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やっちゃん 25

 この日は、医事課の苦情処理能力を超えて、議題に取り上げられる不始末をしでかしていた。

 元より野ざらしはプライドが高く、名門大学を優秀な成績で卒業したと吹聴して歩く癖がある。

 そのくせして勉強が嫌いだから、現代医学の躍進に付いてこられない。

 学校で教わった事ばかりを絶対だと盲信している。

 確定診断を出すのに、他の医師と意見が合わないなんてのはしょっちゅうだ。

 議論の的になったのもそんな事が原因だった。

 交通事故に遭った患者が、衝撃で脳障害を起こしている疑いがあるから精研をしてほしいと、整形外科から回された患者を、野ざらしが独断で検査もしないまま問診して帰していた。

 それで済めば良かったのだが、帰宅した患者が自宅で眩暈発作を起して、再び病院に担ぎ込まれて来た。

 家族からの猛抗議もあって、問題が大きくなってしまっていた。


 事故後の意識障害が無かったから、脳神経外科の判断として、野ざらしは患者を帰していたのだが、整形外科では、既にアメリカ等で頭部に衝撃を受けた帰還兵を追跡調査したデーターから、意識障害の無い場合でも、脳に衝撃を受けると後遺障害が出る事があるから、慎重に対応すべきだとしていた。

 国際基準に照らし合わせた検査を、整形外科と耳鼻科・泌尿器科の医師が実施した後、明らかな脳障害の疑いがあったので脳神経外科にまわした患者だったのに、野ざらしの勉強不足に加えて、脳神経外科では依然として意識障害の有無をもって脳障害の危険性判断基準としたままだから、整形外科の診断を無視して脳に異常無しの確定診断をして帰していた。


 発作を起こして再び患者が病院に担ぎ込まれた時にCTを撮ったが、脳には異常が見られないとして、脳神経外科が整形外科に患者を戻したから尚更ややこしい話になっていた。

 どれほど斜に考えても、症状の総てが脳に関わっているのは患者の状態からして明らかなのに、画像に映っていないだの事故から時間が経ちすぎているとか、事故当時の意識障害は無かったからなどと、野ざらしは自分に都合の良い事ばかり並べ立てて責任逃れに夢中で、患者の事をちっとも考えてやっていない。

 普段から仲の良くない両科の間に、更なる火種が出来上がって、はては病院医師の意見を真っ二つに分けての争いになるのではと懸念する声もあったが、そんなのは基準がどうこう言う前に、目の前の患者が異常を訴えているものを、医者がそれは気のせいだくらいに患者をあしらって帰したのだから野ざらしが悪いに決まっている。

 俺だったら二・三発正義の鉄拳で制裁を加えている所だが、医学界の連中は御上品な奴ばかりだ。

 落ち着き払った議論が、延々と続くだけで面白くもなんともない。


 副院長なんて御立派な肩書でいられるのも、県内に医学部が少ない事が手伝って、病院の医師がほとんど野ざらしの学閥で占められているからだ。

 圧倒的多数の力が暴走しないように、院長が計らっているからに過ぎない。

 実力からすれば、とても副院長の器と言える人間ではない。

 そんなんだから、決め事があって院長が他の医師への根回しを副院長に頼んだ時だって、満足にまとめられないで折角のいい企画が空中分解して実現しなかったのも一度や二度ではない。

 肝心な所で使えない上に、人望の無い№2程邪魔な者はない。

 さっさとそんな首は挿げ替えちまえばいいのに、学閥の中では最年長な上に、勤続年数も院内最長とあって、簡単にはいかないとか。

 つまらない政治力だけは人一倍あって始末に悪い。 


 それにしても、世の中は不思議なものだ。

 医者の世界にあって、患者からクレームの嵐を喰らってもなお威張り散らしていられる上に、知識も技術も最先端についてこられない化石並の木偶が、たまたま医学部が少ない地方で医者になったというだけで、大勢の医師の上に立っていられる。

 俺は特別な付き合いがある相手でもないから平気でいられるが、直接野ざらしの下で働いていたなら、あいつは今頃本当に野ざらしの白骨だろう。

 気の合った連中にはからかわれながらも、面白可笑しく遊んで、気楽にいられるから俺はこのままでいい。

 下手して上に立とうとしたら、物騒な事になりそうだからやめておく。

 俺は永久に野ざらしと仲良くやって行けないと確信した会議だった。


 救急できた患者の殆どは、ERにまわされてくる。

 骨折や指を切り落としたといった診ずとも治療科の分かる状態ならば、直接担当科に行く場合もあるが、原因不明の急患は一旦ERで受け入れている。

 それでも医者が見れば、病原がどこにあるかは粗方察しがつくものだ。

 応急処置をしながら、引き継ぎの代わりに担当科の医師を呼んで、一緒に治療したりもする。

 外科が忙しい時には逆の場合もあるが、その患者もすぐに外科に帰ってゆく。

 今の所外科とERは混在している状態だが、将来的には総ての急患を、ERで受け入れる体制に移行してゆく計画で動いている。

 脳神経外科と連携する時もよくあるが、幸運な事に野ざらしと一緒に手術台に向かった事は一度もない。

 人望の欠片もない者でも、医者には違いない。

 それが、どんなに他が忙しくしていようとも、自分は診察室から出ようとしないのだから、出くわしようもない。


 診察が一段落つけば、医師でも看護師でも誰でもいいから、ちょっとした手順違いを見つけては「どこで医学を学んだのかな? あそこではそんな教え方をするのかい、僕の母校は優秀だから、そんな事を言ったら卒業どころか進級もできないよ」

 徹底的に相手を打ちのめして、自慢話をするのが奴の仕事だ。

 そんな男だから、弱い者の所にしか行かない。

 事情も何も知らないで赴任したての頃、院長が粋狂で作った現場科の科長だった時。

 後先考えないで喧嘩する不良医者のレッテルを、現場の連中に貼られていた俺の所には来ないと思っていた。

 ところが後になって、野ざらしはここ数年一切の手術に関わっていないと聞いた。

 以前は難しい手術も難なくこなしていた。

 それが数年前、かみさんが亡くなってからは手術をしていない。

 旅先でかみさんが事故に遭ってしまい、搬送先の病院が見つからないまま手遅れになって亡くなった。

 かみさんが事故に遭った時、野ざらしはこの病院で執刀していた。

 赤の他人を助けている間、自分のかみさんが治療も受けられずに死んでいった心情を思えば、少々ぐれても許してやりたい同情心が湧かないでもない。

 しかし、今も昔も変わらない性格の悪さは、最強最悪で事故以前からだ。

 救いようのない奴だ。


 タヌキ女の話では、ER設置に一番熱心だったのは院長ではなく野ざらしだった。

 家庭の事情を思えばそれが至極当然で、俺にERの辞令が出る前は、副院長の席は別の者に譲って、自分がERの責任者になってもいいとまで言っていた。

 それなのに、いざERの設置が本格的に始まると、手のひらを反した様にER反対派に回っていた。

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