やっちゃん 28
「呼ばれたから来たけど、僕にいったいどんな用事かね」
予想以上にとぼけたタイミングで、ハリネズミが部屋に入って来た。
今さっき赤チンに口止めされたばかりだから、講談の話をするのも具合が悪い。
「ここのところ素通りだからな、たまには寄って貰って一緒に酒でも飲もうと思ったんだ」
心の片隅にもない嘘でごまかした。
「そうだったのかい。実は、僕は君に嫌われているのではないかと思っていてね。自分の思い込みでこの部屋を遠ざけていたのだよ」
白状しながらも、俺に嫌われていないと勘違いして喜んでいる。
余計な嘘のせいで、それからというものハリネズミが三日と空けずに部屋にやって来るようになった。
俺が泊りで留守にしていても奴は部屋でくつろいで、俺はハリネズミの家で仮眠を取っている。
もはやどっちがあいつの家で、どこが俺の宿舎か。
そうこうしていて、一度この命をハリネズミに救われた。
救われたと言っていいのだろう。
奴が部屋に居た時、俺に間違われて狙撃された。
狙撃されたが、デタラメに打ち込んだか脅しで、人間をターゲットにした狙撃ではない。
仮に当たったとしても、俺の背丈なら尻をかすめる弾道だった。
ところが、背の小さいハリネズミに当たったから、もろに腹へ命中してERに担ぎ込まれて来た。
弾は簡単に取り出せたが、出血多量で意識がない。
厄介なのは、コイツの血液型でA+/O-のキメラで、一致する血液型の人間は数千万人に一人の確率って事だ。
救急用の血液ストックなどない。
親族は近隣に住んでいないと言っていたが、赤チンがどこかから適合血液を仕入れてきて助かった。
赤チンが「血液の出所は自白剤を打たれても言わない」しっかりしたものだったので聞かずにおいた。
無いに等しい痛覚神経といいキメラ血液といい、人間離れしている奴だから、もしやと思って内緒でDNAを調べてみた。
どっこい期待は簡単に裏切られた。
思っているほど簡単に妖怪と廻り合えるものではない。
二種類の人DNAが混在する人間キメラというだけで、人間であるのは間違いない。
血液がキメラだから、DNAがキメラなのは予想できた。
さほど驚く結果ではなかった。
狙撃時の様子を、ハリネズミから詳しく聴取する。
自分の周囲で起きた最近の出来事との関係性を疑い、聴取内容と合わせて考える。
それらしい心当たりも前兆もまったくなかった。
貫太郎が近くにいたなら、あいつの悪戯で暴発したとも考えられる。
しかし、近くにそんな手の込んだ悪戯をする奴は遊びに来ていなかった。
ハリネズミは大威張りで「君には随分と大きな貸しを作る事ができたね。これからは恩返しに励んでくれたまえ」
意地の悪い薄笑いを浮かべ、俺の顔を見て言った。
赤チンとの約束がなければ、講談の一件を全部ばらしてすっきりしたいところだ。
つまらん事だから口外しないと請け負ったばかりに、金縛りの憂き目にあっている。
ERに担ぎ込まれた患者だから別け隔てなく助けたが、あの時大動脈の一本も切っておけばよかったと、今になって痛感している。
命救ってくれた医者に恩義を売って、恩返しだよとたかりついて俺の生血をすすろうとしている。
コイツは人に酷似した妖怪に違いない。
「あの宿舎は危ないから、暫く僕と入れ替わったまま生活するといい。恩の大安売りだ」
「いやいや、一度しくじった山を二度踏みするマヌケも居ない。あの宿はもう安全だよ。俺はもう帰っているし、その後怪しい奴もみかけていないから大丈夫だ」
温泉宿の宿泊権を賭けた攻防がしばらく続いたが、何とかハリネズミを説き伏せて地下室に帰ってもらった。
狙撃事件から半月ばかり過ぎた午後の会議で、またもや野ざらしの横暴が槍玉に挙げられた。
十分ばかり遅れて入ったものだから、とんと様子が分からない。
外科の連中が寄ってたかって野ざらしに「そんな古臭い認識のまま診断したのか」
「患者を放置したのでは、見殺しにしているのも一緒だ」といった意味の事を言っている。
野ざらしは野ざらしで「何十年も医師としてやってきたが、ただの一度も誤診はない」と言って譲らない。
すると若い医師が「貴方には誤診でなくとも、患者の状態が誤診だと証明している」
例を挙げて指摘する。
すると野ざらしが「そんな症例は教科書に載っていないし、学会に報告も上がっていない」と反論する。
これまた若いのが「WHOには十年も前から挙げられている症例だ」と言えば野ざらしが「ここは日本だ世界保健機構は関係ない」と言い出す。
大人しく聞いていれば馬鹿らしい応答で、世界だろうが日本だろうが人間の体に違いがあるものか。
ここは日本だから世界は関係ないと言う野ざらしは、論外の変人。
十年も前から言われているのだから有ると主張する若いのが、自分に自信の持てない変人なだけだ。
何年前だろうが今に始まった事だろうが、あるものはあるし無いものはない。
ただそれだけの事だ。
世界がどうだの過去の症例がどうだのと言い争う姿は、どうにも間抜けな奴の喧嘩に見えて呆れるばかりだ。
こんなのばかりなら、今後会議に出たって良い事なんかないと思った。
今は前のように急患だと言い訳して、会議には主席していない。
宿舎の温泉宿で、ぬらりひょんを時々見かける。
月に一度くらいは来ていたが、ハリネズミの狙撃事件があってからここの処頻繁だ。
青白い顔で風呂に行って、俺の部屋へ遊びに来る。
ボーとしながらも、幾分顔色がよくなっている。
ハリネズミと違ってぬらりひょんは常識の備わった人間で、真面目に金を払って風呂に入る。
病院の事ならば、ぬらりひょんもかなり裏の裏まで知っているのに、ハリネズミの講談を聞いて関心している。
彼に言わせれば「この宿屋で狙撃されたのは先生ではなくてヘコさんで、組織の秘密を知られては困る誰かが暗殺に失敗したんですよ」
普段から被害妄想に取り付かれているぬらりひょんが考えそうな事で、病院の裏話を語って聞かせた程度で殺されていたのでは、今頃此の世に生きている奴がいなくなっている勘定だ。
「考え過ぎだ、もう一度風呂に入ってボーとしてこい」と行かせる。
暫くして部屋に来て「病院の事じゃなくて……じゃなくて病院の事だけど、医師が行方不明になった事件の事まで語ってるんですよ」とわめきはじめた。
こいつはどんな時でもぬらりひょんな奴だ。
はっきりしない言い回しで、どっちつかずの話ばかりしてイラつかせてくれる。
だが、こいつにしては珍しく、今はしっかり物事を語っている。
「俺が聞いた時は、行方不明になった医師の事なんか話に出ていなかったぞ」と言うと「巧妙な隠し言葉で事件の内容を織り込んでいるから、よほど詳しい者でなければ聞いていても分からないんですよ」と返って来た。
「どうしてそんなに、お前は事件に詳しいんだ」と訊ねると「行方不明になった医師とは同期で、ER設置の準備を二人でやっていたんです」




