やっちゃん 20
最近、山城の家に随分と活きのいいのが入って来て、病院も助かっているとヤブがちらっと言っていたが、それってこいつ等の事か。
ヤブは単純に、若い女がごっそり入って来て、スケベ心を満足させるのに助かっているだけじゃねえか。
長い事山城の家で厄介になってきたが、女の住み込みはなかった。
あっちもこっちも元気な男ばかりの中に、若い女を放り込んだ結果は、合理的疑いを差し挟む余地なし。
それより以前に、男は馬鹿で女はケチだ。
寄せ場の世話になっても自慢話にするのが男で、自分の前を隠したがるのが女だ。
やっちまった事を何時までも引き摺っていては先に進めないが、隠したいと思うなら初手からやらないに超した事はない。
何をやらかして山城親父を頼ってきたのか今は聞かないが、仮にも俺はこいつ等の先生に当たる人間だ。
そのうち反省文でも書かせてみるか。
何もかも都合の悪い事は隠しておけば、いずれ世間は忘れてくれる。
しらを切りとおす図太い神経があるなら、自分のしでかした失敗を書く事だってできるものだ。
真人間になる気があるなら、それくらいは我慢してやってもらいたい。
俺だって物心ついた時から悪さばかりしてきたが、誰がやったと聞かれた時にダンマリを決め込む卑怯はただの一度もなかった。
したものはしたで謝るし、しないものはしないで殴られようが蹴られようがしないに決まっている。
俺なんぞ、悪戯したって潔白なものだ。
嘘をついて懲役を逃げるくらいなら、始めから悪戯なんかやらない。
罪と罰はつきもんだ。
罰があるから緊張感があって、悪戯のしがいがあると後になって山城親父に言ってやった。
「お前は、相変わらずの馬鹿野郎だな。現行犯でも、黙秘権ってのがあるんだよ。男も女も黙って弁護士先生に任せるのが、ヤクザ渡世を生き抜くコツなんだよ」
やる事やっても後の責任は持ちませんってのが、この道の生き方だってのは薄々感づいていた、はっきり親父に言われたのは初めてだ。
本業の組下仕事で、俺は貫太郎と一緒に金貸しをやっている。
時々ぶっとばしてやりたくなる奴ってのがいて、これは貸した金を返さない奴だ。
借りた金を返さないのには邪な奴が多くて、終いには弁護士たてて破産申請で借金をチャラにする。
人生だって売り買いするのが俺達の住む世界だ。
人の戸籍や住所を使い、なりすましては金を借りまくって破産する。
それを繰り返して十年もすれば、はじめに破産した名前をまた使える。
何度でも借金を繰り返せるのだ。
そんなシノギが当たり前の世界で育った奴等が、病院を手伝った稼ぎで堅気の暮らしをしようとしている。
だから、昔の事は聞かないでやってくれとも言われた。
山城親父の言う事も最もだ。
反省文を書かせるのはやめにしてやった。
だが俺は、腐った了見の奴は大嫌いだ。
俺の生徒になったからには、これから先、蔭でせこい真似して人様に迷惑かけたりしたら、女だってタダじゃ済まさねえ。
新人連中を帰してまた床へ入って横になったら、年越しの蚊が一匹、暖かくなった部屋でかん高い羽音をたてて入眠妨害を繰り返す。
目を閉じたまま音のする方を平手でたたく。
こんなんで退治できるはずもなく、何度か自分を叩いていよいよ殺虫剤。
部屋中探し回ったが見当らない。
諦めて三度目に床へ入ったら、またもや蚊がプーンとやって来る。
朝から雑多な一日が始まり。
夜勤明けだってのに、ろくに眠れていない。
時計を見るともう昼近くなっていて、このままではとても眠れそうにない。
考えてみれば厄介な役回りばかりで、急患相手のERでは責任者の上に、堅気が一人もいない学校の教師までやっている。
ヤクザ家業だけならどうにかやりきれる自信はあるが、医者や教師になる奴の気がしれない。
どうして成り人がつきないのか、不思議でならない。
堅気ってのはよほど辛抱強い人間なのだろう、ここ最近の疲れ方からして俺にはこのワラジ、三足も履いて歩き続けられる気がしない。
それを思うと皆たいしたもので、赤チンは医者と研究者と変態、タヌキ女は弁護士と理事長と俺の見張りをしている。
どうしても使い道のない助兵衛と思っているオカボレ野郎だって、鳶やりながら学校の先生の手伝いして、赤チンとタヌキ女と女将の追っかけまでこなしている。
人間どんなにくだらない人生に見えても、よく観察すると恐ろしく画期的だったりするものだ。
こう考えてみるとヤブは見上げた奴だ。
やる気も金もないやぶ医者だけでも希少なのに、人間として見るより未知の有機体として見た方が納得できる生態だ。
長く観察していても飽きない。
こうして一人離れて暮らしてみると、尚の事やぶの日常が俺なんかの非日常だと気付かされる。
今まで散々世話になってきて有難いとは思うが、これから先の人生では、できるだけ遠ざかった関係でいたい存在だ。
港屋の岩牡蠣が食いたいと病床で言われ、ついうっかり可哀想だと思って連れて来てやれば、すっかり騙されていたのは俺だった。
分かっていても、つい上手い事口車にのせられてしまう。
本人は、一流の詐欺師並みに研ぎ澄まされた父親の血は受け継いでいないと言うが、誰に聞いたって一筋縄ではいかない危なっかしい奴だとヤブの事を評価する。
ヤブは俺の事を無欲で真っ直ぐな気性だなどと言うが、人様と比べてそれほど掛け離れた無欲ではない。
ヤブは自分が庭先の盆栽よりも曲がりくねった性格だと気付いていないから、他の人間が真っ直ぐに見えるだけだ。
もっとも、俺や他の者がいくらあの医者に意見したって、基より聞く耳をもっていない奴だ。
ひん曲がった性格に気付くも直すもない。
特別会いたい者でもないが、ヤブの事を考えながら芋虫ゴロゴロをしていると、突然足元がズシッと揺れてガタガタガガガガーとけたたましい重機の音が外から響いて来た。
慌てて外を見ると、四・五人の作業員が重機を囲んでスコップを持っている。
それを見た途端、数日前に女将が言っていた足湯場の拡張工事が始まったのだと分かった。
よりによって今日からとは、タイミングが悪すぎる。
増々眠るどころではない。
腹もへってきたから静かな処で昼を食って、ハリネズミの家で寝かせてもらおうと支度をした。
さっきまで徹夜で勤務していた病院に行くのはあまり気がすすまないが、ハリネズミの家は病院の地下で昼夜逆転した世界だ。
ここよりは気分よく寝られる。
ここら辺りで美味くて安い店と言ったら、タヌキ女が務める法律事務所の前にある海鮮料理屋だ。
給料日前になると、タヌキ女が足繁く通っている。
奴をまんざらでもなく慕っている幼馴染がやっている店で、付け払いの踏み倒しがきくからだ。
タヌキ女がこの店で勘定を払ったのを見た事がない。
店主が気の毒になって、どうやっても救えない女だからいい加減にやめといた方がいいと忠告してやった事があった。
ところがこの店主「漁で捕れた外道を食わせてやっているだけだ。あいつから御足を頂こうとは思っていない」と言う。
ならば「俺にも外道でいいからタダで食わせろ」と交渉してみたが、簡単に却下されてしまった。
普段からあっちこっち飲み歩かなければ、給料日前になって苦しい思いをしなくて済むのに、抑えがきかない女だ。
奥の指定席で、タヌキ女が平日の昼間だってのにビールを飲んで寛いでいる。
店で休憩しているのは観光の客ばかり。
浮いている風ではないが、サボって酒飲んでるのに堂々としたものだ。
それでなくても変なあだ名を付けられている。
俺としてはコイツと絡みたくない。
しかしながら、目を合わせてしらばっくれると後で何をされるか分からない。
恐ろしかったので、カウンター席に座って軽く手を振ってやった。
そうしたら「そんなところでいじけてないでー、こっちに来なよ」と呼ばれた。
「いじけてカウンターに座ったんじゃねえよ」




