やっちゃん 41
先日の院長の話でハリネズミも「これは皆に伝えるべき事だと物語を練っていたところさ、ちょうどいいね」と生徒に語って聞かせてくれた。
おぼろげな感覚でしか分かっていなかった今回の災害の規模とか原因とか、経過の予測なんかが分かりやすく織り込まれていて、これは大変な事態に俺達は直面しているのだというのが非常によく分かった。
が……どこにも逃げ場がないってのも、非常によく分かった。
はっきり、日本の沖にある月くらいの火山が噴火しそうだから、色々と災害がおきてるんだ言ってくれれば分かるのに、環太平洋だの外輪山だの。
外国語ばかりじゃ分かる話も分からなくなっちまう。
生徒達は「逃げ場がないんだから何処へ行ったって同じだわね」と、親元に帰る事はしないで、ここに残ると言っている。
それに、よくよく詳しい話を聞けば、巨大な火山と言っても噴火したのは何億年も前で、活動が活発化したからといっても、すぐに地球が二つに割れてちまうほどの爆発がおこったりはしない。
何年何十年何百年。
人間の寿命が何回もつきる年月かけて変わっていく自然現象で、その始まりが今回の群発地震だ。
それにしても、地球には準備運動程度の地震で、何件も家が倒壊する被害になっている。
本格的に活動が活発化した時の事を考えると、落ち着いていられないのが普通だ。
だけど、それが凄まじく長いスパンで起っているからピンと来ない。
俺はというと、精神状態が普通ではないようで、たいして不安でもない。
ガキの頃から何度も修羅場をくぐって来たからか、自分の生き死により、育ててくれた山城組の方が気になる。
昔からのヤクザだから、しのぎの殆どは地元の人が無くてはやっていけないものだ。
それが、今回の震災で昔からの人がバラバラになってしまっている。
一度ぶっ壊れちまった街が元に戻るまでには長い事かかるから、それまで何の稼ぎも無いまま地元の復興に手を貸す毎日だ。
ボランティアと言えば聞こえはいいが、それもこれも、いずれは自分に返って来る奉仕だと信じてやっている事で、決して無償の覚悟があるのではない。
そんな打算の塊でもいないよりはいいし、少しばかりは見返りを当てにしないでやっている事だってある。
山城親父の話では、地下にできた病院で組の若衆が下働きしているのも、無償の奉仕活動の一つだ。
給金は出ないし、毎日組から手弁当で通っている。
地面が揺れて大変だった時だって、俺達が入ったら堅気衆がその分入れなくなるからと、地下の待避所には入っていなかった。
もっとも、日本はどこに火山の噴火口ができたっておかしくない国だから、地下のシェルターだって下から溶岩が噴き出して来たらひとたまりもねえな。
俺達みたいに裏稼業で生きてる人間は、どんな善行をやったって歴史に残してはもらえない。
悪さの記録はしっかり残るから、ヤクザはどいつもこいつもロクデナシばかりに思われている。
だけど、それを言うなら散々裏の仕事でヤクザを使っておいて、時代が変わった途端に掌反してヤクザ退治に走った政治家先生の方がずっと上の悪だ。
揺れが小康状態になってからというもの、急患がERに運ばれてこなくなった。
どの病院も実績作りに雇いいれた医師が救急番をしているからだ。
消防もそんな事情を知っていて、以前は迷わずERに向かって走り出した救急車も、かなり前から一番近い病院へ向かっている。
他所が積極的に急患を受け入れるようになっているせいで、患者が来なければ暇なERの職員は、一日の殆どを他科の手伝いで終る日が続いている。
地域の患者には嬉しい病院同士の競り合いだ。
こんな事なら、偽の情報をもっと早く流してやれば良かったとハリネズミが皮肉っている。
断続的な揺れが続いている。
棚から落ちてきた物が頭にあたって、軽く怪我をした程度の患者はチョクチョク来る。
揺れるのが当たり前になると、どの家庭でも揺れ対策を怠らなくなってきている。
大怪我で担ぎ込まれる患者は殆どいない。
精神的なトラブルも、シロの指導が広がって功を奏している。
酷く滅入って自傷行為に走ったり、人を傷つけたりといった事件は全く起きていない。
政府が住人のパニックを恐れて災害の詳細を発表しないまま、今度は震源の中心が東海に移動して大騒ぎになっている。
全くあてにされていない政府だけど、マスコミは政府の異常な対応に気付いたのか、分かっている事くらい知る権利がある、正式な発表をすべきだと盛んにニュース解説などで訴え始めた。
実家の地域もここも、一度大きな揺れがあった地域は、その後震災に見舞われないなんて根拠の無いデマが広がっている。
丘の上リゾートも繁盛している様子で、近く施設の拡張を計画していると噂されている。
どちらも噂の粋から出ていないのに、リゾートの会員になる者が急増しているらしい。
自分で流した噂でもう一稼ぎしてから、素早くドロンするのが俺達業界の御決りコースだ。
出資者達が今後どう振る舞うかは不明だが、クランク商事はもうじきリゾートから手をひいて、別の商売を始める気だ。
一番いい時に抜けるのも業界の鉄則で、調子に乗っていつまでも濡れ手に粟と付き合っていると、後で痛い目を見る。
海千山千の商事会社のやりそうな事で、出資者を裏切って自分だけ助かるなんてのは初級編だ。
もっと性悪になってくると、出資者に無断で全部売り飛ばして逃げちまう奴もいる。
流石に長く地元で裏稼業やっている連中だから、そこまではやらないだろうが、どの道似たり寄ったりの結果が出資者達に訪れる。
クランク商事の動きを気にしていたら、今度は家庭用シェルターの格安工事業者になった。
アメリカの特許技術を導入した短期間工事で、建設コストを従来の半分に削ったと謳って、市販のシェルターより三割も安く工事を請け負っている。
金の有る奴が見れば安いが、住宅ローンがきついと思う世帯には辛い価格設定の微妙な値段だ。
どんな商売が儲かるかと言って、人の弱みに付け込んだ商売程確実なものはない。
病院や宗教もその一つと言えなくはないが、医療ミスで訴えられたり過労死のリスクを考えれば、ノークレームノーリターンのシェルターにかなうものはない。
これはクレームがきそうな状況を考えれば簡単な理屈だ。
避難していたシェルターが欠陥品だったら、購入者は苦情を言いたくても言えないまま御昇天している。
このシェルターはリゾートに設置したシェルターの小型版で、俺も何種類かパンフレットをもらった。
サバイバルしていると実感できる設備設計になっていて、災害抜きにして浪漫とでも言うのか、ウズウズ野生の本能を刺激される。
金はないが一つ欲しい。
敵対する組の舎弟企業の商売だが、一つ欲しいから厄介な心理が俺の中で暴れ出している。
欲しい~。
山城の家にも一つ欲しいし、宿にも一つ欲しい。




