうなる! 勇者だろうが竜だろうが関係ない!」
息を切らしながら、俺は喉が裂けるほど叫ぶ。
「だが俺たちには……電力がある!」
周囲にどよめきが走った。
俺はスタンガンを掲げ、震える兵士たちに示す。
「雑魚に効くなら、ボスにだって効くはずだ! みんなで力を合わせりゃ、あの怪物を焼き払える!」
クレアが息を呑み、サンダルが俺を睨みつける。
だが、次の瞬間、二人とも頷いた。
「……電次郎殿の言葉に乗る!」
「俺もだ。背中は預ける!」
その声に、魔王軍の兵士たちも顔を上げる。
ルクスが立ち上がり、剣を掲げて叫んだ。
「聞いたか! 人間も魔族も関係ない! 生き残りたければ、共に力を合わせろ!」
絶望に沈んでいた魔王軍の瞳に、再び光が戻っていく。
俺は頷き、全員に呼びかけた。
「集まれ! ここに手を重ねろ! ほんの少しでいい、みんなの力を貸してくれ!」
俺はスタンガンを握りしめ、みんなの中心に立つ。
何度も学園で試した仕組みだ。みんなの魔力が、導線となって電流を増幅する。
クレア、サンダル、シービー、フリッツ、そしてルクスを始めとした魔王軍の兵士たちが次々と手を重ねていく。
最後に、ルクスが静かに掌を置いた。
「……頼むぞ轟電次郎」
彼女の眼差しは恐怖と決意に燃えていた。
「行くぞ!」
俺がスイッチを押すと、装置全体が唸りを上げた。
火花が散り、光が走る。
魔力が混じるたび、電流は何倍にも膨れ上がっていく。
轟音。
白熱の閃光が夜を裂き、一直線に獣の巨体を撃ち抜いた。
──爆ぜる。
獣の一部が千切れ飛び、漆黒の肉片が光に焼かれ、煙となって散る。
その巨体が揺れ、地鳴りのような呻きが響いた。
「効いてる……!」
「やったぞ!」
兵士たちの歓声が上がる。
再び光条を浴びせると、獣の巨躯が大きく崩れ、闇そのものが裂けていった。
やがて──巨大な影は膝を折り、地響きを立てて崩れ落ちた。
戦場に沈黙が訪れる。
「……勝った……のか?」
誰かの声が震えた。
確かに、獣の姿は消えていた。
黒い塊は形を保てず、煙のように霧散していく。
兵士たちが歓喜の声を上げ、剣を掲げ、抱き合った。
俺も肩で息をしながら、仲間の顔を見渡した。
クレアは涙を流し、サンダルは拳を握り締めていた。
シービーは「魔王様……守れた」と震える声で呟いている。
だが──胸の奥に、冷たいざわめきが消えなかった。
嫌な予感が、背筋を撫でる。
……音がした。
低い、重たい鼓動。
消えたはずの闇が再び渦を巻き、崩れた大地から這い出してくる。
「まさか……!」
俺の声が震える。
漆黒の影が膨張し、先ほどよりもさらに巨大な姿を形作る。
目も口もない影の王が、天地を揺るがす咆哮を放った。
──激しい雄叫び。
その瞬間、漆黒の霧が爆発のように広がり、戦場を一瞬で覆った。
息が詰まる。
視界が闇に飲まれる。




