第8章 桜スープが、世界をつなぐ日
やけに空が晴れ渡っている。まるで世界のフィナーレを祝福するような青さだけど、俺にとっては緊張感が増すばかりだ。今日こそが“スープ禁止令”と“廃部査定”をひっくるめた最終審判の日――学園中を巻き込んだ大混乱の末、いよいよ生徒会長・鳴神メグルが最終結論を下すことになっている。
俺は料理部の部室に立ち、手の中のしゃもじを握りしめる。鍋の中には、いつもと同じ“桜スープ”がふつふつと煮え立っている。魔界にんじんやベーコン、それにほんの少しの桜花エッセンス。あえて劇的なアレンジはしない。ありのままの味で世界をつなぎたい。
今まで騒動だらけだったけど、このスープこそが俺の戦う武器だ。
「仁、準備できた?」
無所属ヒロインのユウリがドアを開けて顔をのぞかせる。彼女は王族出身だけど、まるで普通の女子高生みたいな身軽な格好をしている。焦りの色が少し見えるが、どこか吹っ切れた笑顔だ。
「まあ、なんとか。今日は“学園文化継承祭”って形で、全校生徒や異世界からの来賓が集まるって話だろ? ここで俺たちが本気のスープを出さないと、もう後がない」
「うん。メグルは、今回の行事を“最終テスト”にするって公言してた。『料理部が学園に貢献しているか、数字や声だけじゃなく実物で示せ』って」
「つまり、これが最後の審判ってことか」
その言い方は大げさかもしれないが、実際そうだ。廊下からはバタバタと騒がしい足音や、どこか浮ついた歓声が聞こえてくる。学園は“文化継承祭”と銘打って、異世界生徒たちとの合同発表や購買部の特設販売、風紀委員による安全管理など、ありとあらゆる催しを詰め込んだ一大イベントの真っ最中。
そこに俺たち料理部の屋台とやらが用意されたのだから、やるしかない。
「ところで、トメさんがやたら張り切ってるって噂だけど、大丈夫なの?」
ユウリが少し心配そうに問う。購買部のトメ、あのババアが張り切るとたいてい爆発フラグだ。
「トメさんは『今日は爆発なしの新作パンを作る』って言ってたけど、あの人だし信用できないよな。まだ気が抜けない」
「だよね。……ま、そっちの爆発は風紀委員に任せればいいか。あたしたちはスープに集中しよ」
ユウリが小さく笑う。俺もうなずいて鍋に集中する。桜色の湯気がふわりと立ち上り、独特の甘く優しい匂いが部室を満たす。これまで何度もこの香りに救われてきたんだよな、俺も周囲の連中も。
もう禁止令なんてくそくらえだ。
「ぷにゅっ」
足元でトロロ=ノ=スライミィ(桜色のスライム)が跳ね回っている。こいつは俺のスープを見るだけでテンションが上がるらしい。もともと味を判定してくれる“味見役”みたいな存在だけど、今日は大役だ。
なにしろ大舞台でこのスープを披露するから、事前に“美味いかどうか”を教えてほしい。
「トロロ、どうだ?」
「ぷにゅっ、ぷにゅ」
「……うん、悪くなさそうだな。死ぬ確率は低いか」
胸をなでおろしていると、今度は幽霊部員の牛島先輩が冷蔵庫から出てくる。相変わらず腰から上だけひょっこり浮いたまま、楽しそうに声をかけてきた。
「おー、仁やん。もう祭り始まっとるで。ステージのとこがぎょうさんにぎわってるわ。ちょいと覗いてきたけど、めっちゃ盛況や」
「先輩、そこまで浮遊できるなら、もう成仏しても……っていまはいいや。よし、俺たちも行くぞ。スープを運ばないといけないし」
急いでコンロの火を止め、特製の大鍋にふたをする。せっかくのスープをこぼすわけにはいかない。ユウリが手際よく手伝ってくれて、トロロは鍋の周りをくるくる回りながら“護衛”してくれているようにも見える。こういうときの一体感が、妙に胸を熱くするんだよな。
「私たちで鍋を抱えて移動するの? 結構重くない?」
ユウリが腕まくりして鍋の取っ手を持つ。
「大丈夫、俺も持つ。二人なら何とかなるさ」
「じゃ、いざ行くか」
そう言って部室を出ると、廊下はすでに華やかな飾り付けでいっぱいだ。異世界からの客人も、天井を回転する魔法陣や床下に走るスライム通路を観光している。どこを見てもバカみたいに盛り上がってるんだが、俺はこのスープでさらに雰囲気を爆発……いや、盛り上げたい。爆発は購買部に任せる。
体育館を改造した“メインステージ”は、まるで文化祭と異世界テーマパークが合体したみたいな賑わいだ。あちこちに出店が並び、異世界ならではの怪しげな雑貨を売るブースから、弓矢を射るアトラクションまである。購買部は定番の“新作パンコーナー”を設置し、トメが「今日は絶対爆発しないんよ!」と叫びながら接客している。
……正直、不安しかないが、そこは風紀委員が周囲に目を光らせてくれているはず。
「お、いたいた。仁くん!」
金髪の天使系男子・ミハエルがステージ近くで手を振っている。相変わらず背中に小さな羽をバタつかせ、神々しいオーラを漂わせているから、通り過ぎる生徒からも拝まれそうな勢いだ。
「ミハエル、お前ステージで何やってたんだ?」
「僕は“天上の調べ”ってやつをちょっと披露してただけだよ。すぐ終わったし、今は手が空いてるから手伝うよ」
「こっちの鍋を運ぶの助けてくれ。いま店ブースの空きスペースに料理部用の台が用意されてるって話だからさ」
ミハエルがふわりと浮き、鍋の上に浄化の光をかざす。絶妙なタイミングでスープを冷まさず保温する効果が出るらしく、湯気が消えずに適温を保ってくれる。天使便利すぎる。
ユウリは「あんたにしてはナイス」とか言って軽くぶっきらぼうに褒めている。
やがて、ステージ脇に設置されたテーブルの一角にたどり着く。ここが今日の料理部の“出店”らしい。既に“桜スープ無料試飲”と手書きで書かれた貼り紙が貼ってあるが、誰が用意してくれたのか不明だ。多分カグヤか、アラタの手配だと思いたいが……何にせよ助かる。
「よし、ここでスープをよそおう。禁止令がどうのとか言ってたけど、今日は文化継承祭だし特別に許されてるんだよな?」
「正確には“メグルが保留にしてる”ってだけだけど、背に腹は代えられないしね」
ユウリが周囲を見回しながら呟く。確かに、あの生徒会長が“特例”を出したわけじゃないが、これだけ大きなイベントだと彼女も一方的に止めにくいんだろう。
命をかけてでもやるという俺たちの決意を知ってるからかもしれない。
「おーい、スープってここで配るんか?」
聞き覚えのある声がして振り向くと、風紀委員の久遠アラタが立っている。
いつもの厳しい表情だが、少し緊張を解いた面持ちに見える。
「アラタ。今日は見逃してくれるのか? 液状食品は禁止令なんじゃ……」
「そうだが、これは“学園文化”かもしれないし、俺がどうこう言う立場を超えてる。……お前らが何をやるか、最後まで見届けるよ。もし本当に価値があるなら、その結果を生徒会長に報告する」
ぶっきらぼうに言い放ち、アラタは風紀委員の腕章をキュッと直す。悪い気はしない。どうやら完全に敵対してるわけじゃないようだ。少なくともこの一日は、“文化継承祭”という大義名分のもとで、スープを配っても逮捕されない……かもしれない。
「よーし、それじゃ配るぞ! ただし味見したい人は自己責任な! 具材は毒じゃないはずだけど、異世界素材混ざってるから絶対安全とは言いきれない。けど、俺はうまいと信じてる!」
声を張り上げた瞬間、そこここにいた生徒がどやどやと集まってくる。
「料理部、スープ復活?」「お腹減ったし、ちょっと飲みたい」なんて口々に言いながら列を作り始めた。メグルに怒られるリスクを承知で並ぶ時点で、相当みんな飢えてるんだろう。
購買部も爆発などの騒ぎを起こしていないようだが、パンだけでは満たされない胃袋があるのかもしれない。
「ほら、一人一杯までだぞ。あんまり量はないから順番守って」
「ユウリ、手伝って!」
「わかってるって」
ユウリが紙コップを配り、俺はスープを注ぐ。ミハエルが光のオーラで衛生管理をしてくれて、トロロは味見チェックに余念がない。牛島先輩は宙に浮いてガイド役をしている。
妙に連携が取れていて、どこか楽しい。
列に並んだ生徒たちは、一口すすっては「はぁ……やっぱこれだよね」「スープが禁じられるなんてありえない」「ああ、うめぇ」と、安堵や幸福の声を漏らす。俺がこうして直に感想を聞くのは久々で、胸がじんわり熱くなる。やっぱり腹が満たされる瞬間は尊いんだなって、あらためて実感してしまう。
「……って、あれ?」
ふと目を上げると、人混みの奥から甲冑を揺らして騎士団らしき姿が見える。どうやら王族代表の一行も見に来ているらしい。かつて桜スープで大泣きしたあの騎士団長が、じっと鍋を見つめてる。さらに別の方向を見ると、異世界転校生たちが手を振っていて、「先生のスープだ!」なんて声をかけている。
ユウリがその様子を目で追いながら、俺に耳打ちしてくる。
「すごい……本当にいろんな人が集まってきてる。あっちも、こっちも。もしかしてこれが最後のスープじゃなくて、“始まり”になるかもね」
「……お前、珍しく前向きだな」
「だってこんな光景、誰も止められないでしょ? 実際、何百人がスープを飲みに来てるんだから」
言われてみれば、体育館の一角が大きな行列で埋め尽くされている。スープ禁止令がうやむやになっているのは、今日が特別だからというわけではないだろう。多分、メグルが自分で言った「学園文化かもしれない」という可能性を否定できなくなっているんじゃないだろうか。
そうこうしているうちに、列の最後尾がざわっと揺れる。生徒たちが道を開けるように左右に寄った先に、見覚えのある白い制服が現れる。鳴神メグル、生徒会長その人だ。後ろには書記カグヤや数名の生徒会メンバーがついている。メグルの表情は硬い。
嫌な予感もするけれど、逃げられない。俺はしっかり鍋の前で構える。
「……ずいぶん盛況ね。スープ禁止令を無視してこんな大々的に配布するなんて、覚悟はできてるのかしら」
メグルが近づきながら静かに問いかける。視線が鋭いが、周囲の生徒は誰も動じずに一杯のスープを大事そうに抱えている。その光景が彼女の目にどう映っているのか、俺には分からない。
「禁止令を破ってるのは事実です。でも、これだけの人がスープを必要としてる。文化祭的な祭りで、腹を満たしたいってだけでなく、落ち着くとか、元気になるとか……いろんな理由があるんです」
「理由があろうと、ルールはルール。あなたはいつもそうやって“ノイズ”を広げるわね」
「スープがノイズなら、これだけ集まったみんなもノイズですか? ならばそのノイズを消してみてください。……できるなら」
メグルのまつげがわずかに揺れる。周りの生徒たちが息を呑んで成り行きを見守っている。ユウリは隣で静かに鍋に手をかけ、ミハエルは光を和らげてじっとメグルを見つめている。
「……あなたは私を挑発しているつもりかしら。でも、ここまで大勢を巻き込んだ以上、私だって軽率には動けない。『廃部査定』も『禁止令』も、私なりに理由があるの」
「理由って?」
「秩序よ。異世界が無軌道に浸食して、学校が大混乱を起こしてる現状を、どうにか安定させたい。だけど誰も止めない。むしろ騒ぐばかりで……私は、それを嫌ったの」
メグルが言葉を吐くたび、視線が少しずつ下向きになる。まるで自分自身と会話しているようだ。やはり彼女には彼女なりの事情があるんだろう。
「でも、それを理由に飯を禁止するのはあまりに酷すぎる。……黙って見過ごしてたら、俺は『食うこと』さえも失う。そいつは、生きるのをやめろって言うのと同じだと思います」
「あなただけでなく、みんなが。……そう言いたいの?」
「ええ、見てください。異世界の騎士団まで来てる。久遠アラタだって止めに入らない。購買部のトメさんも新作で大人しく……いや、爆発寸前かもだけど、一応楽しんでる。ノイズかもしれないが、こういう“雑多さ”こそ、この学園の文化だと思うんです」
メグルが周囲を見回す。行列に並ぶ生徒たちはスープをすすりながら、なんだか優しい笑顔をこっちに向けている。桜スープ独特の香りに包まれる体育館は、まるでお祭り騒ぎから一転して穏やかな空気も漂っているように感じる。
「ああ、もう……」
メグルが小さく呟き、目を閉じる。数秒の沈黙。
周りがざわつく中で、彼女は静かに目を開き、鍋を指さす。
「……私にも、一杯頂戴。昔、この味に救われた記憶があるかもしれないから」
「え?」
意外すぎる申し出に、俺とユウリは思わず顔を見合わせる。メグルは険しさを消さずに立っているけど、その瞳にほんのわずかな揺らめきがある。俺はすぐにしゃもじを持ち、一杯分のスープを紙コップに注いで差し出す。
彼女はためらいがちにそれを受け取り、じっと見つめてから口に運ぶ。
瞬間、メグルの眉がピクリと動く。表情に変化は乏しいが、一口、また一口とすすり、最後には目を閉じたまま飲み干してしまう。その喉の動きがわずかに震えている。
「……どう、ですか?」
俺が恐る恐る尋ねると、彼女は小さく息をつき、カップを持ったままこちらを向く。視線がさっきより柔らかい。
「濃すぎず、薄すぎず。でも底には深みがある。……こんな“争い”のない味、まだ残っていたのね」
「争いのない味、って?」
「昔、私が異世界にかかわったとき、戦争だの、爆発だの、そんな要素ばかりが頭を支配していた。だから異世界の存在を否定したかったのかもしれない。騎士団も購買部も、全部騒ぎの源に思えて。それを止めるには、ノイズを徹底的に排除するしかないって、思いこんでたの……」
少しずつメグルの表情が緩んでいく。持っていたカップにもうスープは残っていない。
俺は胸がぎゅっとなる。もしかすると、彼女はずっと孤独に戦っていたのかもしれない。
「でも、あなたたち料理部は争わずに爆発を防いだり、誰かの腹を満たすだけで感謝を集めたりしている。私にはそれが理解できなかったの。ただの“ぬるい行為”に見えて、余計なノイズだと思った。でも……これだけ人を救っているなら、無視できないわ」
「じゃあ、スープ禁止令は……」
「……ひとまず撤回してあげる。その代わり、責任を持って管理してね。無闇に毒素材を使ったり、爆発を誘発したりしないように」
その言葉が出た瞬間、周りから大きな歓声が上がる。「やったー!」「スープ解禁?」などの声に、メグルは「うるさいわね」と小さく照れている。ユウリは俺の腕をぺしっと叩いて「よし!」とガッツポーズ。ミハエルは「神に感謝……!」と小さな羽を震わせている。トロロも「ぷにゅっぷにゅ!」と嬉しそうに弾んでいる。
「あと……廃部査定に関しても、学園文化を担う一端として認めましょう。あなたたち料理部は正式に“学園公認”……というか、むしろ“重要文化部活”として残っていい。いや、残りなさい」
「え、本当に?」
「あなたたちがいないと、またこの学園が爆発に包まれるかもしれないしね。……あとはまあ、私が引いた線をあなたたちが越えて見せたということもある。認めないわけにはいかないわ」
自分でも意外なほど興奮しているのが分かる。手が震えてるかもしれない。
部室が守れた、スープが禁止されない、それどころか“公認”されるなんて奇跡だ。
ユウリが思いっきり俺の肩をバシバシ叩いて喜んでいるし、牛島先輩も「やったなあ!」と浮遊ダンス。アラタは少し離れた場所で腕を組んだまま「……ふっ」と小さな笑みを浮かべている気がする。
「……ありがとう。というか、今までごめんなさい。私、あなたたちを分かろうとしなかったから」
メグルがそう言いづらそうに呟く。俺はすぐ答える。
「いや、俺たちも勝手にスープ作って爆発抑えたりしてたから、書類上の実績はゼロだったし。でも、メグルさんがこうして最後に認めてくれて嬉しい。マジで、ありがとう」
するとメグルは微かに顔を赤らめて、「さん付けやめて」とか言う。俺は思わず照れ笑いしながら「じゃあメグル……ありがとう」と言い直す。近くでユウリがニヤニヤしているが、構いやしない。
これで“料理部廃部”も“スープ禁止令”も全部解消だ。
長かった戦いに決着がついた。
「でも、あんたがここまで譲歩してくれるなら、せっかくだしもう一杯飲んでいきなよ」
ユウリが鍋を差し出すと、メグルはわずかに笑って首を振る。
「いいえ、今度は客としてちゃんと並ぶわ。……今日のスープ、みんなで味わってるみたいだから、私もその“文化”に加わらせてほしいの」
「なら、列の最後尾へどうぞ。人気すぎてあと数杯しか残ってないぞ?」
「そういう適当な数もちゃんと管理しなさいよ……」
苦笑いしながらメグルは人混みのほうへ向かっていく。生徒たちが「あ、生徒会長だ!」とたじろぐが、彼女は軽く手を上げて列に加わる。
拍子抜けするほど穏やかな光景だ。
あれだけ張り詰めていた緊張が嘘みたいに、とけていく気がする。
数十分後。すっかり鍋の中は空っぽになった。大盛況もいいところだ。並んでいた生徒たちが最後の一滴まで桜スープをすすり、心も胃も温まったらしい。トメの購買部も無事に販売を終えたようで、「くそ、爆発せんかったから物足りんわ!」と文句を垂れながらも笑顔を見せている。
騎士団長は「また泣いてしまった……」と鎧をガチャガチャ鳴らして照れている。
ステージではアナウンスが流れており、締めの挨拶を生徒会書記カグヤが進めている。やたら格式ばった口調で「これをもって文化継承祭を終了します。皆様、ありがとうございました」と述べる。大混乱かと思いきや、平和に終わりそうだ。
ユウリと目が合って、お互いに小さく頷き合う。
全部うまくまとまった。
「ふう、ようやく一段落かな」
「だね。あたし、こんなに人前でスープを配の手伝いするなんて思わなかった」
「お前の王女設定も関係ないくらいだな」
「うっさい」
軽口を叩きながら、片づけの準備を始める。実際、王族だの魔法だの、最初は突拍子もない世界だったけど、今ではそれがごく自然に馴染んでいる。俺たち料理部も廃部の危機を乗り越え、公認どころか“重要文化部活”という謎の称号まで手に入れた。もうメグルにノイズ扱いされることもないだろう。
牛島先輩は「ワイもう成仏してもええかな……いや、やっぱ辞めとくわ」とか言いながら冷蔵庫に浮かんで帰っていく。ミハエルは「みんなを祝福したい気分」とか言って大天使の歌を口ずさみはじめ、近くにいた生徒がうっとり聴き入っている。
まあ、あれでトラブルを起こさないならいいけど。
「……んじゃ、俺たちも部室に戻ろうか。鍋が空っぽになったし、今日はもう売り切れだ」
「そうだね。もう十分やりきったし、さすがに疲れたよ」
ユウリと一緒に煮沸した鍋と道具を持って体育館を出る。待ち構えていたアラタが声をかけてくる。
「お疲れ。最後まで爆発は起きなかったし、どうやらメグルもお前たちを認めるらしいな」
「ああ。てかお前、今回は取り締まらなかったのな。ありがとな」
「別にいい。……俺も、昔はお前と一緒にバカやってスープ飲んでたからな。勝手に無くなるのは、ちょっと寂しいと思ってた」
「そっか。じゃあ、また部室に遊びに来いよ。新メニューでも出すから」
「検討する」
アラタはわざと素っ気なく返事をして、風紀委員の仲間と合流していく。その背筋は前より柔らかい印象だ。あいつも心のどこかで楽しんでくれたなら嬉しい。
夕方、部室に戻ったころには祭りの熱気が少しずつ引いている。
窓を開ければ、ピンク色の異世界キノコが夕陽を受けてほんのり光っているのが見える。三年前に突如生えて大騒ぎになったあれが、今では俺たちの生活の一部だ。考えてみれば不思議な話だけど、もうどこか当たり前になっている。
「……結局、異世界が生えても飯は食う。なんだかんだでみんな生きてる。それで充分だよな」
ぽつりと口にしてると、ユウリが棚に寄りかかってニヤつく。
「あんた、最初からずっとそれ言ってたよね。『腹が減るから飯作る、それだけ』って」
「事実だしさ。あのメグルだってスープを飲んで許してくれた。俺としては理屈抜きで嬉しいよ」
「ほんと単純だな。……でも、その単純さに救われた人は多いと思う。あたしだって似たようなもんだし。ま、素直に認めるのはちょっと恥ずかしいけど」
ユウリは目をそらしながら、さりげなく隣に寄ってくる。部室の空気はいつもより静かだ。今日の大騒ぎが嘘みたいに、ここだけ時間がゆっくり流れている気がする。
「でも、これで明日から堂々とスープを作れるな。料理部が消される心配もないし、禁止令も解かれたし」
「そうだね。いよいよ、あんたのスープが“公認”になるわけだ。……なんか、感慨深いね」
「まあ、でも毎日やることは変わらない。異世界食材をうまく調理して、誰かに食べてもらう。それだけだよ」
「ふふ、バカみたい。でも、あたしはそのバカっぽさが好き」
何気ない会話がやけに楽しい。扉の向こうでは牛島先輩が歌い出す声が聞こえ、トロロが「ぷにゅっぷにゅっ」とハミングしている。ミハエルはいつの間にか保健室へ“天使ケア”に呼ばれたらしく姿が見えないが、きっとどこかで笑っているんだろう。
顔を上げれば、夕焼けの光が部室をオレンジ色に染めている。三年前にこの場所でスープを煮はじめた日から、ずっと変わらず俺はここに立っている。なにも大それた夢があるわけじゃない。強くも賢くもない。けど、みんなが腹を満たして笑ってくれるなら、それでいい。
「なんか、こうしてると“桜スープが世界をつなぐ”ってのも大げさじゃない気がするね」
ユウリがぽつりと漏らす。俺はしゃもじを手のひらで転がしながら、小さく笑い返す。
「まあ、世界がどうであれ、明日も腹は減るからさ。いい加減、守るとかじゃなくて、笑い合って食べたいよな」
「そうだね。あたしも……ここでなら、それができると思う」
目を合わせると、静かな微笑みが広がる。騒ぎの絶えない学園で、俺たちはなぜかこういう小さな安定を見いだしている。戦わなくても、スープがあれば生きていける。そんな単純な真理が、王族や天使や幽霊を巻き込んでも成り立つなんて、不思議でたまらない。
「よし、とりあえず今日は解散しよう。また明日からいつも通り、スープを煮込むだけだ」
「はいはい。……あ、そうだ。あんた、ちゃんとメグルにお礼言った? せっかく部を残してくれたんだからさ」
「う、うるせえな。部室片付けてからにするよ。あいつまだ体育館にいるだろ」
「ふふ、そっか。行きなよ、ちゃんと伝えるといいと思うよ」
ユウリが背を向けて、鞄を手に取る。俺も鍋を洗ってシンクを片づける。窓の外にはまだ異世界キノコが揺らめいているけれど、今日はやけに静かに見える。きっともう、根こそぎ争いを呼ぶような爆発は起こさない……といいな。いや、起きたら起きたで俺はスープを作るだけか。
最後に、部室の戸締まりを確認してから、もう一度だけ桜スープの余韻を感じる。香りはほとんど薄れているけど、気のせいかほんのり甘い匂いが心に染みる。
この匂いこそが俺たち料理部の象徴であり、学園で生き抜く術だ。禁止されようが廃部になりそうになろうが、やっぱり作りたいんだ。うまい飯を、みんなと一緒に笑いながら食うために。
――外へ出ると、夕陽に照らされた校庭はオレンジとピンクが混ざり合ってる。遠くから購買部のトメが「次は絶対爆発させるでぇ!」と叫んでいて、風紀委員が「やめろー!」と慌てている。変わらない日常がそこにある。けど、今日はほんの少し優しさに満ちている気がする。
「よし、メグルに礼を言いに行ってくる」
「ちゃんと素直に言うんだよ?」
「わかってる。あ、ユウリ、お前は先に帰っていいぞ」
「じゃ、そうする。ま、今日はいろいろ疲れたしね」
軽く手を振って別れる。ユウリの後ろ姿を見送ってから、俺は体育館のほうへ足を向ける。廊下にはまだ残り香のような桜スープの匂いが漂っていて、一歩進むたびにこれまでの喧騒を思い出す。廃部査定やスープ禁止令、異世界の騎士団や購買の爆弾パン、風紀委員との衝突……全部まとめて思い返すと、本当にバカバカしくも最高の騒ぎだったと思う。
でももう決まった。料理部は生き残るし、スープは学園文化として認められた。桜スープはただの水っぽい液体じゃない。誰かと誰かをつなぐ味、心を暖めてくれる“戦わない武器”みたいなものだ。そういう大げさな言い方だって、今なら堂々と信じられる。
「あー、空気がうまい。……よし、飯だ飯。帰りにコンビニでも寄るか」
――明日もまた、この笑い声を胸に、部室で鍋をかき回す。騒動が起きたら爆発を阻止し、新しい食材を試す。俺の足元には桜スープの香りがずっと漂ってる。世界がどう変わろうと、飯を食べるのはやめない。みんながここで笑ってくれるのなら、異世界と学園の融合だって悪くないと思えるから。
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