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第4章 異世界家庭科、始まっちゃいました

 今朝は校内放送がやたら騒がしい。

 いつも購買部爆発の報告で飽き飽きしているが、今日は全然違うアナウンスが聞こえてきた。


『本日、異世界教育省の視察団が来校します。関係者は準備をお願いいたします』


 異世界教育省? なんだそりゃ。

 俺は廊下の掲示板を覗き込み、そこに貼られたプリントを読んで二度見する。どうやらこの浮ヶ原高校と異世界サイドの“交流強化プロジェクト”らしく、その一環で「家庭科教育モデルを一緒に研究する」なんて書いてある。

 オイオイ、ただでさえろくでもないハプニングが多い学校に、さらにややこしいイベントをぶち込む気か。


「仁くん、なんだか面白そうだよ。異世界の人たちが授業を見学しに来るんだってさ」


 すぐ横で天使系男子のミハエルが微笑んでいる。彼は朝から元気いっぱいで、そのオーラのおかげで廊下が軽く浄化されている気さえする。

 いや、浄化してもらうのは爆発跡とか汚れだけで十分なんだけど。


「面白そうって……また厄介ごと増えるだけじゃないか」

「そうかな。何か新しい発見があるかもしれないよ。だって、異世界教育省なんて滅多に聞かないじゃない?」

「まあ、確かに初耳だが」


 そうやって話していると、背後から唐突に「ちょっと、どいてよ」とか言いながら誰かがすり抜けてきた。見ればユウリがスマホ片手にバタバタ走っている。朝から妙に忙しそうだ。


「お前が走るなんて珍しいな。購買の爆発が激しくて避難するのか?」

「違うよ。生徒会のカグヤに呼ばれたんだって。なんか“新プロジェクトの説明があるから”って連絡がきた。めんどくさいしスルーしたいんだけど、そうもいかないでしょ」

「……そりゃそうか」


 カグヤといえば異世界貴族の血を引くエルフで、生徒会の書記をやっている人物。

 校則の抜け道をやたら詳しく知っていて、「例外項目七十七」とか訳の分からん条文を振りかざしてくる。ユウリもいちおう王族出身らしいが、まるで普通のJKみたいな態度だし、あまりこういう公式行事に乗り気じゃなさそう。

 だが結局、彼女はスタスタ歩き去ってしまう。


「ミハエル、お前も生徒会から呼ばれたりしてないのか?」

「ううん、僕は天界枠だからあまり関係ないみたい。そういう書類仕事は苦手だし、呼ばれないに越したことはないね」

「だな。俺も関わりたくない……」


 そんな会話を交わしながら教室に向かったら、ホームルーム前にふたたび校内放送が入り、教師の声が響く。


『えー、生徒諸君に連絡する。十時より、異世界教育省の視察団が本校を巡回する。その後、特別に“家庭科実験授業”が行われる予定だ。詳細は追って知らせる。以上』


 家庭科実験授業? なんでわざわざ実験? 不穏な予感がしてならない。

 しかもホームルームの先生曰く、「料理部の八代、お前にも関係があるかもしれん。後で職員室に来い」なんて言われた。はあ、まさか俺にまでお呼びがかかるのか……嫌な予感しかしない。


 ――予感は的中する。職員室に呼ばれた俺を待ち受けていたのは、異世界教育省から来たという二人組。ひとりは背中に小さな翼のあるドラゴン人の女性で、スーツをきっちり着こなしている。もうひとりは太ったオークの男性で、やはりスーツ姿。見た目は人間社会の役人っぽいのに、角とか牙が飛び出してるせいで威圧感がすごい。


「ああ、君が“スープの人”か。なるほど、コック姿じゃないんだな」

「コック姿で授業受けるわけないでしょ。……えっと、どういったご用件で?」


 するとドラゴン人の女性――名札に書かれた名前は“ドラーク・エミリア”――がすごくまじめそうな声で説明し始める。


「私たちは、異世界の学生がこちらの世界で料理を学ぶカリキュラムを作ろうとしているんです。そこで、この学校には“危ない食材を無難に変えてしまう料理部”があると聞きましてね」

「危なくない食材を使ってるだけですけど……」

「そう。まさにそこがポイントです。凶暴なモンスターの肉や猛毒草などを、一度煮込んでマイルドにする技術が有名だと」

「有名かどうかは知りません。無理しない範囲でやってるだけなんで」


 俺が困惑していると、オークの男性のほうが熱い眼差しでまくし立てる。


「そこで提案なんだ。君のスープ技術、いや料理ノウハウを、異世界転校生向けの“家庭科モデル授業”として公開してくれないか? 例え一回きりの実験でも、我々にとっては貴重なデータになる!」


 要するに“非常勤講師”をやってほしいと。そのための打診らしい。しかも生徒会が事前に了承済みだとかで、すでにカグヤが特例承認を取っているとのこと。

 訳がわからないまま、先生も「八代、お前ならできるだろ」と無茶ぶりしてくる。

 いやいや、俺はただの料理部員であって教員免許どころか、教え方すら知らないし……。


 けれども、ドラゴン人の彼女はにこやかに言う。


「大丈夫。あなたの作る『桜スープ』はどんな生徒でも安全に食べられる、と評判です。教育的価値は十分にありますよ。もちろん報酬とかも考えていますし、授業時間も短めに設定してあります」

「そう言われても……俺、他人に教えるなんて自信ないです」

「そこはサポートしますので、ご安心を。よろしいですね?」


 よろしいも何も、既成事実になりつつあるじゃないか。

 うーん、断ると面倒ごとになりそうだし、やれやれ。こうして俺は“今日の午後”に異世界転校生たち相手の家庭科実験授業をやる羽目になってしまった。


 ――昼休み。俺は慌てて部室に飛び込み、今日こそは平和にスープを作ろうと思っていたが、スープどころか“授業準備”を急がねばならない。

 部室にいたユウリに事情を話すと、まさかの返答が返ってくる。


「あー、その件、さっきカグヤから聞いたわ。あたしもアシスタントやれってさ。『元・王族が積極協力するとイメージアップ』とか言って」

「ふざけてるのかと思ったら、本気で言ってんだな、あいつ……。てか、ユウリが手伝うってこと?」

「仕方ないじゃん、逃げられないし。どうせ暇だから手伝ってあげるよ」


 意外と頼りになる返事に、俺はちょっとホッとする。続いて、天井近くで“ぷかぷか”浮かんでいた牛島先輩がニヤリと笑う。


「ええやん、楽しそうやんけ。ワイはよう手伝わんが、応援しとるで」

「先輩は成仏してもいいんですよ、たまには」


 そんな冗談を飛ばしていると、ミハエルまでひょっこり顔を出す。どうやら彼も聞きつけたらしく、「僕も手伝わせて! 生徒たちが混乱しないように、神聖なオーラで場を整えるよ!」なんて張り切ってる。

 聖域授業ってなんだ。まあ、いないよりマシか……。


 こうして、気づけば俺は“臨時教師”としての授業を始める時間を迎えていた。

 午後のHR終了後に割り当てられた教室――そこには、予想以上にクセの強そうな連中が集まっている。獣人の女子が尻尾を振り回していたり、厨二めいたローブを着込んだ男子がブツブツ呪文を唱えていたり、スライムを採集しにきた錬金術志望の奴がいたり……。

 教室が小規模なのがせめてもの救いだ。


「……えっと、みんな、よろしく。俺は料理部の八代仁。今日は“家庭科”ってことで、料理を通して日常生活の基礎を学ぶ……らしい」


 自分で言っててもおかしな話だ。だが、生徒たちはバラバラに反応するだけで、落ち着きはない。ユウリとミハエルも手伝ってくれるが、とにかく教壇を騒音が包む。

 「先生~、魔界牛のステーキはどうやって倒すんですか」とか「食材と対話できる僕には教科書なんて不要です!」とか、まともに授業が進まない。


「おい、静かにしろ! つーか料理は戦闘じゃないんだぞ!」

 声を張り上げるも、誰も話を聞いちゃいない。すると、いきなりドアがガラッと開いて、購買のトメさんが乱入してきた。


「わしも参加させてもらうで~! 300年熟成した火山ソースを差し入れしてやるから、みんなで爆発させて――」

「だめだめだめ、トメさん出禁! 危険物は持ち込み禁止!」

「ケチやなあ。ほら、ちょっとだけなら大丈夫やろ?」


 さすが購買のマッド開発者。どこまでも爆発上等なノリだ。慌てて追い返そうとすると、奥から風紀委員アラタまで姿を現し、「なんだここは、もはや修羅場か?」と呆れた声を出している。

 もうカオスすぎる。


「……俺、ちゃんと授業できる気がしないんだが」


 頭を抱えかけたところ、ユウリが「ま、あたしもこんな学校だけど最初は慣れなかったし」とつぶやいてくれる。うん、ちょっとだけ救われる。ミハエルは相変わらずニコニコして「じゃあ実習を始めようよ。形から入るのが一番だし」と提案してくる。

 確かに理屈を並べてもみんな聞いてくれそうにないし、早速調理実習に入るか。


「じゃあまず、シンプルな野菜炒めをやろう。包丁の使い方とか鍋の火加減とか、そういう基礎を覚えようぜ」


 そう宣言し、配られたまな板や包丁を手にする生徒たち。ところが素材のキャベツらしき葉っぱがなんか鳴き声をあげる。厨二ローブ男子が「静まれ……静まれ……」と呪文みたいに唱え始めるし、逆に獣人の女の子は「生きてる素材! 捕獲は任せろ!」とか言って躍りかかる。

 授業というよりサファリパークだ。


「ちょ、こら、普通に切っていいんだ。食材だから……いたぶる必要はないって!」

 必死でフォローするが、途中で火の魔法が暴発してフライパンが逃げ出したり、あちこちで悲鳴や爆音が上がったり、一瞬でも目を離せばどこかが燃えている。

 授業どころじゃないぞ、これ。


「先生、どうしたらいいんすか! 炒めたいのにフライパンが高笑いしながら飛んでいきました!」 「知らんよ! あ、でも魔法陣で捕まえて……っ、何なんだよこれ!」


 もう焦りしかない。ユウリも「あたしが思ってた以上にカオスだ」と呆然としているが、なんとか床に転がった鍋を拾って対処してくれている。

 ミハエルが「光のソースで落ち着いて……」と祈りを捧げると、少しは動きが鈍るのが救いだ。


 ハチャメチャな状況が続くなか、一人だけ黙って野菜をちゃんと切ってる女の子が目に留まる。

 儚げな雰囲気のエルフ族らしい少女で、名札には「ラティナ」と書いてある。彼女だけは暴れず、真剣な眼差しでまな板の上の人参と向き合っていた。


「ラティナ……だっけ? 大丈夫か? 周りが騒がしいけど」

「あ……はい。私、こういう授業って初めてなんです。でも先生のスープが好きで……一度、教えてもらいたいと思ってました」

「俺のスープって、飲んだことあるの?」

「はい、購買が爆発した日の昼に、こっそり料理部を覗いて……あの桜スープを少しだけ。あれ、すごく落ち着けたんです」


 なんかすごく素直でいい子だ。ここまでまともに興味を示してくれる生徒がいるなら、やりがいも出てくる。……と、後ろでまたガシャーンという音がし、誰かが「ギャー鍋が襲ってくる!」と叫んでいる。ああもう、うるさい。


「よし、じゃあ皆一度手を止めろ! 次は“スープ作り”をやるから、いったん野菜炒めは中断!」

 俺は声を張り上げ、即座に実習内容を切り替えた。炒め物よりスープのほうが火力制御しやすいし、鍋が逃げるにしてもフライパンほどじゃないはず……たぶん。

 頭の痛くなる騒ぎをなだめつつ、買い込んでおいた桜花エッセンスや野菜類をみんなに配っていく。


「これから作るのは、俺が普段から部室でやってる“桜スープ”に近いものだ。ただし危険素材は使わないで、味を薄めにする。お前ら、まずは具材を丁寧に切って、鍋に入れて……変な呪文はいらないからな!」

「はい先生!」

「呪文禁止なのか……くそっ!」

「爆発はいつ起こせば……」

「起こすな!」


 あれこれ叫びが飛び交うが、それでも少しずつ鍋に材料が集まっていく。

 ミハエルが周囲を回って、適度に光の加護を降らせてくれるおかげか、さっきほど暴発は起きなくなった。トメさんが紛れ込んで「火山ソース使う?」「帰ってください!」なんて小競り合いもあったが、なんとか排除完了。


 そして、どの鍋もほのかに桜色を帯び始める。香りがふんわりと教室に広がっていく。

 最初はやる気のなかった生徒たちも、意外と真剣な目つきになりはじめ、鼻をくんくんさせながらかき回している。やっぱり飯の力はすごい。


「ぷにゅ?」 いつの間にか、トロロ(桜色スライム)まで入り口からこっそり這い入ってきた。

 部室じゃないのに……と思ったが、桜スープの匂いを嗅ぎつけてきたんだろうか。近くでぷにゅぷにゅ震えてるのを見て、生徒のひとりが「かわいい!」と騒ぎはじめる。

 すると自然に笑いが起こり、さっきまでの殺伐とした雰囲気が消えていく。


「桜スープって、こんなにいい匂いするんだな」

「なんだか魔法より神秘的かも……」

「匂い嗅いでると眠くなる~」

「おい、鍋の見張りがんばれよ」

 そんな声がちらほら聞こえて、俺は少しだけ安堵する。

 慌てて走り回らなくても、生徒たちが自分から鍋を見てくれるのは大きい。


 しばらく煮込んでから火を止め、みんなで小さな紙コップにスープを注ぐ。まだクラスルームだから本格的な食器はないけど、味見くらいは十分できるはず。

 俺は生徒たちの反応を固唾を呑んで見守る。ドキドキするな、こういうの。


「……うん、意外といい味じゃん。爆発感はないけど落ち着く」

「なんか、頭の中がポワーンとする~」

「これなら朝食にも夜食にもいけそう! 呪文の詠唱しながらでも飲めるかな」

 各人勝手なことを言うが、どうやら“おおむね好評”らしい。食べて倒れる奴もいないし、毒もなさそうだ。ホッと胸を撫で下ろしていると、ラティナがそっとこちらに近づいてきて微笑んだ。


「先生……ありがとうございました。すごく美味しかったです。なんだか嬉しくて……」

「そっか。そう言ってもらえると、やった甲斐があるな」

「また、教えてもらえますか? もっと、いろんなスープを作りたくて」

「もちろん。俺もまだまだ手探りだけど、一緒に試してみよう」


 そんなやり取りをしていると、がらりと教室のドアが開き、冒頭で会った異世界教育省の二人が入ってきた。彼らは生徒たちの様子をざっと見渡し、微笑ましい表情になる。


「ああ、だいぶ落ち着いて見えるね。最初は騒ぎがあったと聞いたが……うまく収まったみたいだ」

「はい。皆さんのアンケートを見ると、『爆発が少なかった』『食べやすい』『落ち着いた』など好感触の意見が多いですよ。素晴らしい」


 何が素晴らしいか分からないが、少なくとも惨事を回避できたのは事実だ。俺もこっちも助かる。彼らは「このまま“異世界家庭科教育モデル”として正式導入を検討したい」と大げさなことを言い始める。

 俺はちょっと困ってしまうが、まあ、これも貴重な経験ってことでいいか。


 一方で、ユウリはややあきれ顔で「ふぅ、もう疲れた」と小さくつぶやく。ミハエルは「みんな満足そうでよかったね」と相変わらず微笑んでいる。

 視線を横にやると、風紀委員のアラタが教室の隅に立っていた。腕組みしながらじっとこちらを見ている。あれ、いつの間に?


「……何か用か? いつものように校則云々言うつもりなら、今日は授業扱いだから大目に見てくれ」

  俺が声をかけると、アラタは無言でこちらへ歩み寄り、小さくうなずいてから桜スープを啜る。


「別に問題はない。……むしろ、まともに機能していることが驚きだ。おかげで大騒ぎも最小限で済んだし、風紀に支障はない。もっとひどい惨状になるかと思ったが……いや、見直したよ」

「お、おう……ありがとう?」

「礼ならいらない。ただ、少しはましになったなと思っただけだ」


 そう言ってアラタはコップを置き、スタスタと教室を出ていった。何があったのか知らないが、どこか柔らかい雰囲気を感じるのは気のせいじゃないのかもしれない。

 あいつなりに料理部や俺たちの活動を認め始めているのか、あるいはただ厳重警戒の末に呆れただけなのか……どっちにしろ、悪い気はしない。


 授業後のアンケート用紙を見ると、「スープで泣きそうになった」「爆発は期待してたけど起きずにちょっと残念」「落ち着いた分、物足りなさもあるが勉強になった」など、変にバラけた感想が並んでいた。トメさんが爆発系調味料の使用を許可されなかったのが不満だったのか、「それでも何人か倒れた?」なんて書き込みもあったが……たぶん大丈夫だろう。保健室で寝てるくらいで済んでいると思いたい。


「いやー、ひとまず無事に終わったんじゃない?」

 ユウリが肩を回しながら机を片付ける。俺も調理器具を片付けてゴミをまとめつつ、深いため息をつく。


「なんとかな。教えるって難しいな。普段は自分で作るだけだから、他人に段取りを示すのがこんなに大変だとは思わなかった」

「ま、変な連中ばっかだし、しょうがないよ。でも、なんだかんだで“仁のスープ”があったから収拾ついた気もする。わたしとしては見直したっていうか……」

「え、何て?」

「別に、なんでもない。あたしはあくまで手伝いしただけ」


 少し頬を染めて目を逸らすユウリ。素直じゃないけど、たぶん褒めてくれてるんだろう。

 自分でもこんなにヘトヘトになるとは思ってなかったが、生徒たちがあの桜スープを飲んで少しでも“落ち着く”って感覚を持ってくれたなら、それだけで意義はあったんじゃないか。そう思うと悪い気はしない。


 あらかた片付けを終え、人気が引いた教室を出る頃には夕暮れが差し込んでいた。重たい鍋を抱えながら廊下を歩いていると、ラティナがぺこりとお辞儀して「今日はありがとうございました。先生のスープ、ほんとに大好きです」と言ってくれる。

 俺は「先生じゃないよ」と照れつつも手を振った。こういう素直な子もいるんだな。


「で、次はどうすんの? これで終わり?」

 ユウリが何気なく尋ねる。ミハエルは光を少し散らしながら、にこやかに言う。


「教育省の人が“もう一回やってほしい”って騒いでたから、たぶんそのうちまた依頼が来るんじゃないかな?」

「マジか……勘弁してほしいけど、まあ拒否る権利はなさそうだな」


 肩を落とす俺。だが、なんとなく胸の奥には小さな達成感がある。この学校の“普通じゃない連中”にも、ちゃんと“食べればホッとする瞬間”があるんだと再確認できたからだ。

 爆発やら呪文やらなくても、桜スープは生徒たちをほんの少し笑顔にできる。俺がひいひい言いながら頑張ったかいがあったってもんだ。


 廊下の突き当たりにはカグヤが書類を抱えて待っている。いつもの冷静な顔で「授業お疲れさま。何か問題が起きたら、私のほうで“特例処理”にしますから、そこはご心配なく」と言い放つ。

 何でも特例で通すとか、この学校、改めてスゴい。


「そういえばカグヤ、次回はもっと大人数でやるとか言ってないだろうな? 俺ひとりじゃ無理だぞ」

「ご安心を。あと数名、非常勤補助講師を呼ぶ予定です。例えば“モンスター育成”が得意なチョウ先生とか」

「絶対また混乱しそう……」


 頭痛が増すような予感しかしない。だけど仕方ない。こうしてまた、俺の周りには謎のイベントが連なりそうだ。正直、カグヤが頭を捻るほどきちんとルールを作ってくれるなら、まだマシかもしれない。

 どんなに異常でも、腹が満たされるなら人はなんとかなる。そう信じるしかない。


 ――もう日も落ちかけて部室に戻ると、幽霊部員の牛島先輩がふわりと浮きながらニヤニヤしてる。

「ほら、仁、ええ顔しとるやん。ちょっと教師っぽいわ」

 なんてからかわれても、もう否定はできない。実際、今日は俺がみんなを“引率”してたのは事実だし。自分じゃ想像してなかった姿だけど、こうして人に何か教えるのも悪くはないと思えた。


 最後に、ふと思い出して今日の生徒向けアンケート用紙をめくってみる。そこには、「桜スープ最高! 先生、また飲ませて!」という殴り書きがいくつもある。他にも「素材が逃げてすごく楽しかった」「もうちょい爆発欲しかったけどまあヨシ」とか、好き放題なコメントが混ざってるけど、全体的には好印象のようだ。何より「こんな学校でもホッとできる場所が欲しかった」という一文が、妙に胸に染みる。


「……まあ、やってよかったかもな」


 小さくつぶやいた瞬間、窓際からユウリの声がする。「なにニヤついてんの?」と薄ら笑いを浮かべてこっちを見てる。俺はバツが悪いような気分で「うるせぇ」と返しつつ、アンケート用紙を机にしまい込む。教師なんて柄でもないし、慣れるつもりもないが、少なくとも今日一日の騒ぎは悪いことばかりでもなかった。そこに気づいただけで、俺の気持ちはかなり軽い。


「さて、帰るか。桜スープの匂いがまだ服に染みついてるけど……風呂で洗い落とせばいいか」

「もう一杯くらい飲んでいきなよ。あたしもちょっとだけ手伝ったし」

「お、珍しく前向きじゃん。じゃあ、ちゃちゃっと温め直してくるわ」


 部室のコンロにかけた鍋から立ちのぼる桜色の湯気を眺めながら、今日はどんな一日だったのかぼんやり振り返る。結論としては、“異世界家庭科”なんて超無茶な企画でも、飯は人を落ち着かせる力を持っているんだと再確認した。俺が頑張る理由なんてそれで十分だ。

 外ではまた購買部が何か爆裂音を上げているが、これが浮ヶ原高校の日常だ。異世界の教育省だろうが、転校生だろうが、混沌に陥るほどこっちのスープが喜ばれるならまだまだ捨てたもんじゃない。鍋にお玉を浸してすくいあげると、湯気が顔を撫でる。思わずふっと笑みが漏れる。


 ――俺は強くはないし、戦えない。でも、メシを作ることで誰かの心をちょっとだけ楽にできるかもしれない。そう思えるだけで、異世界まみれのこの学校を“悪くない場所”と感じられるんだよな。

 今日もまた、桜の香りが鼻孔に広がる。やれやれ、疲れた身体にこれは効く。


「いただきます……」


 軽くつぶやいて一口。ほんのり塩気と桜の甘さが同居したスープが、身体に染みわたる。教室の喧騒や奇妙な生徒たちの顔が、脳裏に浮かんできてはスッと消えていく。

 もうしばらく、この香りを味わっていたい。そんな気持ちを抱きながら、俺は今日の締めくくりとして小さく息をついた。


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