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やっちゃん 10

 あんちゃんと言って俺に蹴りを入れたのは、懐かしさからだと言うが、俺はこんな奴知らねえ。

 辞令だって、俺の知らない所で知らない奴等が勝手に書いたんだ。

 ろくに見ないで、ゴミ箱に捨ててやった。

 デロデロ女は明日にでも職員に紹介してやるから、一々その人にこの辞令を見せるんだと言う。

 ゴミ箱の辞令を拾い上げ、もう一度俺に渡した。

 余計な手数だ。

 何の辞令か知らないが、そんな面倒な事をするより辞令を壁に張り付けておく方がましだ。

 どうなってるんだか、酔っているせいもあって頭の中がこんがらかってきた。


 理事長のタヌキ女は、俺が週一で家出していた頃にこの宿でちょくちょく出くわしていたという。

 子供の頃、宿前の海岸で遊んでもらったり、近所の悪ガキに虐められているのを助けられたり、溺れかけている所を救い上げてもらったり、えらく世話なったと子供はしゃぎしながら話している。

 家出中にここらでフラフラしている時、ハナッタラしの不細工なガキに付きまとわれたのは覚えている。

 だが、コイツの記憶は良い想い出として、大部分が美化脚色されている。

 宿前の海岸で遊んでやったのではなくて、勝手にコイツがまとわりついていただけだ。

 近所の悪ガキに虐められているのを助けたというのは、俺の喧嘩にコイツが巻き込まれただけ。

 溺れかけている所を助けたのも、いつもいつもくっ付いて来るコイツがうっとおしくて海に投げ込んだら、そのまま浮かんでこなかったから引き上げたってのが真実だ。

 また一つ、棺桶まで持って行かなきゃならない秘密が増えちまった。

 それより、辞令って何だ。

 何で俺が【銚房医院の辞令】を受け取らなきゃならないんだよ。


 タヌキ女は気まぐれな奴で「絶対に暇でしょ、これから病院に顔だして」と、明日の予定か勝手に変えやがった。

 どうせ二日間ぶっ続けの宴会だ。

 途中抜け出すのは自由だが、辞令を承諾したつもりはない。

 ただ、ヤブがテコ入れしている病院がどんなものか見ておくのも暇つぶしにはいいだろうと思う。

 何となくだけど、宴会の途中で病院に向かった。


 職員が揃う時間帯なら朝方がいいだろうが、医師に限って言えば、この時間帯でないと会えない人もいる。

 病院に着いたのは早い夕飯が終わった頃で、改修工事の作業員もいない。

 昼間の景色とは一転。

 閑散とした空間は、いつ幽霊が出て来てもおかしくない雰囲気になっている。

 この辺りで背丈の高い建物は、病院か宿屋くらいのものだ。

 改修中の足場には目隠しの墜落防止ネットが張られ、外の景色はあまりよく見えない。

 海が目の前だから、いつもなら良い景色だろう。

 俺は海辺育ちだから、街場の奴等ほど海を見て気持ちが踊るなんて事はない。

 それでも、晴れた日荒れた日、それぞれに表情を変える海は見ていて飽きない。


「いっぺんに紹介するのは無理だからね、とりあえずー病院の大体を知っておいてもらうわね」と、病室に案内してくれた。

 俺に出されていた辞令はERの部長で、一年後の始動に向けて準備中だった。

 部長といっても、スタッフは一人も決まっていない部署らしい。

 これから一年かけて、俺がスタッフを選抜しなければならない事になっている。

 これが第一の難関だ。

 病院の連中は仲間意識がとても強い。

 それがなきゃ、緊急時の対応がちぐはぐになって危なっかしいばかりだ。

 反面、普段はチーム間のつまらない争い事が絶えない。

 そこへもってきて、どこの馬のケツかも分からない医者が新チームを作ると言っても、まともな奴ならついてくるわけがない。

 相手がチンピラなら、二・三発ぶっとばしておまけの蹴り入れて現ナマ拝ませてやればヘコゝついてくる。

 だが、堅気にそれは通用しねえ。

 厄介な役回りだ。


「発足メンバーなんて、紹介する職員の中から選んでいけばいいでしょ」と簡単に言うけど、言うとやるとじゃ大違いだ。

 はなっから無かったけど、俺にやる気なんてものは欠片もない。

 歩きながら話されたって、何を言われているのかまったく解していないのがわかんねえんだから、タヌキ女は盆暗もいいところだ。


 話で覚えているのは「当面は思いどうりにはいかないだろうけどー、それは分かっている事だからね。あせらないでー、じっくり構えて取り組んでいけばいいだけだわよ」だけだ。

 俺みたいな外れ者を部長に置いては、緊急の患者が暇なく飛び込んで来るERなどやっていけないのは分かっているのに「一分一秒が生死を別けるERだからこそ、あんちゃんみたいなのが必要なんだよ」

 世紀末の宗教家と同じ話の持って行き方になっている。


 俺はかまわねえが、上手くいってねえERに命預けますと連れて来られた患者が、踏んだり蹴ったりの治療しかしてもらえないのでは、ことさらそっちの方が気の毒ではないかと思う。

「よう、そんなに俺が偉いなら、他の奴等と同じ宿舎なんてのは嫌だぜ。港屋の特別室を俺の下宿にしろよ」と言ったら「最初からそのつもりだよ」と言いやがる。

 まったく、どれだけ買被ったらそこまで奮発できるのか。

 適当に相手してやって、宴会の後にとっととずらかってやる。

 後は知らぬ存ぜぬでしらばっくれてやろうと思ってはみたが、旅館を下宿にしていいとまで見込まれたんじゃ今になって嫌だとは言いにくい。

 安くたたいても特別室だ、長期の宿泊でも一日一万は取られる。

 一ヵ月の下宿のかかりだけで、三十万も給金をもらう勘定になる。

 その他に給料となる。

 いくら赤字でヒーヒーしているとはいえ、大病院の部長ともなると待遇が違うものだと関心したのは、この時だけだった。

 ずっと先の話に飛ぶが、ERが稼働してからというもの俺は連日の救急漬けで、殆ど宿に泊まれていない。

 タヌキ女はそこまで見越して、簡単に港屋の件を承諾していた。

 見かけだけじゃなくて、頭の中も昔の鼻垂らしガキじゃなくなって悪知恵が働くようになっていた。

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