やっちゃん 5
山城親父が作った借金ではないが、以前から山城と付き合いの組で出入があって、その時に貸した金が焦げ付いていた。
戦争に使う金だから大金だ。
行きつく所、勝つか負けるかの大博打で、負ければ義理も何もあったもんじゃない。
貸した金と言っても回収はほぼ不可能で、同業だし付き合いが長い事もあって強い取り立てもできない。
今となっては負け組の誰がどこにいるのか、ひょっとしたら殺されているかも知れない。
御人好しの山城親父は、その組の若い衆まで面倒みていた。
表向き派手に繁盛している組でも、裏をひっくり返せば火の車だ。
少しでも弱い所を見せたら、敵対する組が一気に潰しにかかってくる。
毎日戦争ごっこが俺達の住んでいる世界。
医者になって病院に長く務めていると、堅気になった気でつい忘れてしまう現実だ。
俺がもう少ししっかりしていれば、組を背負って立て直すところ。
まだまだ半人前で、どこの親分さんも跡目として認めてくれない。
それはそれで当然だからいい。
問題は貫太郎だ。
預かりの者も含めて、組で当面食っていけるしのぎがないのは貫太郎だけだ。
貫太郎が抱えている若い衆も同じに、日々まともに食っていけるだけの稼ぎが無い。
山城親父が、今まで何とか遣り繰りつけていた。
山城親父が倒れて、貫太郎の面倒を俺が見てやる事になった。
貫太郎は馬鹿で乱暴者だが、手下の者から慕われている。
他の組からも一目置かれた極道になっていた。
本来ならば、このタイミングで跡目を継ぐべきだった。
それなのに「兄貴を差し置いてオイラが組長になるのは仁義に反するベよ」と言ってきかない。
どんな仁義なんだか、組に入ったのは俺の方がずっと後だし歳も下だ。
殺し損ねた奴に水をかけてやっただけで、こうまで持ち上げられると本当の事が言えない。
この秘密は棺桶まで持って行くしかなさそうだ。
今まで世話になって来た山城親父の世話をするのはいい。
貫太郎もいい奴だから、面倒を見るのは苦じゃない。
ただ、長くヤクザをやっているが、俺は独り身で組を持った事がない。
貧乏医者でしか稼いだ事がないし、いくら切羽詰まった状態でも、貫太郎まで巻き込んで悪さをする気にはなれない。
そんなグチを、呑んだ勢いでヤブに話した事があった。
何をどんな具合に話したかなんてのは、酔っていたから憶えていない。
忘れっぽいヤブが、この事だけはしっかり覚えていたようで、近くもう一か所でかい病院を買収するから、貫太郎達がそこで働けないかと言ってきた。
俺としては、願ったり叶ったりの申し出で、断る理由もない。
ただ、ここの所ヤブの羽振りが良過ぎる。
何か悪さをしていて、変な稼ぎの片棒を担がされているのではないかと少し心配だ。
当面は病院業務の訓練も兼ね、ヤブの親父さんの病院に貫太郎以下数名が手伝いとして入った。
見習いのそのまた手伝いだから、稼ぎはたかが知れているが無いよりはいい。
何より一番なのは、山城親父が入院している病院の手伝いだってことだ。
いつでも親父の警固をしていられる。
山城親父はこの界隈では要の人だ。
それだけに敵も多くて、入院しているこんな時が一番狙われやすい。
医者にはなったが何の事はない。
兄は本物の医者で、俺はどこまで行ってもヤクザに変わりなかった。
兄と俺の立場は、このようにして別れた。
貫太郎が病院勤めを始めると、組の様子も大きく変わった。
事務所の住み込みだった貫太郎達は、病院の近くに家を借りて共同生活を始めた。
一人の稼ぎは少なくても、何人かが集まって住まっている分には日々差支えなく暮らしてける。
俺にも一緒に住まないかと誘ってくれる。
いつ来てくれてもいいとは言われているが、たとえヤクザはしていても曲りなりの医者だ。
こちらの都合など関係なしに、病院からの緊急呼び出しは不規則。
たまの休みにヤブ診療所に顔出しでもと思うが、疲れてそのまま病院の仮眠室で寝ていたら休日が終っていたなんてのがしょっちゅうだ。
貫太郎達と、毎日デロデロに酔って寝るの付き合いもままならない。
以前いた病院よりもいい待遇になったとはいえ、相変わらず忙しいばかりの毎日。
誘いは体よく断っている。
山城の親父は入院が長引いて、かれこれ三ヶ月の闘病生活になる。
具合がよくなっては一時帰宅するものの、すぐに病院に戻って来る。
根っから胃腸の調子が悪い人で、その分食い物には気を付けていたのに、酒は飲まずにいられるくせして甘い物がやめられない。
甘い物を食ったからと言って、必ずなるのではないが「毎日羊羹を一本食っていたら、そのうちに糖尿になるぞ」と脅していたら、本当に糖尿になった。
病院に担ぎ込まれた時は、未破裂脳動脈瘤で神経が圧迫されていた。
破裂しそうな動脈瘤は手術でクリッピングしたが、山城親父はそれからというもの、すっかり気弱になってしまった。
喧嘩出入りで死ぬのは怖くないくせして、病気では死にたくないらしい。
今まで病気らしい病気をした事がなく、無茶をやって来たから体はボロボロだった。
この辺りが変だと検査すれば、必ず何がしかの病気が見つかる。
高齢なので手術はあまり勧められないのだが、命に関わるとなると話は別だ。
今や山城親父の体は、医学部に献体された遺体よりも切り傷が多い。
親分衆の寄合で、自慢話に見せていた喧嘩の刀傷が可愛く見える程だ。
兄が学会で九州に立つ二日前、病院にやって来て六百万出すと言ってきた。
「この金は縁切の金だ。好きに使っていいが、今後家には関わりのない人間になれ」
兄にしては正攻法で、とっくに縁は切れてるから金なんかいらないとも思ったが、せっかくだからそのうち何かの役にたつだろうと頂いておいた。
兄はそれから別に五十万を出して、これをついでに貫太郎に渡してくれと言ったから引き受けた。
車屋が持っていた飛び地が売れたらしく、俺と貫太郎への御裾分けみたいな金だった。
丁度、病院に貫太郎がいたので金の話をしたら、礼をしたいというので貫太郎を兄に引き合わせた。
これが兄の顔を見た最後で、その後一編も会っていない。