2.偶然の出会い
イヴリースの城下町は、祭りの様相を呈していた。
ソフィーにとっては不本意ながら。
なぜ不本意かといえば、その祭りの原因がソフィーにあるからである。
第四王子の婚礼の発表を控え、街はお祭りムードなのだ。
理由を考えればげんなりとする祭りではあるが、祭りは祭りだ。
抜け出した一日を楽しむには奇しくも好都合と言えた。
ソフィーは街の様子をながめながらゆっくりと大通りを練り歩いていた。
日が昇るにつれて大通りに連なる店も開き、人通りも活気が出てきた。
ソフィーは人の流れに乗りながら、興味を持った店を次々と見てまわる。
祭りのせいか、店の前に露店を出して商売している店も多かった。
食べ物の店、装飾品の店、変わったところだとヒヨコを売っている店なんかもあった。
ヒヨコはかわいく、ソフィーも欲しかったが、さすがにヒヨコを持って一日過ごすなど不可能であり、ソフィーは泣く泣く諦めた。
時刻は九時、くらいだろうか。ソフィーは時計を持っていないが、体感からだいたいそのくらいだと思われた。
春の朝の爽やかな風が吹いていた。
気温も穏やかで、空模様も雲がすくなく暖かな日差しが差している。
脱走して遊び回るにしては絶好の日和と言えた。
ソフィーは歩きながら、朝食を食べる店を物色している。
お腹はすでにぺこぺこである。
今すぐになにか食べたいところだったが、妥協は許されない。
なぜなら、脱走してからの開幕の一手目だからである。
ここで妥協してはいけない。
お腹が減ってるから適当な店に入って、などとした場合、その店がイマイチだった場合は今日一日なんだかしょんぼりな気分で過ごす羽目になるかもしれない。
逆に、ここで満足の行くものを食べられれば最高の一日へと繋がる基礎が作れるのだ。
ソフィーは目ざとく店に目を通していく。
中に入るような料理店はだめだ。それでは祭りの空気が味わえない気がする。
狙うのは露店。
外でそのまま食べられるようなものがいい。
店の前でそのままかぶりつくのだ。その方がいかにも祭りっぽい。
それに、ソフィーはそんな野蛮な食べ方は今までで一度もしたことない。
そんな食べ方をするのは、いかにも自由であるような感じがした。
ぜひ試してみたい。
そういうわけで、栄えあるソフィーの食事第一号に選ばれたのは、ワッフルの店に決まった。
店の周囲に漂う、ワッフル生地のそこはかとなく甘い香りが決め手になった。
早速店主のおじさんに注文する。
「ここで食べるかい? それとも持ってく?」
「ここで食べます」
「まいど、ちょっと待ってね」
店主のおじさんは、わざわざ新しいものを焼いてくれた。
目の前でいい匂いが広がる。
焼いたあと、砂糖を軽くまぶして、持ち手になる部分に小さな布で包んでくれた。
「はいどうぞ、二十パニーね」
ソフィーはポシェットから財布を出して、硬貨を渡した。
代わりに出来立てほやほやのワッフルを受け取る。本当にいい香りだ。
ソフィーはすぐにワッフルにかじりついた。
口の中にほのかな甘さと生地の素朴な味が広がる。美味しい。
次にソフィーが目をつけたのはお肉の店だった。
普段は店内を使っての料理屋をやっているのかもしれないが、今日は店の前に露店を出して、そこで肉を焼いていた。
焼いた肉を串に刺して売っている店。いかにも男らしく野蛮に見える。
それに匂いも魅力的だった。ワッフルを食べて口の中が甘くなったソフィーはなにかしょっぱいものが食べたかったのだ。
「一本いただけますか?」
「はいよ、五十パニーね」
無愛想な感じのする店主は代金を受け取るなり、肉の刺さった串をわたしてくれた。
串には三つの肉が刺さっていて、どれもいい感じの焦げ目がついていていかにも美味しそうだ。
ソフィーは鼻で大きく息を吸った。匂いが香ばしい。
ソフィーは一番上の肉にかじりついた。
太陽の下で、肉に直接かじりつくというシチュエーションが面白くて、口が自然にほころぶ。
なんだか蛮族にでもなった気分だ。
肉は筋張って硬かったが、味付けが美味しかった。
その上、外で食べているという開放感からか、いつも食べている柔らかい肉よりも味わい深い感じがした。
噛むたびに味の付いた肉汁が口の中に広がる。とても美味しい。
ソフィーはあっという間に一本の串を食べ尽くしてしまった。
最後は、もちろんデザートだ。
果物にするか、それともお菓子にするか、ソフィーは迷ったが、ある一点で目が釘付けになった。
アイスの店である。
氷のお菓子だ。
アイスと言うのは珍しい。ソフィーも何度かは食べたことがあるがそうそう食べられるものではない。
アイスの店の看板には『魔導協会直営』と書いてある。
それを見て、ソフィーはなんだかちょっと情けない気分になる。
魔導協会はソフィーも属している組織で、魔術師ならばほとんどの人間が属しているものだ。
魔術師を統括する組織ではあるが、その運営はいつも火の車らしく、割りとつまらないことにでも魔道具を貸し出したり魔術師を派遣したりすることで有名だ。
これも、その類なのだろう。
魔道具を貸し出しているのか、魔術師が店をやっているかわからないが、氷の魔法を使ってアイスを作りだしているのだろう。
とはいえ。
裏にどんな事情があろうと、アイスはアイスである。
今まさにソフィーが食べたいものだ。
店主は女性だった。
まだ年若い、優しそうなお姉さんだ。
ということは、おそらく魔術師として派遣され、こうして店番を任されているのだろう。
ソフィーは心の中でご苦労さまです、とお姉さんをねぎらった。
「すいません、ひとついただけますか?」
「はい、どのお味にしますか?」
どうやら、複数の味があるらしい。
りんご、ぶどう、ももにミルクまで。
ソフィーは困った。
どれも捨てがたい。
しかし、複数頼んで食べるのはいくらなんでも暴挙が過ぎるという気がした。
メイド長たちを騙して脱走したくせに、おかしなところでソフィーの良心が働いた。
ソフィーは迷い、迷い、迷い、結局ももにした。
「はい、どうぞ」
お姉さんがゆったりとした口調でアイスをわたしてくれた。
ももの果汁を固めたであろうアイスが、木の棒に刺さっている。
ソフィーはアイスに齧りついた。普段ならぺろぺろとゆっくり舐めて消化したかもしれないが、今日のソフィーのテーマのひとつはワイルドである。
口の中に冷たさとほんのりしたももの甘さが広がった。最高だった。
ソフィーの感動が顔に出ていたのか、店主のお姉さんもソフィーを見てにこにこしている。
食べ終わってソフィーが、
「美味しかったです」
と言うと、お姉さんは笑顔で、
「うん、ありがとうね」
と言ってくれた。
残った木の棒をお姉さんに渡してソフィーはアイス屋をあとにした。
お姉さんが手を振って見送ってくれた。
朝一番の食事は、大成功と言えよう。
どれもこれも美味しかったし、なんと、全部外で立ちながら食べたのだ。
お母様が知ったらどんな反応をするだろう、とソフィーは愉快な気分になる。
ソフィーはイヴリース城下町の中心を目指して進む。
人の姿はどんどん数を増していた。
こどもや、どこか浮かれた感じのする人間が多いように思えた。
誰もかれも、祭りを楽しんでいるように見え、町は心地よい陽気さに満ちていた。
さて、これからどうしようか、とソフィーは考える。
最高のスタートは切れたと思う。では次は?
実は、ソフィーはなにも考えていなかった。
小城を抜け出して、なにかする。それは決まっていた。
なにかとはなんですか? ときかれたらソフィーは答えられない。
抜け出すことにはそれなりに綿密な計画を立てたが、いざ成功して抜け出したあとのことは、出ればきっと楽しいことがあるだろう、程度にしか考えていなかったのだ。
だからとりあえず、で町の中心を目指している。
ソフィーは歩きながら、なにか面白そうなものはないか探した。
たぶん、町の中心まで行けば色々なものがあるだろう、そう思って歩いていると、
「ふてぇ野郎だ!! 衛兵に突き出してやるからな!!」
「いや、その、本当に待ってくれ、そんなつもりはなかったんだ!」
道行く先でなにやら揉め事らしい。
ソフィーが声の先に目を移すと、そこは食事ができるスペースになっているようだった。
料理屋の前に、机と椅子が複数出してあって、中で注文をして外で食べるという方式の店らしい。
そこで、男ふたりが揉めているのだ。
ひとりはいかにも強面の、筋肉隆々の職人風の男で、もうひとりの男に対してなにかを怒鳴っていた。
対する男は、ずいぶんと整った顔をした青年で、黒い長髪をうしろで縛ってまとめていた。服装はシンプルな白いシャツと灰色のズボンなのに、やけに垢抜けた印象を抱かせた。
そんな青年は男に対してなにやら弁明している様子であった。
周りの人間は触らぬ神に、といった感じで、遠巻きに見ている人がすこしいるだけだ。
その他の人間はまるでその揉め事が存在していないかのように道を行くだけだった。
なんだか、おもしろそうな気配だ。
自分で言うのもなんだが、ソフィーは天才魔術師である。ちょっとのあらごとにはまったく怯まないし、なんなら返り討ちにできる自信に満ちている。
それに、青年を助けてやりたいと思ったのだ。
必死に弁明している青年は、どうにも悪い人間には見えない。どうせ強面の男がなにか無茶な因縁をつけているのだろう、そう思ったからだ。
ソフィーが堂々とした足取りで近づくと、男たちはなんだなんだとでも言うようにソフィーの側に顔を向けた。
ふたつの視線がソフィーをじっと見つめる。
「いったいどうしたのですか? そんなに大声を出して」
突然のソフィーの出現に、ふたりは態度を決めかねているようであった。
しばしの間をはさみ、青年の方が口を開こうとした。
「いや、実は……」
そう青年がいいかけたところで、強面の男が割り込んだ。
「このお兄ちゃんがおれの飯を勝手に食っちまったんだよ!!」
ん? なんだか、妙な流れだ。
だからソフィーは、
「え?」
としか言う事ができなかった。
「だから同じもんを注文して返してくれって言ったんだ! したら金はないとか抜かしやがる!!」
強面の男は口調こそキツイが、間違ったことを言っているようには思えない。
「えーと、本当にこの方の食事を食べてしまったんですか?」
青年は、頭をかきながらなぜか恥ずかしそうにして、
「いや、まあ、その……」
そう言って完全にクロの反応を見せた。
ソフィーは、困ってしまった。
ソフィーの予定では、いちゃもんをつける強面の男を説得して青年を救ってやるつもりだったのだ。
それこそが正しいと思われる行動を取ろうとしていた。
しかし、この場合の正しい行動というと、強面の男と一緒に青年を衛兵に突き出すことになってしまう。
そんなのはふつうにイヤだった。そんなつもりで話に割り込んだわけではないのだ。
ソフィーは悩み、大きなため息をひとつ。
「わかりました、では食事の弁償は私がします」
「え、いや、嬢ちゃんなにを言い出すんだい?」
「だって、注文し直せば許すという話だったんでしょう? なら私がそれをします」
「いやいやそんなの悪いよ! 僕が……」
「あなたは黙ってて!!」
ソフィーは割り込んでくる青年を一喝して黙らせた。
これ以上面倒なことにしないでほしい。
強面の男はしばらく黙って考えている様子であった。
それから口を開き、
「わかったよ、嬢ちゃんがそこまで言うならそのお兄ちゃんは許そう、早く行っちまいな」
「いえ、しっかり弁償させていただきます。寛大なお答えに感謝します」
そう言って、ソフィーは一セリング硬貨を出して男のテーブルに置いた。
「いや嬢ちゃん! ほんとにいいって!」
「お受け取りください! さあ行きますよ」
ソフィーは青年の手をとって引っ張るように連れて行った。
青年は、
「ちょっ、うわ」
となんだか情けない声を出しながらソフィーに引っ張られて歩きだす。
かなり早足でソフィーはずんずんと進む。
その間も青年の手は離さず、ひたすら無言で青年を引っ張り続けた。
十分な距離が開いたと思ったところで左に曲がり、人通りの少ないところまできてようやく立ち止まって青年を解放する。
「はあ……」
開幕に、ソフィーは大きなため息をついた。
「いったいどういうつもりなの?」
青年は、爛々と目を輝かせてソフィーを見ていた。その顔には、困っていたときの様子はもう残り香すら感じさせない。
青年は愉快そうに笑って、
「いやぁ! 助かったよ! 本当に衛兵に突き出されるかと思った!」
「思った! じゃないです。なんでそんなことしたの? あなたは泥棒?」
「ぼくが泥棒だって!? そんなまさか」
「じゃあなぜ?」
「いや、食べていいのかと思ったんだよ。誰もいなくて料理だけあったし。お腹が減っていたからちょうどいいやって思って食べてたら、どうやらあの人のものだったみたいなんだ」
みたいなんだって。
ソフィーは呆れ気味に青年を見る。青年はまったく悪びれずに晴れやかな笑顔を浮かべているだけであった。
「ぼくは、そうだな、レオだ。本当に助かったよ」
そう言いながら、レオと名乗った青年は手を差し出してきた。
ソフィーは、握手を交わすか迷った。
ずいぶんと調子のいいやつだ、と思う。
ただ、青年の邪気のない笑顔は、それ単体で見ればとても魅力的なものに見えた。
ソフィーは結局その笑顔にやられ、握手を交わした。
「わたしは……」
ソフィーは名乗ろうと思って思いとどまった。
ソフィー・ルダリーアと名乗ったら、第四王子の結婚相手がなぜこのような場所にいるのか、という事態になりかねないと思ったのだ。
名前くらいと年齢くらいは一般市民にも伝わっているはずだ。
ソフィーは咄嗟に適当な名前をひねり出し、
「リリィよ。あなたが牢屋に入らなくて嬉しいわ」
皮肉を込めていった。
それでもレオは楽しそうに笑い、
「そうだね、このお礼はきっとするよ。リリィはここらへんに住んでいるの?」
「いえ? どうして?」
「今日一日、空いてたりしない?」
「空いて……なくもないけど……どうして?」
それを聞いたレオの顔がパッと輝く。
「じゃあ、僕がお礼に今日一日イブリースを案内するというのはどうかな?」
もしかして、レオは自分をナンパしているのだろうか、とソフィーは訝しんだ。
レオを見ても、なにを企んでいるのかまったくわからない。
その爽やかな笑顔の裏にはなにが潜んでいるのかわからず、別になにも潜んでいないのでは、という気がした。
なんだか、変な男、というのがソフィーの抱いた第一印象だ。
助けてもらっても、どこかそれが当たり前だと思っているような雰囲気。
そして、それを本当に当たり前にしてしまいそうな爽やかな笑顔。
ソフィーは、そんなレオがなぜか気になった。
この青年と一日を過ごすのは、なかなか面白そうだと予感させたのだ。
「じゃあ、お願いしようかしら?」
「やった!!」
そう言ってレオは本当に嬉しそうにしているように見えた。
その姿が、ソフィーにはちょっと意外に思えた。