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1.一日の始まり


 それならいっそ、自殺でもしてしまおうか。

 ソフィーは一瞬、そこまで考える。

 

 夜。

 イヴリースでの滞在用に用意された建物はこれ以上ないほど豪奢だった。

 小城とも言えるその建物は、西地区の小高い場所に建っているのもあって、バルコニーから見えるイヴリースの街並みは絶景だった。


 イヴリースの城下町は、本当に広い。大陸一の巨大都市と言われるだけはある。

 見下ろす夜の街並は、点々とついている家々の明かりが、まるでなにかの精霊でも漂っているように見えた。

 天気は良く、綺麗な三日月が良く見える。星々もそれに負けじと輝き、ソフィーの目に映るのは、誰もが癒やされる美しい夜景だった。


 そんな美しい夜景とは対照的に、ソフィーの頭の中は、絶望色に染まっていた。

 なぜなら、明日が最後の一日だからである。

 ソフィーが自分の意思で生きていられる最後の一日。

 わずか十六年で、ソフィーの人生は終わってしまうのだ。


 なにも死ぬわけではない。それは違う。

 たぶん豪華で何不自由ない生活が保証されているはずだ。

 ただ、それは単に物質的な話で、精神的には死んだも同然の生活を送ることになるだろう。


 政略結婚だ。

 祖父が決めた結婚。

 イヴリース王家第四王子、デューク・イヴリース殿下との結婚だ。


 名誉なことなのだろうと思う。

 光栄なことなのだろうと思う。


 それでも、ソフィーにとっては死刑宣告も同然だった。

 なにせ、相手の顔も知らないのだ。

 魔術の名家であるルダリーア家の女として生まれた以上、好きな相手と結婚できるとは思っていなかった。

 それでも、望まぬ結婚を割り切れるほど、ソフィーは強くも達観してもいなかった。


 できれば自分で望んだ相手と、その考えは、常にソフィーの根底にあったのだ。


 仮に、王子の側がソフィーを気に入ってくれて、それで結婚を申し込まれたというのならばまだいいかもしれない。

 けれど、ソフィーのする結婚はそれですらないのだ。

 魔術の血を王家が取り入れるため、それだけだ。

 王子だって、ソフィーの顔も性格もなにも知らないのだ。


 そんな相手と、これから生涯暮らしていかなければならない。

 敷かれた絨毯を歩くだけの人生。

 考えただけでも死にたくなってくる。


 ソフィーが今いるのは、王家側がソフィーたちの滞在のために用意してくれた建物だ。

 ソフィーはその一番上の階にあるバルコニーにいる。

 高さは普通の家で言えば四階以上の高さがあり、仮にそこから飛び降りれば、天国を見るのは簡単だろう。


 ソフィーはしばらく、夜の城下町をながめながら真剣に考えた。

 ソフィーに残されたのは、肉体的な死か、精神的な死かしかないのかもしれない。

 まるで、死刑囚のような気分だった。


 いや、あるいは死刑囚の方がマシかもしれない。

 死刑囚は、刑が執行される最終日は、望む食べ物が与えられるという話を聞いたことがある。

 ソフィーには、それすらないのだから。


 まさか本当に飛び降りようとは思わないが、ソフィーがそれくらい思い悩んでいたのは本当だ。

 もしここで本当に自殺などしたら、家族を悲しませ、その上ルダリーアの家名に泥を塗ることになるのだから。

 ソフィーは家族が大好きだ。祖父も、父も、母も。

 だから、家族を恨んでいるわけではない。これは、ルダリーア家に生まれた運命なのだ。


 ただ、ソフィーは夜の街並みをながめていて、あることを思いついてしまった。

 死刑囚だって、最後の一日は好きなものを食べさせてもらえるのだ。

 なら、ソフィーがそれと同じようなことをしてはいけないという理由はなにもない。


 ひらめきがソフィーの中でたしかな計画になるまでそれほどはかからなかった。


 ソフィーはこの小城を抜け出してやろうと決めた。

 明日は朝一番で抜け出して、一日好き放題遊んでやるのだ。

 これからのことを考えれば、それくらいの権利は当然あるはずだった。


 ソフィーはなんだかわくわくしてきた。

 言っちゃあなんだが、ソフィーは筋金入りの箱入りお嬢様である。

 ひとりで街を歩くなど一度たりともしたことはないし、そもそも街を好きなようにぶらついたことすらない。

 ひとりで気の赴くままに街を遊び歩くなど、今まで考えたこともなかった。


 ソフィーは作戦を立て始める。

 さきほどまでの陰鬱な表情はすでにどこかに行ってしまって、その顔に浮かぶのはとてつもないイタズラを思いついた子供のそれだ。


 ソフィーは、家を裏切るつもりは毛頭なかったが、完全に言いなりになるつもりもなかった。

 最後の最後に、一発入れてやるのだ。

 自分の生まれに、運命に対して。

 死刑囚ですら持っている権利ならば、ソフィーだって当然やっていいはずなのだ。


 だから、決めた。


 ソフィーは、明日一日、隠れて抜け出して好き放題遊んでやろうと決めたのだ。



***


 

 早朝、ようやく日が昇り始めたような時間をソフィーは狙った。

 昨晩のうちに準備は全部済ませた。

 服はメイドの私服を拝借した。なんの変哲もないワンピースだが、ソフィーはそれをなかなか気に入った。

 メイドには心の中で、一日だけだから! と謝っておく。


 小城の中はひっそりと静まり返っていた。

 下の階の使用人たちはもう起きているかもしれないが、ソフィーがいる三階には人の気配はなにもなかった。

 

 起こさないで、と言ってある。

 昨日の夜、寝る前に挨拶に来たメイド長に、


「最後の一日なんだから、朝はゆっくりと寝かせて。それに、なんだかちょっと体調が悪いの。もしかしたら緊張してるのかも」


 と言っておいた。

 真っ赤な嘘である。


 これでしばらくは時間が稼げるはずだった。

 少なくとも、メイド長が異変に気付いてソフィーを起こしに来る頃には、ソフィーはもうとっくに街の中心である。

 ソフィーは三人用としか思えない巨大なベッドの上にクッションをいくつか置き、その上に布団をかぶせて膨らみを作っておく。

 これはバレないための措置というよりも、半分は冗談だ。

 布団を剥ぎ取った時のメイド長の顔を思い浮かべてソフィーはクスリと笑う。


 部屋を出て、城の裏手側の窓に近づき、下の様子を伺う。

 小城の周りは庭になっていて、裏手側には誰もいないようだった。

 朝早いだけあって、庭師などもまだ活動していないらしい。

 

 ソフィーの目論見通りだった。

 もう一度、周囲を確認、誰もいない。

 ソフィーは廊下を歩いて、裏手側にあるバルコニーまで出た。


 下に人の気配はまったくなかった。完璧だ。


 ソフィーは魔法を使い体重を感じさせない動きで跳び上がり、胸元まで高さのある胸壁へと登った。

 ワンピースの裾が空気を孕んでふわりと膨らむ。


 城の裏側は、あまり面白いものがなかった。

 ソフィーの部屋のバルコニーから見える光景と違って、街ではなく、すこしの家とイヴリースを守る城壁が見えるだけだ。


 高さは、普通の家からすれば四階ほどの高さがある。

 落ちれば、まず間違いなく天国が見える。


 ソフィーは、そんな高さから眼下の庭を目にして、笑った。

 ソフィーはワンピースの裾を抑え、そこから飛んだ。


 文字通り、飛んだ。


 ソフィーはまるで綿毛のように、ゆっくりと宙を舞った。

 たっぷり十秒はかけてソフィーは降りてゆき、なんの音もなく庭に着地した。

 ソフィーをナメてはいけない。

 ソフィーは魔術の大家として名を馳せた、ルダリーア家のひとり娘である。

 第四王子との結婚契約が十六年を経て未だに有効なのも、ソフィーが魔術師としての才能を発揮し続けているからだ。

 そんなソフィーに、こんな程度の高さは楽勝なのだった。


 周囲に人がいないのを確認して、ソフィーは足早に駆ける。

 正面には回らず、裏の家々がある方面まで向かう。

 城壁近くではあるが、石造りの家がいくつも並んでいる。

 早朝だけあって、人通りはほぼないと言っていい。

 人の気配が見えたのは井戸の近くだけだった。 


 ソフィーはわざわざ城壁近くまで行って、そこから大通りへと向かった。

 しばらく進むと、大通りが見えた。

 城下町を四つに分割するように十字に走っている通りの一つだ。


 ここまで来ると、人の姿が多く見えた。

 その多くが仕事に出かける人間のようで、その装いは様々だった。

 ソフィーはそんな人の姿を見て、その人がなんの職に就いているのか想像して楽しんだ。


 大通りに出ると、朝日が眩しかった。

 大通りに出れば中央の広場が見えるかも、と思ったのだが、イヴリースの城下町は広すぎて、端からでは中心などとても見えなかった。


 脱出は、驚くほど簡単に成功した。

 ソフィーは大通りを歩き始める。

 今日一日の自由に胸を踊らせて。


 周囲の人間に交じってひとりで歩いているだけで、冒険の気配がした。

 根拠もなしにとてつもなく楽しい一日が始まる気がした。


 ソフィーは大手を振ってイヴリースの大通りをひとりで歩いている。


 ソフィーは自由だった。


 政略結婚までの、最後の一日はこうして始まった。

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