表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/53

やっちゃん 3

 ヤブは何もせぬ医者で、二日酔いの酷い時は俺に患者を診させる始末だ。

 どうにもデタラメなヤブ医者が毎日欠かさずやったのは、医学部攻略塾での授業だけだった。

 塾生は俺一人。

「利口になりたいし本気で勉強する気はあるけど、医者になる気はねえから」

 何度言っても聞く耳を持ってくれない。

 だが、ヤブの教えてくれる学問は分かり易くて、すんなり頭の中に入って来たものだ。


「てめえの頭には、記憶する海馬も大脳もねえんだろ。からっきしダラシねえ頭だなあ~」

 口癖のように言われ続けたが、学校の成績は見事に鰻登り。

 いつの間にかトップクラスの常連になっていた。

 もっとも、トップとドンケツの差が僅差で、入れ替わりの激しい争いだから、どんぐりの背比べにもならねえのは分かっていた。

 兄も医者になるとか言ってしきりに勉強していた。

 そんな兄でさえ、卒業しても医者になれるかどうか分かんねえ医学部にギリセーフで入れたってのに、俺にはぜってえ無理だ。


 兄は根っから陰険な性分で、俺とは仲がよくなかった。

 ガキの頃は三日と空けず喧嘩をしていた。

 あの頃は兄の方が体が大きく力もあったので、必ず俺が負けていた。

 そんな事情から、喧嘩で勝てれば勉強では勝てなくてもいいと諦めていた。

 勉強では比べる気が失せる大差だったからだ。


 それがだ、兄が脳ミソ沸騰させてやっと入った医学部へ行けそうだって段になって、ようやく父親の怒りが治まって勘当が解けた。

 にもかかわらず、相変わらず兄は俺を嫌いのようだ。

 お互い様だからどうでも良いが、俺が医大に入れたらばと考えると、兄の悔しそうな顔が頭に浮かんできて、可笑しいやら気の毒なようなで変な気分になる。


 ヤブ医者の実家はこの界隈じゃ古くからの医者で、小さな病院を一軒持っている。

 兄弟は皆医者になっているのだそうだ。

 そのヤブがどういう因縁か、ボロボロの掘立小屋みたいな診療所でグウタラ医者に成り下がっている。

 そしてまたどういった風の吹き回しか、俺を医者にしようとやっきになっている。

 母親でさえ死ぬ数日前に愛想尽かした乱暴者が、医者になれると本気で思っているのだろうか。

 これも極道の修行と覚悟を決めて、やれるだけの事はするが、いくら山城親父の言い付けでも出来る事と出来ない事がある。

 俺は到底人に好かれるタイプではない。

 人様から犬の糞のように扱われたって何とも思わない。

 それが、山城親父やヤブのような人間に出会うと、かえって戸惑う。


 滅多にない事だが、診療所にも忙しい時があって、たまに手伝ったりもする。

「お前がいてくれて助かる」

 褒められる時があったが、俺はヤブの言う意味がよく分からなかった。

 山城の家では何時でも誰かの世話をするのが当たり前で、大変な時なら尚の事、自分のすべき仕事に没頭していた。

 もっとも、診療所にいるのは俺とヤブにふてくされ猫が一匹。

 あとは患いでいるべき患者だけだから、ヤブ一人より俺がいた方がいいのだろう。

 でも、何時も勉強では馬鹿野郎としか言われない。

 手伝っているつもりでも、邪魔をしているのではと思う時もよくある。


 医者の仕事なんて知らない俺は、喧嘩して人を傷つけるのは得意だが、治すとなるとどうも勝手が違う。

 母親が死んでから診療所の居候になったが、ヤブの俺に対する接し方は今までとそれほど変わっていない。

 変に可愛がられると、何故こんなに良くしてくれるのかとかえって不審に思ってしまうから、それはそれでよかった。


 ヤブの母親は早くに亡くなっていた。

「女親を知らねえから、お前みたいな悪ガキに優しくする方法を知らねえ」事あるごと俺に言う。

 してみるに、母親が亡くなったのが早いには早いものの、俺は母親を知っているだけまだ幸せだったのかもしれない。


 受験の日も近くになって、診療所の手伝いや攻略塾から解放された。

「今更ジタバタしてもどうなるもんでもねえよ。天に判断を任せるんだな」

 ヤブはそう言って、俺にゆっくり休むよう勧めてくれた。

 ガキの頃から体力だけは自信があったから、そんなに疲れているとも思わなかったが、せっかくの休みだから夜になって父親を誘って飲み屋に行った。

 父親は蕎麦焼酎の御湯割りが好きで、いつもそればかりだ。

 俺はそんな物飲めないから、生ビールのでっかいのを頼む。

 中学を出た頃から通っている店で、未成年がああだのこうだのとは一度も言われた事がない。

 この辺りじゃ、ガキが酒飲むのは当たり前だ。 


 試験の前日、ヤブが鉛筆やらなんやら細々したものまで揃えてくれて、小遣いまで渡された。

「宿を予約するの忘れちまってよ、その金で何とかやりくりしてくれや」

「チッョと待てや! 全部俺に任せとけって言ってただろう。これから宿さがしかよ」

 怒りまくったものだ。  


 ヤブが物をくれる時は、必ず父親も兄もいない時に限る。

 俺は何が嫌だと言って、人に隠れたり迷惑かけたりして自分だけ得をするほど嫌な事はない。

 兄とはいつになっても仲良くなれないけど、兄に隠れて父親やヤブから小遣いをもらいたくはない。

 俺が兄だったら、俺一人だけがもらっておいて喜んでいるのを見たらきっと嫌だろう。

 だから「俺はそんな金は受け取らない」こう言うと、ヤブは「兄貴にはおめえの父親が色々と買ってやっているから、お前の分は俺が面倒を見る」と言う。

 どういった風のえこひいきかは上手く説明できないが、兄を父親がえこひいきして、俺をヤブがえこひいきしている。

 お互い様と言えばお互い様だが、なんとも不公平な感じがしてならない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ