やっちゃん 16
クリスマスパーティーの真似事が御開きになって、食わなかったのと余ったケーキを何個か持たされた。
甘い物をたんと食いたい者ではない。
いらないと言ったのに、宿の女将へと無理矢理だ。
女将は飛び切りの不細工ではない。
何かとチョッカイを出したがる奴がいて、そいつらは必ず俺に仲立ちをさせたがる。
手出そうが物出そうが好き放題やってくれていいが、一緒の家に住んでいても赤の他人だ。
特に親しくしているのではない。
俺に女将のどうのこうのを頼むのは勘弁してほしいものだ。
宿に帰って、女将に「✖✖✖の浮気大好き野郎からだ」とケーキを渡した。
翌日は休みで疲れていたのもあって、酒飲んで早めに部屋の風呂に入ってから寝た。
ここに来てすぐの頃は、夜中に客が入れない時間を見計らって大浴場に入っていた。
何時もでかい温泉風呂に浸かっていると飽きるものだ。
最近は部屋の風呂で済ませる事が多くなってきた。
翌朝、朝飯を食ってから海岸を歩いていると、派出所の警官が俺に寄って来た。
根が裏の人間だからお巡りは嫌いな部類で、あまり近付いて来てほしくない。
ただ、組で勤まらなかった半端者が、外で悪さをした時なんかも訪ねて来るから、仕方なしに話だけは聴いている。
お巡りは何人か来ていたが、俺の所にやってきたのは、ここに来て知り合った警官ではなかった。
ガキの頃、山城の島でヤンチャばかりしていた奴で、二・三回事務所に引っ張り込んで小言聴かせた後、軽くボコってやっていた。
けっこう見込みのある青少年だと思って目をかけてやっていたが、何を血迷ったか警官になっていた。
昨夜、でっかいツリーを作って見せた後、夜中に電球を外して足をたたんで返すばかりになっていたクレーンが、密かに失踪していたらしい。
自走式の重機が突然消えたりしたら、堅気は盗まれたと考えるのだろう。
窃盗の容疑者が上がっていない場合、俺達は重機が過酷な労働に耐えられなくなって逃げ出したと考えるようにしている。
そうしておけば、後で何かの拍子に逃げ出した重機を発見しても、本人の意志でここにいるんだと思い込んで自由に売買できるからだ。
昨夜失踪したクレーンが、俺を頼ってこの宿に助けを求めてきたのなら喜ばしい事件だ。
しかし、俺の知らない所で誰かがクレーンの逃走を手伝ってやっているからこんな事態になっている。
クレーンの鍵はバッテリーの上に乗せてあった。
素人は気付かないだろうが、現場に出入していた連中なら誰でも知っていた。
親方が親方だし、元請会社はその上行く悪行三昧の連中。
フェンスの無くなった現場から、高価なクレーンが家出するのは工事の裏工程表にきっちり組み込まれていた筈だ。
貸し出した会社だって、まともにクレーンが帰宅するとは思っていない。
盗難保険がらみで、警察から証明書を発行してもらう都合上、失踪届か捜索願、ひょっとしたら間違って盗難届を出しただけに違いない。
レンタル会社が組の企業舎弟なら、重機はとっくにどこか別の場所に移されペンキを塗り替え終えた頃だ。
調べに来た警官だって、分け前もらってるかも知れないような事件に、貴重な休暇を奪われたくない。
「家出したんじゃねえの。そんなの知ったこっちゃねえよ」と突っぱねて追い返してやった。
大晦日の朝、何時もの年なら初日の出を拝むのに満員の宿が【歓迎何々様御一行】の札が一枚もぶらさがっていない。
門松が寂しそうに北風に吹かれ、正月を控えた宿屋だってのに閑散としている。
従業員は正月休暇だと言って、普段着でうろついている。
居候猫が、当たり前にロビーで日向ぼっこをしている。
「とうゝこの宿も潰れたか」と女将に聞いたら、包丁が飛んで来た。
勢いのある包丁は俺の頬をかすめ、すぐ横の柱に突き刺さった。
何度か包丁を投げられているが、上達が早くて最近はかなり的確にターゲットめがけて飛んで来る。
かき入れ時だってのに、こんなにのんびりしていられるのは「粋な御客はんが、大晦日と元日にこの宿を借り切って宴会をしてくださるんどす。その席に、あたしも含めて宿の従業員が招待されとるんどす。宿の仕事一切を、借り切った御客はんが、どこぞから人を連れて来て賄ってくれる事になってます」だとか。
今はその人達の到着を待っているようだ。
今時、粋狂な客もいるものだなと思ったが、この胸騒ぎは何だろう。
俺が下宿している温泉宿は、四階建ての鉄筋コンクリートで、最上階が特別室になっている。
いつもは使われていないが、危ない連中が来ると警備上の理由と言っては特別室に隔離している。
そんな特別扱いの客がいても宿は通常営業をしているのに、今日から何日かは俺が特別室に隔離される。
「自分の部屋があるんだから、隔離は勘弁してくれよ」と言ったのに「先生の御部屋も使いますから」と、私物を全部特別室に運ばれてしまった。
そこまでされたら移動しないわけにはいかない。
暮れから正月にかけて連休する宿なんてのは、ろくなもんじゃねえ。
いくら常連の変人が借り切ったからといっても、みんなのんびりし過ぎだ。
今日あたりは宿で御馳走にありつけるだろうと、ハリネズミが遊びにきた。
ハリネズミは何度も俺の所に遊びにきているから慣れたもので、誰にも声をかけず一階の俺の部屋に行った。
今日から暫く、四階の特別室が俺の部屋だと聞いて上がって来たのだが、妙な具合いになっている。
この辺の温泉宿では、日帰り入浴の客に浴衣を貸し出している。
今日は日帰りの客がいないから、ハリネズミも浴衣を貸してもらえて、えらく機嫌がいい。
入浴料は軽い食い物と飲み物が付いて、浴衣込の千五百円。
ここいら辺りでは当たり前の値段だが、ハリネズミは一度も払った事がない。
それなのに俺の待遇を見て「下宿代も出してもらっている上に毎日浴衣をとっかえひっかえして贅沢だ」と言う。
どんな条件で俺がここに来たか知らねえから、好き放題言うのだろうが、湯に浸かるのに一度も金を払ってねえ奴が言う事じゃねえと思う。
救急が忙しくなってからは下宿に毎日帰れないのだから、始めの約束から考えるとえらく損しているのは俺の方だ。
何と言われようと、温泉や浴衣が贅沢だとは思わない。
風呂は男湯にサウナと内湯があって露天が二つ、女湯はサウナと内湯が二つに露天が一つだが、内湯のひとつは総ガラス張りで海がよく見える。
俺は客のいない時ばかり入るので、男湯も女湯も関係なく入っていたら、一度先客にタヌキ女と赤チンが入っている所に出くわした。
赤チンは俺の物をじっと観察していたが、タヌキ女はクルッと背中を向け「入って来るなよ! 馬鹿野郎」と言って固まったきり動かなかった。
タヌキ女の背中に観音の墨が入ってたんで、何でそんなもの入れたか聞きたかったが、赤チンの視線が気になってすぐに出た。
女将も、男湯女湯かまわず入っている。
今では、宿の者が入る時は混浴状態になっている。
飲んでいた時にそんな話をチラリとしたら、ハリネズミが凄まじく羨ましがっていた。
きっと、そんなヒガミもあってやいのゝ言うのだろう。




