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世界のために死んでくれ  作者: 影冬樹
第一章 彼らは襲撃を挨拶と言う。
4/5

 そのまま時間を浪費していると、一瞬にして時が過ぎた。少し暗いと感じていた外はもう寒そうなほどの暗闇に覆われていた。郁は溜め息をして、立ち上がった。そして、二階に上がって洗濯物を取り込んだ。取り込むのが遅いと洗濯物が冷たくなり、今度はカメムシがつくこともあった。なので、早く取り込まないといけない。だが、それが面倒なので郁はよく後回しにしていた。一階に降りるとそのまま食器洗い機の中に入っている綺麗な食器を綺麗にしてから、昼食に使用した弁当の箸ケースを洗った。油汚れが少ない時は弁当を郁が洗うことも出来たが、それ以外の時は逆に汚れがまだついている時が多かった。なので、箸だけを洗うことで済んだ。これをしっかりやらなければ、明日の昼食を作らないとよく親から言われていた。そして、仕事疲れの親を更に疲れさせないために、郁は自ら出来ることは行うことにした。流石にお金を稼ぐということはまだ出来なかった。

 郁自身もバイトに出かけるのは、まだ怖かった。社会経験は必要と言われるが、それでもまだやりたくはなかった。色々知らない世界ほど、怖い物はないのだった。それについては親も賛成をしてくれていた。今は学業に専念する時期でもあるので、郁は別のことを集中したくなかった。ここで転けて仕舞えば、その影響が大きく響きそうだった。

 洗った食器を乾かしながら、郁は次にすることを思い出した。ついつい忙しい時はこれを後回しにしそうだった。それが夕飯の米の準備をすることだった。炊飯器に必要な量の米を入れると、次はその量にいる水を入れた。そして、勢いよく炊飯器の「スタート」のボタンを押した。機械音がして、炊飯器が稼働する音が聞こえた。それだけでも、郁は米が炊くのが楽しみに感じられた。

 やっとやるべきことを終えた郁は一息つくために、また椅子に座った。そして、そのまま背中を背もたれにもたれさせた。目頭を片手で押さえながら、郁は溜め息をついた。もう今日は何度も溜め息をしていた。親が帰ってくるまで特に話せる人は誰もいない。なので、溜め息ぐらいしか出来なかった。

 ふと机の上の携帯を手に取った。友達と繋がっているチャットのアプリを見た。だが、誰からも連絡はきていなかった。特に学校についての連絡もなく、学校のメールの方も何もなかった。何もないその平和な様子から、郁は今日あったことが全て嘘であるように感じた。全て実は嘘でした、と誰かに言われても何もおかしくないと思えるのだった。

 だが、それが否定される要素が目前にあった。あの男から渡された手紙。それが自らの存在を強調するように机の上に置かれていた。いや、郁が置いたのだった。他の場所に置くことも出来ないので、結局そこに置くことになった。そして、郁自身が感じた痛み。それが嘘ではないと、郁自身が知っていた。あの痛みが嘘であるはずがないのだった。

 幾ら否定するとしても、現実は現実である。なら、わざわざ事実である物を郁は否定するつもりはなかった。臭い物に蓋をすることが出来る。だが、それはどの道見なければいけない物であるのだった。

 郵便ボックスが開けられる音がして、郁は姿勢を元に戻した。その音は仕事から帰ってきた母親が帰ってきたサインだった。そして、すぐに扉が開けられる音と共に玄関の明かりが見えた。優秀な自動点灯の玄関ライトは母親の動きに反応したのだった。

「ただいま」

 と、郁が聞き覚えのある母親の声がした。

 そこには仕事疲れの様子が響いていた。元気そうではなく、少し怠そうに言う。だが、郁のために言っていたのだった。

 意を決した郁は椅子から立ち上がり、そのまま玄関とリビングの境にある扉を開いた。

「おかえり」

 と、返事をした。

 郁が意識していた訳ではないが、知らない内にその顔は微笑を浮かべていた。郁は無関係である母親を更に困らせることはしたくなかった。だから、嘘でも良いからその顔をするのだった。

 靴を脱いでいた母親が顔を上げた。その顔は郁を見て、安心した様子だった。だが、すぐに何かを心配する顔をしていた。

「どうしたの、郁? 何か今日は窶れているように見えるよ…」

 母親に指摘されて郁はどきりとした。自分では表情には映らないようにしているはずだった。だが、それでは十分隠せていないようだった。

「そう、母さん? 特に何もないよ。まぁ。疲れているのは、色々あったからかもしれない」

 と、軽くはぐらかした。

 郁の言葉に母親は納得したような顔をした。

「分かったよ。子供は思春期とかがあるからね。でも、何か困ったら相談してね。母さんはいつまでも郁の助けになるから」

 母親は郁に力強い視線を向けた。それに郁は軽く頷いた。だが、心の底では理解していた。母親に相談出来るはずがなかった。もしするとしても、どのように述べればいいのかが分からなかった。実は今日に二度も死ぬ経験をしたんだ、母さん。と、言った所で何変な夢を見ているの、と言われそうである。もし、真剣に受け止められたとしても、下手をすれば精神科に連れて行かれそうだった。だから、郁はそこの常識はしっかりと理解していた。そして、もし母親がこの件に巻き込まれたりするのは絶対に嫌だった。もし、これで知り合いの誰かが死んだりすれば、郁は自分が死ぬだけでは許せない気がした。

「うん。分かった。その時が来たら、相談するよ…」

 ただ、その時は一生来ないと思う、と郁は心の中で続けた。

 そのまま、母親の鞄を持つと郁は言った。

「それで、今日の仕事はどうだったの?」

 と、自らそれ以上の話題は遮断した。

 本当にそれが正しいのだった。

 郁は心からの平和を望んでいた。そこには母親も入っていた。そして、家族、知人も全てだった。


 *


 結局、郁が夕食を食べる時間は普段通りの八時二十分辺りだった。そして、食べ終わるのが大体九時。それから一段落して風呂や歯磨きを終わらした頃には十時半に到達しそうだった。そのまま郁は食事中も母親には何も明かさずに終わった。郁自身の決意は硬く、母親を楽しませるために重しそうな話題だけを振っていた。特に学校では楽しいことは起きなかったので、大体がニュースから引用したことが多かった。そして、食べ終わると九時のニュースを見ながら、少しだけ肩を叩いた。唯一母親を癒す方法はそれぐらいしかなかった。だから、郁は時間がある時はそれをしていた。そして、母親に何か異変を感じさせないためにも、極力普段通りに生活するように心がけていた。だが、何かに焦っているようで普段よりかはテキパキと寝る準備を進めていた。その理由を郁は良く理解していた。

「おやすみ」

 と、郁は母親に告げた。

 すると、母親は懐かしそうな視線を郁に向けた。

「珍しいじゃない、郁がそんな寝る挨拶をするとは…」

「そう、母さん? たまにはそのようなことも言いたくなるんだよ」

「そう…」

 と、母親は呟いた。

 そして、郁を見直すと優しい笑顔を向けた。

「おやすみ、郁。良い夢を」

「ありがとう」

 と、郁は小さく呟いた。

 二階に上がる時郁は何気なく置いていた自分宛ての手紙と携帯を手に取った。そして、そのまま階段を上がった。郁は階段の途中で目を閉じて深呼吸をしてから、また歩き出した。階段を上り切ると、一番階段から近い部屋に入った。そこが郁専用の個室だった。机とベッドと普通の部屋だったが、郁は本棚を一番大切にしていた。寝る時だけ使うので、部屋は何とも綺麗そうに見えた。ただ余り使わないだけだからだった。そのため、何かを動かせばたちまち埃が動いて、郁は痒く感じるのだった。

 郁は部屋に入ると、ベッドサイドのテーブルに手紙を置いた。そして、そのままベッドで寝転がった。一度目を閉じてみる。だが、今日は普段より時計の針の動く音が耳に響いていた。郁も理解していた。このような時に眠れるはずがないのだった。

 目を開けてベッドサイドの明かりをつけた。時計を見れば、十時四十分。まだ十一時十一秒になるまでは、三十一分と数秒が必要だった。だが、この機会は郁を逃すはすがなかった。もし、今日この手紙に書かれていたアナザー・ワールドに行けば知りたいことが知れるかもしれない。すぐに知れるのに行かないという焦ったいことは考えるまでもない。と、郁は布団から体を起こして、手紙を手に取った。

 再度、眠たい頭で手紙を読んだ。やはり、と郁は腹を決めた。この絶好のチャンスを郁は逃すことは出来なかった。何があっても、この扉が開く時間まで起きなければならないのだった。郁は携帯を開いた。寝る前に携帯を見れば寝にくくなると言われていた。だが、どの道今は眠らないのなら、郁は良いと思った。今はそれよりもすることがあった。

 携帯の時計を開くと、丁寧に秒針も映されていた。現代時刻は、十時五十分二十五秒。まだ、時間は余っていた。郁は眠りを覚ますために携帯でネット上を調べることにした。ます、「門」という単語で何かを調べた。だが、予想通り何も探したいものは出てきなかった。郁はすぐに調べる単語が違うことに気づいた。何か分かりやすい単語を調べる必要があった。次に一番ヒットしそうな「アナザー・ワールド」を検索バーに入れた。答えは一秒もしない内に示された。最近の機器は万能だ、と郁は思った。それより古いのは何か知らなかったけど。

 表れた結果を見ると、店や映画、曲の名前がヒットした。これではない、と郁は嘆いた。やっぱり、ことがことではあるので表社会に何かサインを出す訳がないか、と気づいた。だが、ネットの裏など知らない郁は調べようがなかった。本日何度目かもう分からない溜め息をつきながら、郁はベッドの上を転がった。下から鍵を開ける音がした。そして、今度は違う人の声が聞こえた。母親が嬉しそうに話している。それで郁は父親が帰ってきたと気づいた。

 だが、すぐに時間のことを思い出して、郁は携帯を見た。画面を動かすことで表紙に文字が見える。時間は、十一時ぴったり。郁はふと十一時になった時に何かが変わったように感じた。視線を手紙に映すと、手紙が発光した。仄かな青色に照らされていて、郁は目を奪われた。ベッドサイドの小さなランプがついているとしても、その明かりは何とも言葉に表せれないものだった。

 それを見つめながら、郁は思った。これほどまでも光るのなら、誰かにばれないのか、と。そう思ってしまうほどだった。

「おい、郁。寝てるか?」

 と、階段から父親の声が聞こえた。

 ばれると思った郁は急いで、ベッドサイドの明かりを消してから布団に隠れた。そして、隠れてから手紙を直していないことに気づいた。布団の間から手紙の青い光がほんのり見えていた。だが、もう足音がそこまで来ていた。スリッパを履いている足音は階段を上る時に何よりも目立っていた。

 足音が止まる。父親はもう郁の部屋の前まで来たようだった。

「ん? 気のせいか…」

 と、父親はまた階段を降りて行った。

 郁は布団の中でふと違和感を感じた。父親が勘が鋭いとは知っていた。だから、郁も同じように鋭い勘を持っていた。なのに、その父親は手紙や青い光に気づかずに下りて行った。あたかも見えていないように。

 そのように考えていた郁ははっとした。このように考えているだけで時間が過ぎていることがあるのだった。携帯を見れば、十一時九分を切ろうとしていた。夜の眠い時は予想以上に時間が瞬く間に過ぎるのだった。姿勢を動かして、手紙を見ると更に光っていた。アナザー・ワールドに行きたい人が時間を間違えないように、しっかりとした仕掛けがあるようだった。郁はもうその仕組みを知ろうとは思わなかった。今はそれよりもアナザー・ワールドに本当に行けるかが心配だった。

 十一時十分丁度。何か声が脳内で聞こえた。

『手を招待状にかざして下さい』

 という若い人の声だった。

 ベッドから這い出ると、郁は手紙に手を置いた。

 すると、体全体が青い光を覆い、また若い声が聞こえた。二度目では、しっかりと男性のような声だった。しかし、機械音声のようでもあり、余り優しさは感じられなかった。

『伊佐郁、本人であることを確認しました。ようこそ、アナザー・ワールドへ。我々は貴方を歓迎します』

 と、そこで郁の意識は消えた。

 果たして、死んだか生きていたのか、郁には確かめようがなかった。いきなり意識がブラックアウトしたからだった。何かを感じることも出来ないまま。


 *


 自分の中で何かが消えたように感じた、郁の父親は急いで階段を駆け上った。後ろでは母親が何か心配そうな視線で父親の背中を見つめていた。

「郁っ」

 と、階段を上り終わった父親は郁の部屋を見た。

 すると、そこはもぬけの殻だった。郁がそのまま蒸発したようにいなくなっていた。ベッドの様子からは先程まで寝ていたと良く分かった。だが、本人はいなかった。

 父親は再度何とか郁を見つけようと、部屋中を探ったがどこにもいなかった。窓が開けられた形跡もない。なのに、郁がいない。

 震えそうな心を抑えながら、父親は急いで下に下りた。何事かと、母親が不安そうな顔をした。父親は何とか母親に言った。

「郁がいない…」

 母親は何を返すべきか分からなかった。だが、一つ思い出した。郁が何かに追い詰められている、あの顔を。家に帰って来た時から、郁はそのような顔をしていた。なのに、自分は何もしてあげることが出来なかった。ただ思春期の問題だろうと片づけてしまった、自分を悔やむことしか出来なかった。

 階段の方を見ると今にも、郁が下りて来そうな雰囲気があった。だが、それはないのだった。

 郁は消えた。誰もどこに行ったのか分からなかった。

 母親に父親に近づいて、涙した。

 それだけで何かが良くなる訳ではなかった。だが、それをするぐらいしか今は出来なかった。

 もし、郁が朝までに帰って来ないのなら、届けを出そうと考えた。しかし、何から手をつけたらいいのか、二人ともまだ分からなかった。

 そして、二人はまた近い頃に郁と別の形で再会することになるのだった。ただ、それがいつかはまだどちらも分からないのだった。

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