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やっちゃん 7


 珍しく連休が取れて、三日間を診療所で過ごそうと思い立ったのでヤブを尋ねたら、奥の病室で風邪をこじらせて寝ていた。

 診療所を別荘代わりと遊びに来る医者達や、そのままいついた女医がいる。

 看護師も一人住み込んでいるから、今やヤブは居ないほうが助かる医者になり下がっている。

 一ヵ月いなくなったって、誰も気付かないだろう。

 おかげで俺は、ヤブとゆっくり話が出来た。

 医者になる前から俺が家を持つのを期待していたから、ヤブは俺の借金がなくなると、会えば家の話で一人勝手に盛り上がる。

 いい加減疲れたから、家の事になったらいつも適当に話を合わせていた。

「家にはプールとテニスコートが有って、近くにゴルフ場が有ったらいいな」って。

 自分が経営に関わっている病院の医師が、どれだけの薄給か知らねえのかと思う時がある。


 随分と前だが、知り合いの不動産屋まで連れていかれた事もあった。

 俺は家を持つ気はねえ、のんびり田舎暮らしがしたいんだと冗談に言ったら、えらい山奥の一軒家を破格値で紹介された。

 よくよく話を聞けば、その家はヤブの持ち物で、無理矢理俺に押し付ける算段だった。

「テメエで家持ってるじゃねえかよ」と怒ってやったが、事情があってその家には住みたくないのだと言う。

 だったら、俺が買ったって一緒に住めねえ家って事になる。

 矛盾した話に、不動産屋とヤブに二・三発蹴りを入れてやったら大人しくなってくれた。

 こんな事があってから必ず「無理にとは言わないが」と前置きしてから家の話を始める。

 せっかく貴重な休日に会いに来てんだ、時間の無駄だから家の話はやめてくれと何度も言っているのに懲りないようだ。

 近くの砂浜に穴掘って埋めちまうか。


 風邪のせいだろう、我慢して聞いてやっている家の話に、いつもの勢いがない。

 イラッとしながらも、ヤブがフラフラしているのを見ていて気の毒になったもので「何か欲しい物はねえか」と聞いたら「とっぱずれの港屋旅館で岩牡蠣が食いたい」と言い出した。

 牡蠣が食いたいだけならまだ食わせようもあるが、地域限定で温泉宿まで指名されたんじゃ、こっちから宿に行って食うしかない。

「そりゃ無理ってもんだろ」

 近所のスーパーに牡蠣を買いに行こうとしてる俺を恨めしそうに見るヤブ。

 おまけにパソコンを広げて、宿の空き部屋情報を見せつける始末だ。

 仕方なし「しょうがねえなー、温泉に連れて行ってやるよ」と言ってしまった。


 難聴な上に補聴器嫌いの風邪ひきと話していたものだから、大声の会話が診察室にダダ漏れしていた。

「さあ、明日は休診日よー。とっとと今日の患者はやっつけちゃうわよー」

 診察室の方から妙な掛け声が聞こえた。 

 診療所があわただしい。

 嫌な感じはあったが、まさか診療所の住人がこぞって温泉へ行くとは思いもしなかった。

 そんなに急の休診で大丈夫かと心配したのは一瞬で、俺がここに居候していた時より以前から、休診日は適当いい加減だった。

 ヤブの気が向かなければ、休みにして酒飲んで寝るの精神は、ここに住む者全員に浸み込んでいる。


 夜になると早々に診療所を閉めて、女医と看護師とその娘が温泉へ一緒に行く支度を始めた。

 俺とヤブは相変わらず深酒をして寝込んじまったので、朝になっても支度ができていなかった。

 行くとなったら他の連中は朝が早い。

 ヤブの身支度が終わる前に、外で車のエンジンをかけて待っていた。

 ヤブはというと、風邪熱でフワフワして遠慮なしのグズ。 100円ショップで買ってきた歯磨き・糸ようじと、タオルやらスリッパを鞄につめている。

「アメニティーで全部そろっているから、そんな物要らねえよ」と言ってもなかなか承知しない。

「誰が履いたか分からないスリッパは嫌だ」とか「タオルは使い慣れた物じゃなきゃダメなんだよ」とか。

 ヤブは昔から変な風に潔癖性で、自分の身成はだらしなく、見掛けだけで人様に迷惑をかけているのに、他人が使った物は汚いから触りたくないなどと言う時がある。

 人が何と言おうとヤブは俺にとって恩人だから、些細な事を大げさに言いたくはないが、自分がばい菌の巣になっているのをいくら教えてやっても憶えないのが残念でならない。


 早く着きたいのか、スクラップ寸前の自家用車で走り出すと、看護師の運転がめっぽう慌ただしい。

 途中、何度も信じていない神様に救いを求めた。

 他人の寿命を縮めそうな場面に遭遇した時「俺が運転を変わってやろうか」

 女共に言ったが、聞き入れてもらえなかった。

 仕方なくワゴン車の一番後ろの席で、出来るだけ前を見ないようにしていた。


 県道を海岸に沿って走ると、大勢の若い女が殆ど裸のいでたちで歩いている。

 夏になると必ず、どこからともなく湧き出て来るイケゝ姉ちゃん達だ。

 海水浴場に行く途中だろうが、都会であんな恰好をして歩いていたらすぐに御縄になっちまう。

 もっとも、この暑さで服なんざまともに着てられないってのも分かる。 

 せめて、薄手の布っ切れくらいは羽織っていてもらいたい。

 尻やら乳がはみ出しているのを見ていると、目ん玉が火傷しそうでたまらない。


 観光で来た若い奴等は、海だと何でもありだと思っている。

 男も女も、悪戯で入れた刺青を見せびらかしている。

 俺も入れているくちだから偉そうな事は言えないが、俺達みたいな本職は客に見えねえように随分と気をつかってる。

「最近じゃ堅気の客が、堂々と刺青を見せて歩いてるもんなー」

「極道になるって決めた時によ、堅気との一線に入れた刺青が馬鹿らしくなってくるべ」

 他の客が怖がるからチラつかせるのは止めてほしいと、海の家で稼いでいる同業が嘆いていた。


 診療所から二時間ばかり車を走らせると、道路と海岸の間に建っている港屋という温泉宿に着く。

 この宿は俺がまだガキだった頃、父親が現役で極道やってた時に組関係の寄合で使っていた宿だ。

 それから勘定すると、随分と付き合いの長い宿だ。

 昔は予約だの出迎なんてのはなかったし、今みたいに鉄筋コンクリートの建物じゃなかった。

 家出してどうしても行く所がないと、御用口から板さんに頼んで寝床を貸してもらっていた。

 そんなんだから、玄関口で仲居やら女将に出迎えられるのは今でも慣れない。

 ひねくれ者だから、歓迎なんて看板出されるとかえって馬鹿にされてるような気がして、宿に上がる気になれないもんだ。

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