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やっちゃん 8

 女将が代替わりしてから、刺青者の出入りがめっきり減った。

 ここら辺りのシノギが減っているからで、どの組も景気が悪くて温泉遊びを出来る程余裕がない。

 昔はヤクザも宿に気を使って、刺青者ばかりの寄合じゃ他の客に迷惑だろうと、宿が暇な時期に二晩借り切っていた。

 だから、宿もそれなりに歓迎してくれていた。

 ところが、金回りが悪くなるとそんな御大臣遊びもできなくなって、個人で温泉につかりに来るようになった。

 最初のうちは刺青があっても漁師町の事、もしもの時の為、遺体確認用の刺青程度に客も従業員も思っていた。

 それが、都会からの事情を知らない客が増えると、刺青者は宿から締め出されてしまった。


 昔から古い付き合いの宿屋と言ったって客商売。

 事情があっての事だし、俺達みたいなのにかまっていたら従業員が食いっぱぐれてしまう。

 宿が刺青の入った客の入浴を断るのは仕方ない。

 そんな時代だが、俺は山城の親父に連れられて何度もこの宿に来ている。

 本当ならば、刺青のせいで大浴場には入れないのだが、掃除が終わって男女湯入れ替えの時間には、他の客がいないから貸切状態で大浴場に入れてもらえる。


 宿が新興勢力に脅されていた時、山城親父が随分と骨折ったので、他の組と違って俺達には待遇の良い宿だ。

 昼間に俺は大浴場へ入れないから、女将が気を利かせて家族風呂を使わせてもらえた。

 部屋はいつも最上階の特別室で、料金は一般の部屋と変わらない。

 これは特別待遇って訳じゃなくて、四階に二部屋限りの特別室には、エレベーターがないからだ。

 殆ど使われないから階段の途中に柵があって、一般の客が入れないようになっている。

 危ない商売をしている俺達みたいな者の為のセキュリティーだと言っているが、見方を変えれば極道の隔離部屋だ。


 部屋でゆっくりしていると、近くの組の親分が部屋まで挨拶にやって来た。

 どこからか俺達の宿泊情報が漏れて、地回りの組に知られていた。

 山城の家の人間だからといっても俺みたいな三下に、組長自ら挨拶もないだろうと戸惑っていたら、風呂から上がったヤブが帰ってきた。

 酷い風邪ひきはどこへ行った。

 手には生ビールの大ジョッキを持っている。

「そのおっさんのおごりで、もうすぐ岩牡蠣が来るぞ」

 組長を指さしている。

 恐れ知らずのトコトン失礼男で、いくら落ち目とは言え地元の組長を指さしコイツと言うあたり、ヤブが堅気の医者で良かったと思える。

 これが同業だったら、とっくにスナメリの餌にされている。


 いくら俺が山城の家ででかい面していても、業界じゃまだまだ駆け出しだ。

 それがどういった風の吹き具合か、本当ならこちらから挨拶に行かなければならない御偉いさんが、わざゝこの宿まで出張ってきてくれているのには、何か深い訳があるはずだ。

 ヤブの無礼に切れてくれなければいいがと思っていたら、組長がヤブにつかつか歩み寄っていく。

 懐に手を入れたから、こりゃあチャカで一発彼の世に行ったヤブの抜け殻を片付けるのが大変だと見ていた。

 すると、懐から出したのは封筒に入った分厚い物で、組長がそいつを頭下げながらヤブに渡している。

 複雑な光景にとんでもない拍子抜けだ。

 がっかりしたような安心したような。


 何でこうなったのか問い詰めれば、最近乗っ取った病院の改修工事を、組長の息がかかった会社に発注していた。

 公共事業や大きな工事では、業者が便宜を図ってもらった礼に袖の下をガバスカ渡すのは通例だ。

 それを、自分の病院の工事業者から受け取るとは、それも直接ではなく、えらく遠回しだが見え見えのガラス張りでやらかしている。

 とんだマヌケかウスラか馬鹿か、はたまたとんでもない商売音痴か。

 裏の世界で生きていれば当たり前の光景だから、別段汚くも感じないが、堅気衆が見たら何でも金で買えると思いやがって気に入らねえと顰蹙を買いまくる。


 つまらない取引を見ていると、いくらもしないで仲居が岩牡蠣とビールを持って上がって来た。

 部屋は涼しかったが暑い季節の事で、冷えた生ビールは飛び切り美味い。

 給仕をしながら仲居が「随分と久しぶりだね」と言う。

「ここのところ仕事が忙しくて」と答えた。

 すると「これからは毎日でもこられますわね」

「何で毎日なんだ」

 仲居がヤブに「まだ言ってないんですか」と聞くと、ヤブが頭を縦に大きくにフリフリしている。

 はてさて何の話なのか、二人の妙な動きが気になる。


 牡蠣もビールもすすまないまま、部屋では地回り組の若い衆まで混じっての宴会騒ぎだ。

 もとより客の少ない宿だったが、近くにでかい温泉施設ができてから客足が伸びないどころか縮こまって遠のいて閑古鳥が鳴いている。

 多少の騒ぎは大目に見てもらえるが、ここまでの乱痴気騒ぎは久しく見ていない。

 鉄火場が殴り込みに遭った時の五倍は五月蠅い。

「宿迷惑だから止めろ」と言っても、誰も聞かない。

 いい加減堪忍袋も破裂しそうになったので、匕首をヤブの喉元につきつけてやった。

「貸切だよ~」間の抜けた答えが返ってきた。

 俺が穏便な性格だと知っているにしても、ちいと位はビビッてくれてもいいじゃねえか。

 医者だなんて言ってるが、これでもヤクザだぞ。

 コラ! いざとなったら親でも殺す。

 少しは緊張してほしかった。


 貸切だとか何とか言ってた。

 どこから金が出てるのか、そんな事はどうでもいい、ならばこんな馬鹿共と飲んでいたってつまらねえ。

 でっかい風呂に入りたくて来たのだから、大浴場でゆったりを決め込んだ。

 十何年も昼間のでかい風呂に入っていない。

 医者になってからはヤクザな兄弟達と遊ぶ機会も減って、何となく堅気になった気でいた。

 堅気衆ならでっかい風呂に入ってほっとするのだろうが、俺みたいなヤクザは、こんな時ここにいてこんな事していていいのだろうかと不安になるものだ。


 ここのところ、病院での忙しい日が続いた。

 やれ喧嘩だ縄張り荒しだとギャースカやらずにこられたのは、組を守っている貫太郎達のおかげだ。

 生まれこそ別々だが、育った家は一緒の兄弟だと思っている。

 刑務所にぶち込まれて、一生塀の外に出られなくなっても不思議のねえ俺達を、ここまで育ててくれた山城の親父には、感謝なんて中途半端な言葉じゃほとほと足りねえしありふれてる。

 普段は山城親父に、やれクソ親父だウルセエ野郎だと悪態ついてるが、本当は言葉に出せねえほど感謝している。

 それこそヤブみてえな馬鹿野郎じゃなくて、山城親父や兄弟達と、この温泉宿で騒ぎてえもんだ。

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