12.深緑の森
ハンナは窓から差し込む陽の光で目が覚めた。カーテンも閉じずに眠っていたことに気が付き自身に呆れた。直後にズキズキと響く頭痛に気が付き頭を抱えた。
初めての二日酔いというものを噛み締める。一方で、記憶が曖昧ながらも自分のベッドでちゃんと眠っていることに、初めてのお酒としては十分合格だと、自分自身を評価した。
隣にいるものに気づくまでは。
頭を押さえていた右腕を自身のベッドには思い当たらない妙な感触を捕らえた。
それは表面は少し柔らいが内部に芯が通っていて硬さを感じる。そして熱くもなく冷たくもない温もりを感じた。
これはいったい何なのか? 視線を降ろし触れているものを確認した。
その瞬間、自身の体温が上がり、心臓がかつてないほどで脈を打つのを自覚した。
ハンナが触っていた者はワタルのたくましい胸であった。ハンナの横には上半身裸のワタルが寝ていた。
「キィィィヤアアァァァァ」
ハンナは顔を真っ赤にして悲鳴を上げ、ベッドから飛び上がり部屋を飛び出した。
「ば、婆ちゃん……」
お店である一階ではハンナの祖父母が既に店の準備を始めていた。
「ハンナ、どうしたの? 朝から騒々しい」
「な、なんでワタルが私のベッドにいるの?」
「なんでって……うふ」
婆ちゃんはニヤニヤするだけでそれ以上何も言わなかった。ハンナは今度は爺ちゃんの方を見たが、爺ちゃんは「ワタルなら許す、ワタルなら許す」と自分に言い聞かせるように呟いていたので聞くのをやめた。
「ふあー、おはよう」
ハンナとは対照的にゆったりとした様子でワタルが階段を下りてきた。ハンナがさっき見た時とは違い、ちゃんとシャツを着ていた。
「おはよう、ワタル」「おはよう」
とハンナの祖父母はすかさず返したがハンナは
「お、おは、おはよう」
とワタルをまともに見ることもできずしどろもどろに挨拶した。
そんなハンナをワタルは不思議そうな顔で見た。
「ハンナ顔赤いけどどうかしたか?」
「ど、どうもしないわよ」
「そ、そっか、ならいいけど。いやー、それにしても昨日の夜は楽しかったな」
「た、た、楽しかった?」
昨夜の記憶が途中からないハンナをその意味を取り違えるのは無理もなかった。
「うわーーーーー」
溜まらずハンナは家を飛び出した。
「なんだあいつ?」
ワタルの呆れる声はハンナの耳には届いていなかった。
*
ワタルは朝食という名の昼飯を済ますとすぐにヴィーゴ村を出発した。
ヴィーゴ村が竜の谷と最も近い村と言っても、かなりの距離がある。人間がヴィーゴ村を朝に出れば、日が暮れる前に着けばいい方である。
その上、村と谷の間には魔物が溢れ返る深緑の森がある。並みの人間ならば、森を横断することすら不可能である。
ワタルは幼い頃竜の谷とヴィーゴ村を行き来していたが、それは竜がワタルを運んでくれていたからこそできた芸当である。
故に実はワタルは食料の確保のために森に降り立ち、狩猟したり採集することはあったが、森を横断するということは今までなかった。
深緑の森を進み数時間、ワタルは思わず足を止めた。懐かしい記憶が蘇ったからだ。
ワタルにとって深緑の森における最大の思い出はアイレスとの出会いである。ワタルが足を止めたその場所はアイレスの声を聞いた場所である。
アイレスはヒトクイオオワシに捕まった時、言葉が通じるかどうかわからない相手に対しても丁寧に抗議していた。
それがおかしかったのがワタルはよく覚えている。
【申し訳ありません、放していただけないでしょうか?】
アイレスはそんな言葉を繰り返していた。声は少しは大きかったが決してわめきはしなかった。己のみが危険に晒されていたというのに。
「ちょっと、あんた! なんなのよ! 放せ! は・な・せ!!」
そうこんな風には。
ワタルは、ん? と思う。
この声は己の妄想か、はたまた現実か、ワタルはその答えを導き出すために思考を止め、耳を澄ました。
答えはすぐに出た。現実だ。誰かがアイレスのようにヒトクイオオワシに襲われているのだ。
ワタルはすぐに走り出した。声がする方ではなく、記憶を頼りにヒトクイオオワシが獲物を仕留めるための岩場があるヒトクイオオワシの縄張りへと。
ワタルは全力で走った。木が少なくなり、ヒトクイオオワシの縄張りである岩場地帯の全貌を視界に捕らえた時には、既にヒトクイオオワシは捕らえた少女を鋭くとがった岩目掛けて放り投げるところであった。
(やばい、間に合わない)
ワタルはそう思いながらも全力で跳ぶ。しかし、その距離は絶望的であった。
(糞っ)
悔しさと怒りの中、ワタルは背後か物凄い速さで迫る何かを感じた。それは、「カー」と鳴いた。その声をワタルは間違いなく初めて聞いたが、それが何者なのか瞬時に理解した。
背後から迫るそれにワタルは迷いもなく飛び乗った。ワタルは思わず笑みを零す。ワタルが飛び乗ったそれは黒い小型の竜であった。ワタルを乗せた黒い竜はそのままの速さで落とされた少女へと羽ばたいた。
ワタルは手を伸ばし、岩にぶつかる寸でのところで少女の足首を掴んだ。そのまま、一気に黒い竜は二人と一緒に天高くへと上昇した。
「ヒャッハーーーー」
久しぶりのその感覚にワタルは歓喜の雄叫びをあげた。一方で
「イィヤァァァァ」
ワタルに助けられたものの逆さまで、スカートの中が丸見えの少女は悲鳴をあげた。
黒い竜はある程度の高さまでいくと、スピードを落として水平に飛び始めた。ワタルにはすぐに竜がどこに向かってるかわかった。
「サウ爺の所に連れてってくれるのか?」
竜は「カカー」と鳴いた。
「ちょっと、あんたいつまで私をこんな状態にしておく気よ」
ワタルに足首を掴まれたまま放置されていた少女はスカートを手で覆い、今はなんとかスカートの中を隠すことに成功していた。
「悪い悪い、忘れてた」
「なっ、忘れてたって、あんたね!」
ワタルは少女を勢いよく持ち上げ竜の背に跳ね上げた。
「しっかり捕まれよ」
少女はすかさずワタルの腰に手を回してギュッと掴んだ。
「礼を言うわ。助かった、ありがとう」
「礼なら俺じゃなくてこいつに。俺だけだったら無理だった」
ワタルは黒い竜の頭を撫でた。
「……それもそうね、じゃあありがとう黒龍さん」
少女は黒龍の背中を優しく撫でた。
ワタルは意外だなと感じた。
ワタルと同じ年くらいに見えるその少女は肩まで伸ばした薄い紫色の髪を如何にも高そうな髪留めで後ろにまとめ、これまた高そうなドレスを身に纏っていた。ワタルの偏見ではあるが素直に礼を言うような人、いや身分には見えなかった。それ以上にワタルにそう感じさせたのは気の強そうな大きいのに鋭さを感じさせる目だ。優しさを象徴するようなアイレスの垂れた目とは真逆だとも感じた。
「ところで君はなんでこんな森に?」
「フブキ」
「え?」
「私の名前はフブキよ」
フブキは鋭い目でワタルを見た。
「そっか、フブキか、俺はワタルよろしくな」
ワタルの名を聞いた瞬間、フブキの顔色が一変した。
「ワタルって、あのワタル?」
「いや、どのワタルだよ?」
その返しにフブキは露骨に苛立ちを露わにした。
「こんな時にふざけないで! こうして竜の背中に乗ってるんだから間違いないわよね!? あんたはアイレスのお気に入り、ドラゴンアマスター・ワタルね!?」
ワタルは予想外の言葉に思わず目を見開いた。
「アイレスを知ってるのか?」
「よく知ってるわよ。親友だからね。それよりもあんた、なんでこんなところに……なんでアイレスの傍にいないのよ!?」
その言葉はワタルの胸に深く突き刺さった。誰よりもそう感じていたのワタル自身だからだ。
「いや、まあ色々あって……フブキ、お前は何者なんだ」
「アイレスと同じ姫よ」
「姫? アイレス以外の姫? なんだアイレスのお父さんの隠し子か?」
「違うわよ! あー、面倒くさい、とりあえずもっと落ち着いて話せる場所ないの?」
ワタルは前方を見て懐かしむ。
「あるよ、人間に邪魔されずゆっくりできる場所。でもいいのか、フブキも連れて行って?」
一瞬、フブキはワタルの言ってる意味を理解できなったがすぐに理解する。ワタルは今竜と喋っているのだと。
黒龍はワタルの問いに答えるように短く鳴いた。
「そうか、じゃあ行こう竜の谷へ」
ワタルの言葉に呼応するように黒龍は僅かにスピードを上げた。
「ちょっと待って! 森に私の部下たちがいるの、いったん彼らと合流してから……」
黒龍が二度鳴く。
「悪い、なんかサウ爺が急用でフブキ、君を呼んでるらしい」
「なんでそんなことわかるの?」
「……なんとなく黒竜がそう言ってるかなって」
「なんとなくって!」
「それにきっとその部下たちはダメだ」
「ダメって、何が?」
「サウ爺は……竜の谷は、きっとフブキ以外は受け入れない」
フブキはハッとする。ワタルの言い分に心当たりがあったからだ。
「わかったわ、行きましょう、竜の谷に」
フブキの言葉に反応するように黒龍は大きく鳴いた。そして、角度を高くし加速する。
「ちょっと待って! 竜の谷に向かってるのよね? なんでこんな上に飛んでるわけ? 谷なんだから下じゃないの?」
「それは人間たちが勝手に付けた名だろ? 竜の谷は谷と谷の間にある丘の上にあるんだよ。サウ爺曰く、大陸で最も高い場所らしいけど」
「そ、そんなの、丘って言わないでしょ!! ってきゃあああぁぁぁ」
体験したことのない高さへの急上昇にフブキは悲鳴を上げた。
フブキの絶叫は森に取り残された部下たちにまでしっかり届いていた。
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