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やっちゃん 4

やっちゃん 4


 昔の父親は頑固でえこひいきなどしない男だったが、堅気になってからというもの、ヤクザな俺を目の敵にしている。

 自分が昔は跳ねっ返りだった事を思い出したくないのだろうが、そんな事は俺の知った事じゃねえ。

 父親が何で堅気になったのかまでは知らないが、貫太郎の実父・勘吉に関係があるらしい。

 俺が悪さをする度、勘吉に謝れって言いやがる。

 死んじまった奴にどうやって謝れってんだか。


 俺は自分でしでかした悪さで叱られているのだからと諦めていても、そんな事がヤブの目から見ると不憫に見えるのだろう。

「何も知らねえんだから、そん位にしといてやんなよ」

 父親が俺を殴る蹴るしている時、決まって止めに入るのはヤブだ。

 ヤブは昔、相当の悪ガキだったらしく、父親もこの医者の言う事なら素直に聞き入れていた。

 ヤブは俺を見て「将来お前はどえらい大物になるぞー」山城の親父と同じに思い込んでいる。

 元は極道のせがれでも、父親はもう堅気だ。

 それに、学も金もコネもねえ俺が、大物になれるわけねえ。                        


 試験が終わって結果が発表されるまで、自分はロクデナシだと思い続けていた。

 それが、山城の親父が予言した一発合格の奇跡で、少しは俺もやるもんだと自信が持てるようになった。

 レベルは高いが給料が出るから、第一志望だった防衛医大に受かったのが何より嬉しかった。

「お前のような跳ねっ返りには、この学校がぴったりだ」

 何件か試験を受けたが、皆がしきりに勧める。

 山城の家は貧乏が常習化している老舗やくざだから、金のかかる所より給料が出る防衛医大に入れたらいいなと思っていた。

 それを、俺の性格が悪いから矯正する為に行くみたいな言い方をする。

 すんげえ難しい学校に合格したってのに、素直に喜べねえ。


 防衛大と言っても医学部の連中は色ばかり白くて、訓練や有事の際は役立たずだと決めつけていた。

 それがいざ大学で同期となった奴等と比べると、知力体力気力共に俺などとてもかなわない連中ばかりだった。

 山城の親父は「お前は必ず偉い医者になって、でかい病院詐欺をやってくれるに違いない」と喜んでいたが、俺はそんな時でさえ医者になる気はなかった。

 しかし、ヤブも「お前は良い医者になれる」と言うものだから、やっぱり医者になるしかないのかとも思っていた。

 今から考えると馬鹿〃しい。


 ある時ヤブに「どんな医者になったらいいんだ」と聞いてみた事がある。

 ところが、ヤブにもこれといったイメージはなかった。

「俺みてえなボロボロ医者じゃなくてー、いい車に乗ってー、立派な家に住んでさ。良いかみさんと、うるせえガキがいる。んー、家庭っての…?」とまで言って、酔っ払って寝ちまった。

 クソ医者の言う事なんてのはどうでもいいけど、そんな父ちゃんになれたらいいなとも思った。

 それからヤブは「お前が立派な医者になって独立したら、居候として俺を面倒見てくれ」とも言っていた。

 世話になって何だが、嫌なこった。


 はっきり嫌だと言わなかったのがいけなかったのか、それからというものヤブは、俺が医者になってからの人生設計を勝手に請け負って色々と絵を描いてくる。

「家は東京の一等地がいい」とか「庭は広い方がいい」とか。

 あの頃は山城親父から「将来は病院をぶっ建てて組の者の仕事を作ってやってくれ」と言われていたから、家なんか欲しくもなんともなかった。

「家なんかいらねえよ」いつもヤブに答えた。

 すると「お前は本当に欲ってものがないね~、修行僧じゃねえんだから、無欲で生きてくのはやめようぜ~」

 こんな感じで、いつも責められた。

 母が死んでから大学を卒業するまでの間は、こんな状態で暮らしていた。


 父親には叱られる。

 兄とは喧嘩をする。

 ヤブには小遣いを貰い、時々診療所を手伝う。

 別に望みもない。

 これでたくさんだと思っていた。

 山城の家の連中も、みんな似たり寄ったりの生活だ。

 こんなのが当たり前だと思っていた。

 むしろ、俺なんかは他の組員より幸せだとさえ感じていた。

 ただ、ヤブが何かにつけ「お前はついてないね~」というものだから、それじゃあついてない人生なんだろうなと思う程度で、たいして苦もなく生きていた。

 一つだけ、父親のえこひいきが治らないのには閉口した。


 卒業して研修医をしている時に、叔父さんが卒中で亡くなった。

 今でも劣悪なのだが、当時の研修医はとても人間とは言えない扱いを受けていた。

 親族の葬儀でも休ませてくれない様子に、俺は我慢の限界が来てしまい、病院で一暴れして留置された。

 結局、叔父さんの葬儀には行けず、又もや勘当されて実家に顔出しできなくなってしまった。

 病院から追い出された俺は、ヤブの親父さんが乗っ取った病院に常勤医として勤務する事になった。


 近くの病院に勤務していた兄が「車屋の家を売って、その金で開業医になる」と言い出した。

 俺は「勝手にやってくれ」と返事をしたが、この件に関しては、兄の言う事なら何でも二つ返事の父親がどうしても折れなかった。

 父親を殺してでも開業医になりたいなら、きっと兄の方から俺に何か頼み事を言ってくるだろう。

 暫く静観する事にした。

 

 兄はそれから古物商を呼んで、土蔵の中の骨董品を結構といい値で売った。

 父親は、極道をやっていた頃に貸した金の担保として、価値ありそうな壺や絵なんかを預かって、金が返せなかったら担保を土蔵に放り投げたままにしていた。

 目利きができるでもないから貸す金は二束三文で、下手すりゃ殆どが贋作だろうに、骨董屋も見る目がなかったようだ。

 きっと大損こいて、今頃首吊ってる頃だ。 


 骨董屋の命と引き換え程にいい値だったのだが、診療所を開業できる資金とまではいかなかったようだ。

 ある人が病院を建てる資金に提供して、自分は内科医長の椅子に納まった。

 兄はこれで安定した職に就く事が出来た。

 俺は相変わらず山城の家に住まい、ヤブの診療所や病院を手伝う生活をしていた。

 そんなダラダラ生活を続けていたら、山城の親父が倒れた。

 結構な歳だったから、いつ逝っても良いやくらいに思っていたが、山城の家はとんでもない事になっていた。

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