エピローグ
いつもの朝。いつもの校庭。いつもの…異世界桜の木?
いや、あれはキノコ並みに巨大な根が張り出してて、花びらじゃなくて葉っぱがピンクに光ってるっていうわけのわからない代物だけど。まあ、見慣れた光景だ。
俺は登校途中、校門から見えるその異世界植物をぼんやり眺めながら、荷物に突っ込んだ鍋の重みを感じている。そう、今日はいつもよりちょっと早起きして“新作桜スープ”を仕込んできた。
どんなに学校がバカな行事だろうと、どんなに異世界の侵食が進もうと、腹は減る。それがこの浮ヶ原高校の日常ってやつだ。
「仁、おはよ」 声をかけてきたのはユウリ。王族だってのに、髪を無造作にまとめて、完全に高校生の顔つきになってる。彼女もすっかりこっちの世界のリズムに染まったらしい。
「おはよう。今日はさらに変わった桜エッセンスが手に入ったんだよ。朝イチで部室で煮込み直す予定だから、味見頼む」
「はいはい。死なない程度ならね」
口では毒づいてるけど、彼女の歩調は俺の隣にぴたりと合ってる。以前みたいに距離を置いたりしない。やっぱり料理部に通ううちに落ち着いてきたんだろうな……なんて思うと、ちょっとだけ嬉しい。
廊下を進むと、牛島先輩の幽体がスーッと天井近くを移動している。なんとなく目が合うと、先輩はにやけた笑顔で手を振ってきた。相変わらず霊体だから物理的に何もできないが、にぎやかし要員としては最高だ。
「あれ、ミハエルはいないのか?」
俺が尋ねると、ユウリは「あの天使なら保健室で“朝の加護”とかやってるんじゃない?」と肩をすくめる。あいつももう完全にこの学校に溶け込んでるらしい。生徒たちの“朝の具合”を整えるとか言って、スープじゃなく天使パワーを配り歩いてるとか。変なの。
ともかく部室まで足を運ぶと、ドアにはしっかり“料理部”のプレートがかかっている。
ここが正式に公認クラブだと認められてからまだ日は浅いけど、その光景だけで心が弾む。廃部査定だのスープ禁止令だの、もう遠い昔の出来事みたいだ。
「よいしょ……火をつけるぞ」
俺は鍋をコンロに置き直し、さっそく煮込み再開。新しい桜エッセンスを投入すると、ぷくぷくと沸き立つ泡が淡いピンクの膜を作る。ふわっと甘い香りが鼻腔をくすぐり、思わずニヤけてしまう。
「はいはい、味見係のユウリさんが通りますよ」
隣からユウリがスプーンを持ってきて、鍋の表面をそっとすくう。ひと口飲んだあと、微妙に唇を尖らせながらつぶやく。
「……まあ、飲めなくはないかな。桜っぽさが増えてるのは面白いかも」
「そりゃ良かった。失敗して爆発するよりはマシだろ」
昔は本当に爆発したり、毒が残って死にかけたりしたけど、最近は安定してきた。一方で購買部のトメさんは新作パンで一喜一憂してるし、騎士団長は時々学園にやってきては「かつての涙を味わわせてくれ!」と鍋を覗いてくる。風紀委員のアラタが厳しく見張るけど、もう廃部も禁止もありえない。
というか、みんなこういう“騒がしさ”を許容してるんだろうな。
「ぷにゅっ」 足元でスライムのトロロが跳ねるから、俺は軽く鍋にトントンと合図を送る。トロロが勝手に味見して、まずいと感じると「まっず!」って言うようになったけど、今日は文句なさそう。なら合格だ。
「いいね。じゃあ、昼休みにもこのスープ出すの?」
「もちろん。購買が爆発しても困らないように、備えておくさ。部室をスープバーにして待ってる。いつもの連中が来るだろうしね」
思えば、廃部の危機を乗り越えてからこの部室は日増しに賑やかになった。ステージで発表した以来、「死なないメシ」「ホッとするメシ」として評判を集め、今やちょっとした行列ができることもある。
誰かが空腹になれば、自然と料理部に足を運ぶ。
俺がひたすら鍋をかき混ぜて、ユウリやミハエルが雑談をし、牛島先輩が霊体ジョークで盛り上げる。そんな光景が日常になった。
「……そういえば、あのメグルってもう来てるかな?」
「どうだろ。最近は生徒会長の仕事で忙しそうだし、朝は早く来てるかもね。ま、あたしから声かけてみようか?」
「そだな。あいつだってスープ好きになった口だし、時間が空いたら飲みにくるんじゃないか?」
もう“ノイズ”扱いはされない。むしろ「次はどんな風に味が変わるのかしら」とか、興味津々でやってくるほどだ。俺はその姿を想像して笑う。
ぼそっとユウリが「世の中、何があるか分からないもんだね」と呟くのが聞こえて、同感だと思わずうなずいてしまう。
三年前、校庭に生えた異世界が全部を狂わせたように見えたけど、結局みんなそこに馴染んでる。
世界が変わるときって、案外こんなもんなのかもしれない。俺はただ、変な食材を煮込んで、生徒たちの腹を満たして、あれこれ笑い合っていただけだ。それでも、いろんな人がこの鍋を囲んで笑ってくれるなら、それが最高の“活躍”なのかなって今は思える。
「よし、昼にまたちょっと味変してみるか。ユニコーンハーブが残ってたから、風味を足すのもアリだな」
「え、やめてよ。下手すりゃまた生徒会に通報され……」
「大丈夫大丈夫、もう公認なんだから。ミハエルの浄化でもかけとけば安全度も上がるさ」
ユウリは苦笑いしつつ、スプーンを鍋に突き立てる。俺はかき回しながら、この部室に積み重なる“普通の日常”を再確認する。異世界がどうだ、騎士団がどうだって、俺たちはただ腹を空かせてメシを作るだけ。そのバカバカしさに救われるやつらがいるなら、俺はそれを続ければいい。
「ねえ、今度は菓子系にも挑戦してみる? 甘いスープってのもアリかも」 ユウリの意外な提案に目を丸くする。甘いスープ? 確かに桜ベースならスイーツ寄りの味も狙えるかもしれない。
「いいね。じゃあ……砂糖とミント系のハーブを試してみるか。爆発しなきゃいいが」 「そこはちゃんと神頼みしてよ、ミハエルにでも。せっかく天使が友達なんだし」 「了解。あいつ捕まえて、オーラを振りかけてもらうさ」
自然と笑いがこぼれ、部室の空気がさらに柔らかくなる。隙間から差し込む朝の光が、鍋の湯気を照らしてキラキラ揺れるのが見えて、思わずほっと息をつく。こんな平和な光景が“公認”されて、ずっと続いていくのかと思うと、悪くない気分だ。
「ま、朝はこんなとこでいいかな。授業もあるし、昼までに煮込んで味整えて……夕方にはまた常連が来るかもな」 「いつも通り、ってやつね。でもあたし、そういうのけっこう好き」
ユウリが部室の机に腰を下ろして伸びをする。スライムのトロロがはしゃいでいる足元を見ながら、俺はしゃもじを握りしめる。
世の中にはすごい魔法があったり、天使がいたり、突然の爆発が起こったり。だけどいつでも腹が減るから、俺はスープを作る。それだけの物語なんだろう。たかがスープだけど、誰かの生きる糧になるなら、そんな幸せな話はない。
「さて、ぼちぼち始めるか。今日も“桜スープ”が待ってるし、腹が減ってるやつらがたぶん大勢いる。……行こうぜ、王女さん」
「はいはい、オーダーはたっぷりね、シェフさん」
互いに目を合わせて、軽い笑みを交わす。部室には桜色の香りが穏やかに満ちている。こうして俺たちは、いつものように鍋を火にかける。異世界が生えたって、購買が爆発したって、廃部査定されたって、俺たちは飯を作り続ける。それがいまの、そして“これから”の、当たり前の光景だ。
――薄紅色の湯気の向こうで、どこからかクスッと笑う声が聞こえた気がする。
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