やっちゃん 34
冷静に考えれば、でっかい地下室の病院なんて今の俺にはどうでもいい話しだった。
それをどこで踏み外したか、博打のネタにされてタヌキ女に一稼ぎされている。
今日のこの宴会だって、つきつめれば賭けに負けた奴におごってもらったような物だ。
考えなくても俺は馬鹿だ。
タヌキ女が赤チンに配当を渡している。
俺の目の前でやるなよ。
博打の金は【負けたら無くなったで縁の無かった金】としてすっきり諦めて、すぐに面白おかしくやるのが博徒の癖。
そのおかげで、終いには皆して馬鹿騒ぎできたし、山城の親父も喜んでくれたから良しとする。
「賭けに負けてなかったら、小遣いの少しも置いてくつもりだったが、お嬢ちゃんにすってんてんにされちまったからな~。勘弁だよ。今日はありがとな、良い思いさしてもらったよ」
山城親父がヘリに乘って帰っていった…親父…お前もか~!
宴会が終わって翌早朝。
再び緊急招集がかかった。
自衛隊のヘリやニュータウンのドクターヘリが、何度か屋上・広場・海岸、着陸しては飛び立って行く。
その度、俺達は待機所から手術室に走っていく。
昨日の酒が抜ける良い運動だが、ヘリから容態を連絡されて事前に準備したのが全部無駄になる。
患者が乘っていないからだ。
ここへ向かう途中、どこかで患者を突き落としたか。
どうなってるのか聞く度、訓練ですと言われる。
医学校にいた時は、授業中だろうが真夜中だろうが抜き打ちの訓練があった。
それとよく似たものだが、実際に稼働している病院のERまで巻き込んでの訓練はないだろう。
いかに穏便な性格の俺でも、腹が立ったから院長室に掛け合いに行った。
すると、院長も困り果てた様子で、どれだけ問い合わせても『訓練は今日一日何度でもやる。国家の方針だから従ってもらいたい』の一点張りで、らちが明かない。
モタモタやっているうちに、近所の病院で受け入れきれなかった患者がERに運ばれて来た。
まともな話も出来ずに手術室へ戻った。
俺の班が手術中にも何度か訓練のヘリが来て、その度に隣の手術室が騒がしくなる。
一度、近くの病院に受け入れてもらえなかった患者を診たら、それからは救急がうちのERへ真っ先に連絡してくるから受け入れる。
結局、訓練とは言え緊急態勢とは名ばかり、何時もの病院に戻っていた。
緊急態勢だったから、病院スタッフは十分な頭数が揃っていた。
訓練のヘリが来ても滞りなく治療できていたのに、翌日になって地域医療の重鎮がそっくり市役所に呼び出された。
市役所では、統合幕僚長から昨日の抜き打ち訓練の成績について説明を受けて来た。
昨日、急患の受診を拒否して、非常態勢をとっているERに患者を回した病院には、政府機関から査察が入る事になった。
後日、査察が入った病院では、目的も基準も分からないものだから、とにかく綺麗に清潔で防災上の問題が無ければ大丈夫だろうと、消防署の立入検査くらいに甘くみていた。
消防の検査も、通らなければ病院の施設は使えなくなってしまう。
最悪、病院閉鎖になる。
厳しいものだが、今回の査察は目的も見る所も消防とはまったく違う。
査察の結果は、平時の考え方からすれば恐ろしく厳しいもので、厚生労働省からの業務改善命令に統合幕僚長からの厳重注意。
監督官の随時検査対象施設指定で、平時態勢に慣れきっている理事長連中がカンカンに怒っている。
しかし、どんな裏があるか知っていたら、防衛庁医療施設調査機関の査察があったのに、厳重注意で済んだのは喜ばなければならない事だ。
統合幕僚長の厳重注意は、二度とないし警告でもない。
将来確実に起る事態の予告と思うべきで、再び査察が入る時、既に病院は政府の物だ。
【御前等、何時でも出て行ける様にしておけ】の合図になる。
統合幕僚長が自らこんな僻地に来るなんて、戦争になったって在り得ない事だ。
防衛庁医療施設調査機関が、調査と称して一般病院に入ったならば、絶対と言っていい程その病院は接収される。
有事並の基準に達していなければ不可の徹底した調査を入れて、防衛庁が立入調査基準に満たない施設として不合格にするからだ。
統合幕僚長が指揮する病院の立入調査基準というのは、有事に際して前線での病院接収を目的に作られた審査基準で、審査基準に満たない病院は非常時の指揮系統対応能力に問題ある病院と評価される。
そうなると、政府直轄の組織に組み込まれた後、病院は医師看護師を含め、総てのスタッフが統合幕僚長の指揮下に入り、準自衛官としての扱いになる。
簡単に言えば、合法的な病院乗っ取りで、病人以外の民間人は即座に施設から追い出される。
そうなってくると、院長や理事といった運営は蚊帳の外、採算度外視の野戦病院にされてしまうのだ。
合法的に見えなくもない病院乗っ取りは【病取り法】と防衛大の医学生に言われている。
俺は学生の時、法学の教授に教わった。
こんな法律を行使する時、日本は完全に崩壊状態だから、永久に日の目を見ない法律だし、行使されないに超した事はないとも教授は言っていた。
【有事医療機関接収に関わる現地調査と行使の権限に関する法・補足改訂】のそのまた末尾に【例外的措置の備考】として掲載されている部分で、一般の法律書には載っていない。
誰にも勘付かれないように、ひっそり掲載された項目。
更に、そこに記載されている有事の解釈を捻ってみないと理解出来ない。
今回の査察の意味を知る者は皆無だ。
病院の運営でも、こんな法律があるのを知っている者はいないし、判事・弁護士・検事といった法の専門科でも不可解な一文。
有事法制の研究者でもないかぎり、見向きもしない法律を繰り出してきた。
病取り法について私学で教授していると、突然、ぬらりひょんが教室に入って来た。
教室はワンルームマンションの一室で、別に二部屋をぶち抜いた教室がある。
俺達はここを講堂と呼んでいる。
講堂での授業は生徒全員を集め、学力に合わせて個別に指導する方式だ。
さながら、学習塾で一時に小学校から大学までの生徒に教える風だ。
教師経験の全くない俺などは、混乱して来る授業形態だ。
そんな教え方は俺と相性が悪くて上手くできないから、もっぱら山城の家から来た連中の担任で、病院の手伝いに役立つ学問ばかりを教えている。
最近では、すっかり改心した子供の勉強する姿を見るのに、遠くから私学を見学に来る親もいて、授業中に鍵は閉めないから誰でも入って来られる。
なにはともあれ元気そうでなによりだが、連絡もなしで急に教室に入ってきたものだから誰もが声を失って、ただホヘ~っとぬらりひょんを見ている。
「ご無沙汰ぶりです。遊びに来ました」
何かが変だが、それどころではない。
授業もそこそこ宿に帰って、今までの事・聞きたかった事、俺が矢継ぎ早に質問を浴びせる。
すると、ぬらりひょんが「順繰りに説明しますね」ノタノタ話す。
俺は間怠っこいのが嫌いだから、せっかちに「それからそれで」と話を急かす。
あまりにも一編に多くの情報を頭に入れたものだから、理解不能のまま話が終わる。




