やっちゃん 46
揺れは一瞬だったが、同時に立ち昇った噴煙に混じって砂や砂利が病院にも降って来た。
前の歩道でバスを待っていた人達が、慌てて病院に駆け込んでくる。
みるみる天空が灰で覆われ、夜のように暗くなった途端、火山雷が轟いた。
其の後、上空からの映像は途絶え、現場の状況は地上に待機していたアナウンサーと地上カメラの画像だけになった。
アナウンサーの背後に写された噴火口は、話している側から凄まじい勢いで成長している。
中継車が慌てて逃げるのに忙しく、現場からの中継は消えてしまった。
中継が無くとも、急患が大勢担ぎ込まれてくるのは誰でも分かる一大事だ。
院長が緊急事態宣言を発令するより前から、院内は緊急の受け入れ態勢に走る職員で慌ただしくなっている。
院内に避難して来た人達には、売店・食堂に移動してもらい、簡易ベットが地下からロビーに運び出される。
どんな患者にも対応できるようにセットされた手術キットが、総ての手術室に置かれていく。
今日手術を予定していた緊急性の無い患者には、予定を変更してもらう。
噴煙が上がる中では、ヘリも飛ばせない。
被災範囲は狭いが人口の密集地帯だから、この病院だけでは対応しきれないのが分かっている。
市の消防本部が管制塔になって、救急搬送を指示する。
浸水した住宅地からボートで運んで、そこから救急車に乗せてのリレーとなると、消防だけでは追いつかない。
異例の速さで、自衛隊への出動要請が出された。
出動命令が出される前から駐屯していた部隊は、救助活動に参加していた。
厳密に言えば命令違反になるところだが、事後報告でそんなものはどうにでもなる。
橋に近い病院から順次、患者が運び込まれる。
途中の道路を、降って来た灰とジャリに滑って横転したトラックが塞いでいる。
俺がいる病院には、海を経由して上陸用舟艇で患者が海岸に運ばれてくる。
浜から遠くはないが、重症の患者を運ぶには適していない。
まともな道がないから危険だと指摘したら、施設部隊が患者の到着前に、浜から病院まで仮設の道路を作っていた。
訓練では、河に戦車でも通れる仮設の橋を作っているのを何度も見てきたが、海岸に道路を作るのは始めて見た。
作った道路が不要になったら誰が片付けるのか、参考までに尋ねたら、そこまで考えて作っていないと叱られた。
橋より海側の河口に出現した噴火口の様子を見乍らの救助活動は難航し、どれだけの行方不明者がいるのか見当もつかない。
三昼夜が過ぎた。
扇情主義報道に流されるのでは無いが、病院は重症患者でロビーからデイルーム・通路まで一杯に溢れている。
「これ以上の受け入れは出来ねえぞ」
消防本部に連絡を入れてもらった。
病院での受け入れは締め切ったが、医師だけならまだ動ける。
俺達は、被災地に医療チームを編成して出向いて行った。
野ざらしのところでは急患を受け入れないから、俺達よりずっと早くにチームを作って現場に来ていた。
待っているばかりが医療ではないと言いたそうだ。
水が引けば、そこには必ず遺体がある。
子供だろうが妊婦だろうが、自然は容赦なく無差別虐殺をする。
誰も逆らえないし、誰も自然を罰する事などしない。
罰せられているのは人間だと思い込んで、諦めるしかない。
終わりのない惨劇が、目の前で起こっている。
野ざらしが言っていた《俺達がこれから見る地獄》ってのはこの事だったのか。
これから、その地獄ってのが始まるのか。
現場で救助活動を終えての帰り際、野ざらしが俺の所に来て、何も言わず一冊のノートを渡して帰った。
御互い嫌いな奴だし、被災現場で散々な光景を一日中見てきた後で、誰とも話す気力がなかった。
無言のまま、挨拶を済ませる心境は同じだ。
それにしても野ざらしの後姿は無気力で、君との対決がどうだこうだと言っていたわりには意気地なしに見えた。
噴火が始まってから一週間。
一度も宿に帰っていなかった。
駐車場には避けた灰やジャリが山になっていて、窓ガラスは灰で汚れて壁との見分けがつかなくなっている。
それを水で流してみるのだが、すぐに降ってきた灰が窓にへばりついて来る。
何度やっても同じ事の繰り返しで、掃除なんて気休めにしかなっていない。
どの家も灰をかたすのが大変で、風呂どころではない。
宿はどこもかしこもガラーンとして、隙間から入って来た灰が掃除しきれていない。
あちこち戦争みたいになっている。
死体でもころがっていたら、戦場そのままの光景だ。
暫く帰っていないから俺の部屋には猫の足跡が一筋あるだけで、新雪のような火山灰がふんわりタップリ積もっていた。
どこに何があるのかも分からない。
被災現場とは違う意味で、この部屋も悲惨な状況に違いない。
部屋の前で茫然としながらも、今日までのここでの出来事を思い巡らせていると、女将が俺を呼びに来た。
「やっちゃん先生の部屋は変えときました。もう御客はんもおいでにならん思いましてな、シェルターを皆で使わせてもらってます。灰が入らんので、なかなかいい住み心地どすえ。住み込みの娘らは、まだ揺れていない宿に紹介状書いて越してもらいました。通いの者は家の事心配だと思って、暇ださせてもらいました。残ったのは板長はんと仲居頭はんと身寄りの無いのが二人ばかりで、寂しい思いしてました。今日はやっちゃん先生帰ってきはったんで、少しは賑やかになりますなあ~」
一週間いなかっただけで、宿が墓場の様に静まり返っている。
今まで嵐の日にしか聞こえなかった海鳴りも、ハッキリ聞こえる。
心なしか、潮風が冷たいのまで感じるようだ。
……海側のサッシが割れている。
「火山弾が当たって割れたままどす。もうほっときまひょ。しばらくは内も外もありませんねえ」
俺は被災地の病院から医者達が去っていくのは、意気地なしの薄情者だからだとばかり思っていた。
それがここに立って、医者にだって生活があるし守りたい家族もいるのだと痛感した。
俺には、帰って鉄筋コンクリートの建物に囲まれたシェルターがあるし、ハリネズミの家は地下室の分厚いコンクリに囲まれて安全だ。
ERの連中は皆一人者だから、今は帰る家よりここの方が快適だと言って、ハリネズミの家で居候している。
赤チンは、居候の医者目当てに毎日夜勤を引き受けているから、暫く家に帰っていない。
落ち着いて考えると、野ざらしが丘の上リゾートに引き抜いていった医者や看護師は全員所帯持ちで、病院の近くに家族と一緒に住んでいた。
そんな連中が、どこへ行っても災害に見舞われると言われているこの時期に、安心して家族と暮らせる所といったらシェルターの近くが一番だ。
いざって時には、この前みたいにチームを作って、先頭切って現場に出て行く医者がどんな医者よりも有難い。
病院で急患を待ってる医者も必要だが、突然の災害では病院に向かう前の応急処置が生死の別れ目になる。
そこまで思ってERから外れ、他の医者を安全な所に連れて行って、その家族まで守っていたなら、野ざらしは俺なんか足元にも及ばない名医だ。




