魔王編㉞
♦-/-/-//-/-ボルトリア王国:城内/--/-/-/--/♦
重く閉ざされた扉の前に、衛兵の影が二つ伸びている。
姫の身を案じての「軟禁」だと誰もが言ったが、エネッタにとっては、ただの鎖でしかなかった。
──どうして、わたくしだけ。
クレアとサンダルフォンが救出に向かうと聞かされたとき、胸はざわめいた。
しかしさらに後になって、ステラやジェダまでもが同行したことを知った時には、思わず玉座の間で声を荒げてしまった。
「なぜ、わたくしだけ除け者なのですか!」と。
けれど父王は、「姫は国を背負う存在だ」と言って取り合わず、ミカ様もまた「絶対にダメじゃ」と淡々と告げるばかりだった。
守られるばかりの姫──。それが自分の立場であると、何度言われても、胸の奥は焼けるように苛立つ。
夜。
誰もが眠りに沈む頃、もう救助隊に追いつけないと踏んだ王は、エネッタに自由を与えた。
月光の差し込む回廊を歩き、塔の窓から城下を見下ろす。
「……静か、平穏そのもの。でも、みんなはきっと、おじさまを助けるために頑張っている。それなのにわたくしは……」
身分など全て捨て去り、一人でも魔王領へ──そう考えたが、思い留まった。
身勝手な行動は、不幸を招く。
それは学園生活で身に染みて理解した。
今は、信じよう。クレアをサンダルフォンを、そして学友達を……そう強く思った時だった。
急に心臓の鼓動が早くなっていくことに気付いた。
その胸騒ぎは、すぐに形となって現れた。
眼下の城下町を見下ろすと、人々の営みを照らすはずの灯火──魔導ランプや松明の光が、一瞬にしてすべて掻き消えた。
「え……?」
驚愕に息を呑む。闇が地を覆い、まるで世界が夜に呑み込まれたようだ。
さらに空を仰ぐ。
夜空には、黒紫の帯が揺らめいていた。オーロラのように波打ち、星々をかき消すその光は、鼓動をさらに早くするだけの理由があった。
「な、に……?」
地上から靄のように立ち上り、オーロラに吸い込まれていく何かに気付き、視線を町に落とす。
その先に、それは現れた。
黒い靄を纏った異形の魔物。蝙蝠にも、影にも、獣にも見える不定形の化け物が、街をのし歩き、夜の街を歩く民へ襲い掛かる。
叫び声。
掴まれた者の体は、力なく崩れ落ちていく。
人々から生命を奪っているようにも見える現象に、エネッタは声を強張らせた。
「マナを奪っている?」
まだ拙いエネッタの魔力でさえ感じ取れるマナの吸収。
それは命の灯を奪う行為に他ならない。
「嘘……そんな……」
膝が震え、窓枠を掴んでいなければ倒れてしまいそうだった。
「──下がれ!」
鋭い声とともに、夜空に膨大な魔力の光が広がった。
「ミカ様だっ」
ミカの凛々しい姿を目にしたエネッタは、安堵した。
そのエネッタの反応に呼応するように、ミカは猛々しく杖を掲げ、幾十もの魔法陣を展開し、一斉に遠距離魔法を放つ。流星の雨のような魔力弾が異形に降り注いだ。
──だが。
「……消えた?」
全て吸い込まれた。
異形は一歩も退かず、ただ黒い靄を濃くしただけ。
「効かぬ……だと……?」
滅多に見せぬ焦燥が、ミカの声に混じった。
エネッタの胸が押し潰されそうになる。
ミカ様の魔法ですら通じない。
ならば、この国は──この人々は──どうなる。
守られてばかりの自分には、なにひとつできない。
「……魔法が効かない……」
呟いた瞬間、脳裏に一つの姿が浮かんだ。
──おじさま。
学園で誘拐されたあの夜。
誰よりも先に助けに来てくれた。
不器用で、でも真っすぐで、みんなを笑顔にするなら、どんなことでも頑張れる人……そして、魔法とは違う力を持つ、頼れる人。
電次郎の存在は、エネッタの中で誰よりも大きくなっていた。
「おじさまなら……きっと」
エネッタは震える拳をぎゅっと握りしめた。
「きっと助けに来てくれる」
涙をにじませながらも、彼女は夜空を見上げ続けた。
遠く、空を裂いて吸い上げられていくマナの光の向こうに、必ず彼の姿が現れると信じながら。




