王国編③
電次郎が訓練に明け暮れる日々の、とある夜。
王都の片隅、居酒屋「雷雷亭」の奥座敷。
その一角で、大魔導士と副団長という物騒な肩書きを持つふたりの女が、密やかに、しかし妙に熱のこもった語らいを交わしていた。
「……それにしても、まことに不思議な男じゃ。あれほどの魔力を垂れ流しておきながら、まるで自覚がないとはな」
ミカが湯呑みを揺らしながら、しみじみと語る。
「……私も最初は、魔物の化けた擬態かと思いました。しかし、あそこまで無防備で、鈍くて、優しくて……あれが擬態なら、もう一周回って芸術です」
クレアは真顔で盃を口にした。
目の奥は真剣、でも少し、困ったように眉が寄っている。
「それにな、あの“炊飯器”なる魔道具──なんじゃあれは。まるで精霊が宿っておるかのような炊き加減じゃったぞ。わらわの舌が跳ねて喜んでおったわ」
ミカは、思い出しながら緩む口を拭った。
「私は“掃除機”に驚きました。あの吸引力……道場に一台……いや一家に一台欲しいですね」
クレアは三杯目の盃を空にする。
「そういえば昨晩、マッサージチェアなる魔道具を出しおったんじゃが」
「マッサージ……ですか? たしか按摩のことですよね。按摩と椅子にどういった関係が……? まさかミカちゃん、毎日疲れて帰る電次郎さんにマッサージさせてるんですか? ズルいですよ、あの人の按摩、絶対に上手そう」
クレアは四杯目を飲みながら、興奮し顔を赤らめた。
「さすがのわしも、そこまで鬼ではないわい。その魔道具、椅子自体がウネウネと按摩するのじゃが、弱っている所を的確に揉みしだいてくる、あの動き……思い出しただけでも……ふわぁ……」
クレアはハンカチを出して、ミカのよだれを拭き取り「今から行きましょう。直ぐにっ」と、席を立った。
「待て待て待て、落ち着くのじゃクレア、あまり目立つでない」
「ミカちゃんだけズルいですよ。私だって癒されたい」
「まぁ慌てるでない、魔力の制御ができんうちは、電次郎もこの国に居るほかなかろう」
「……でも、もし制御できたとしたら?」
「あの村に飛んで帰るじゃろうな」
「困ります」
クレアは膨れっ面で四杯目を飲み干した。
「ぬしは、電次郎に惚れておるのか?」
「別に惚れてはいません……ただ、結婚はしたいです」
居酒屋の隣の席から、箸が落ちる音がした。
「なんじゃそれは」
ミカたちは、箸を落とした音にも気付くことなく話に花を咲かせた。
「私が目指すのは、騎士道。ボルトリア騎士団団長。いえ、そのさらに上。騎士王の称号。そのためには、理解ある伴侶が必要不可欠だと思うのです」
「それが、電次郎じゃと?」
「いえ、そこまでは言っていません」
「結婚したい言うとったじゃろ」
「あくまで願望です」
「願望で結婚したい言うたら、そりゃもう惚れとるのと動議じゃろ」
「……そうなんれすか? じゃあそれで良いです」
酔いのまわったクレアは、ぽつりぽつりと思ったことを口にしていく。
「電次郎さんは一途でエルナの頼み事には毎回全力で応えてくれていたそうです。掃除、洗濯、料理が趣味で家事を頼まれると“存在意義”を感じてしまうと本人が言っていました。あの人に家を任せれば、私は安心して騎士王を目指すことができます。ああ、なんて素晴らしい人生設計!」
そして、再び隣の席で箸が落ちた。
「しかし、奇遇じゃな、わしも電次郎が欲しくなってきたところじゃ」
隣の、その隣の席で箸を落とす音がした。
「ミカちゃん、それはダメですよ、いくらなんでも犯罪です」
「それはわしと電次郎、どっちが犯罪者なんじゃ?」
「どっちもです」
「たわけ酔っ払いめ」
「じゃあ、三人で結婚しましょう」
「悪い提案ではないな」
「決まりですね」
「……いや、ダメだろ」
隣の客が小声でツッコんだが、二人の耳には入らない。
「問題は、どうやって電次郎をこの国に縛り付けるかじゃな」
「縛り付けるって……ミカちゃん、それ犯罪です」
「うむ、言い方が悪かったな、どうやってわしらの虜にするかじゃな」
「……私、剣の道一筋だったので、そういうのは自信ありません」
「……」
クレアの顔と体があればこの国の男ども全員いちころじゃよ——と、口に出そうとしたミカだったが、なんだか負けた気がして止めた。
「わしは、こんな幼体じゃしな」
大魔導士様のファンもいっぱいいますよ——隣、隣の客同士が小声で意気投合した。
「ミカちゃんっ、わたし良いことを思いつきました」
「なんじゃ」
ごにょごにょごにょ……。
隣と、その隣の客が聞き耳を立てるが、クレアはミカの耳元で囁いたため聞き取れなかった。
「なるほどのぉ、それならばこの国に永住するやもしれん」
「ですよね、その作戦でいきましょう」
ふたりは盃を酌み交わし、夜の城内へと消えて行った。
「美女副団長クレア様と、大魔導士ミカ様の情事……これって、国の一大ニュースじゃね?」
「新聞屋に売ったら、ひと財産だな……」」
隣とその隣の客が意気揚々と立ち上がった、そのとき──
「そんなことをしてみろ、お前らの臓物を安値で売り捌いてやる」
怒気を孕んだ低い声が響き、振り返ると、そこには二メートルを超える巨漢が仁王立ちしていた。
「あ、あんたは……サンダルフォン・シグナ……」
「ひ、ひぃぃぃ……地獄の狂戦士が、なんでこんな所に……!」
客の二人は、その鬼のような顔に腰を抜かし、地面を這うように逃げようとした。
「よく聞け……あの二人の話した内容が、一ミリでも俺の耳に入った瞬間──その日がお前らの命日だと思え」
二人は顔を見合わせ、青ざめたまま抱き合った。
「わかったら、とっとと帰れぇぇぇっ!!」
耳をつんざく怒声が居酒屋に響き渡り、二人は泣きそうな顔で転がるように逃げていった。
残された巨漢は、鼻息を荒くしながら、静かに呟いた。
「……俺の最愛の女をたぶらかすとは……電次郎とか言ったな。──五体満足で済むと思うなよ……」
その足音は、怒りと未練を踏みしめながら、夜の闇へと消えていった。




