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やっちゃん 45

 事前に言わなかったのはいけなかったが、女将も世の中の要領を得ない者の一人だ。

 俺は些か呆れた風に「馬鹿騒ぎする客が頻繁の俺には、今の部屋よりシェルターの方が合っているから、他の者に迷惑にならないように引っ越すんだよ」と言ってやった。

 すると「シェルターは非常時に備えとる施設ですから、何時でもどなたはんでも出入自由が原則どす。カギもかけられしまへん。やっちゃん先生の私物置いて、無くなっても知りまへんが、それでもよろしいんどすか」

 言われて俺は馬鹿だったと考え直した。

 俺が百万年ローンで作ったシェルターだから、てっきり俺は自由に使ってもいいと思っていたが、寄付した形になっている。

 下宿の地下に勝手に作ったシェルターだ。

 そう言われてもいたしかたない処だが、一部屋くらい使わせてくれても良いだろう。

 それが、公共の避難施設として役所に届け出て、固定資産税をまけてもらうからダメだと断られた。

 今更、役所も税金もあったものでもない。

 これから災害が広がって行けば、無政府状態にもなりかねないってのに真面目な人だ。


 俺の部屋でゴロゴロしていた赤チンとハリネズミが、やはりといった顔をして俺を指さして笑っている。

 チョイとイラついたから赤チンに「妹の事をお前の親父が宜しくと言っているがな、どこにいるかも分からん奴を宜しくも悪くもできねえぞ」と言ってやった。

 赤チンは「親父が宜しくって言ってるんだから、もう宜しくしてもらっているんじゃないの。気にする事ないわよ」またもや俺の顔を見て笑う。

 俺が自由に使えないシェルターに、一千万年もローンを払い続けなければならないのは合点がいかねえ。

 この先世の中がどうなっていくかも分からないし、下手すりゃ俺だってすぐにお陀仏って事もある。

 こんなご時世だから、シェルターの金を何とか誤魔化せないかヤブに連絡してみた。

「人の弱みに付け込んだあくどい商売で金は唸ってんだからよ、一億や二億や十億どうでも良いだろう。それより、俺が注文したシェルターを勝手に企画変えて、馬鹿高い物にしたのはそっちだから、半分くらいは面倒見る気なんだろう」 

 悪徳商法の上前跳ねる大悪党になったつもりで直談判すれば、もとから話して分からない男ではないから、すんなり商談に応じてくれて「もとより、てめえみてえな貧乏人から金がとれるなんて思っていねえよ」電話を切られた。

 これで俺は借金地獄に落ちなくて済んだが、よくよく考えれば契約書があるでも担保をとられているでもない。

 払えないの一言で済んだ事だ。

 ここへ来て、ずっと堅気の連中とばかり付き合っているから、ついヤブから教わった《借金は作ったら速やかに踏み倒すべし》の原則を忘れていた。


 なんだかんだ言っても、やはり山城の親父とヤブは良い人間だ。

 誰の目から見ても良い人じゃないが、それはどんなに偉いと言われている人だって同じで、慕う者がいれば反して嫌う者も必ずどこかにいる。

 いつだって田舎街のフザケタ医者だし。

 いつだっていい加減なヤクザ。

 悪口言われても、そのとおりだと胸張っている。

 背中にしょったものが、軽い言葉じゃビクともしないからだ。

 それが何だか今の俺にはまだ分かんねえけど、そのうちきっと分かるだろう。

 一生分からなければ、それはそれ。

 俺がそこまでの器しか持っていない人間だったってだけの事だ。

 学生の時、一緒に診療所で暮らしていた頃は、ただのグズ医者だと思っていた。

 ここへきて半年一年と過ごしているうち、ヤブがどんな奴か薄っすらと見えてきた。

 山城親父が凄い人だってのは知っていたけど、その親父に半分育てられたみたいな医者だ。

 俺もヤブも同じようなもので、そんな意味からしたらヤブはずっと先輩だ。

 ただ、どうしても尊敬できないのは何故だろう。


 硫黄島の噴火が激しくなって、自衛隊が撤収した。

 1200㎞も離れているから噴煙は見えないが、風向きによっては微かに硫黄の匂いがする。

 この噴火が伝えられると前後して、19ある九州沖縄の火山に《噴火の予兆が顕著である》避難勧告が出された。

 俺はこんな時に何時も思うが、警報とか勧告とか命令とかってのが分かり難くて、政府発表として出すのはいいのけど、報道は誰にでも分かる様に、もうすぐ噴火しそうだから早く逃げろと放送出来ないものかと思う。

 学者先生は予想が外れた時、バッシングの嵐が待っているのを知りつつ思い切った予想を出しているってのに、肝心の報道が誰にも分からない言葉でニュース流していたんじゃなんにもならねえ。


 この街は温泉があったり海水浴場があったり、昔から観光で食ってきた。

 宿屋とか公共施設は、殆ど鉄筋コンクリートで作られている。

 非常時の避難場所がどんな家からもすぐ近くにあって、地震や津波といった災害時は、年寄りに優しい街が自然に作られている。

 ただ、平地が少ないくて住宅が密集している地域があって、港の近くなんかは特に民家ばかりで木造だし、火事になっても消防車が入っていけない路地もある。

 地域防災の観点からすると、一番の危険地帯に指定されている。

 俺が宿舎にしている宿がある一帯もそんな地域の一つで、今回の震災では幸い火事も津波も無かったからよかったが、これからどうなるのか心配していた。

 そんな時、俺が宿にシェルターを作ったものだから、随分と良い評判になっている。

 今では、風呂に入る時くらい安心してのんびりしたいからと客も増えて、泊り客がなくとも何とかその日暮らし程度は出来る稼ぎになっている。


 騒ぎがドンドンと遠くの火山に向かっていくから、この街はこれで一段落したのかと住民も救急も安心していた。 

 九州の噴火が本格化して、もうすぐ本州にも飛び火してくるかもと噂していたら、利根川の銚子・神栖間に掛っている銚子大橋が落ちた。

 震災の後、暫くは検査の為に通行規制されていたが、一週間前に解放されたばかりだ。

 検査で傷んだ箇所はなかったと発表されていたが、いい加減な検査だったのか。

 勘ぐっていたら続報で、河底が隆起してせき止められた河が反乱している。

 上空を旋回するヘリからの映像では、銚子・神栖両岸とも押し寄せた水に広範囲が浸かっている。

 水の勢いはゆっくりだから洪水被害の負傷者はないが、落ちた橋を走行中の車両捜索が難航するのは確実だ。


 隆起した川底から水蒸気が登ったと思ったら、激しい爆風にヘリが巻き込まれた。

 そんな時でも流石にプロのカメラマンで、落ちていく模様をしっかりカメラに収めている。

 ローターが壊れてゆっくり回転しながら落ちていくヘリ。 機中からの映像は、爆発の威力でうねる海を写し、街に溢れた水が大きな波紋を広げている。

 何度も繰り返す高波が、道行く人を飲み込んでいる。

 爆発の振動は病院にも伝わって、只ならぬ事態をことさら強く感じさせる。

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