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世界のために死んでくれ  作者: 影冬樹
プロローグ 彼らは世界のために死んでくれと言う。
1/5

 目下には静かな世界が広がる。誰か分からない人が交差点を渡り、車が通り過ぎる。黒色の車にはタクシーを示すランプが多くついている。一人で何気なく歩いている人もいれば、親子で楽しそうに歩いてる人もいる。公園で腰を下ろしている人も、走っている人もいた。ただ、ふと見れば沢山の人が機械を使用している。それが、イヤーレスイヤフォンである場合も、携帯である場合もあった。だが、それが何気なく手や時計型として腕に収められていた。大抵の人が下を眺めている。誰も遠い空など気にしている様子はない。

 その空は太陽が照っていた。曇りといえる曇りは見当たらず、晴天といえる青い空がどこまでも続いていた。遠い地平線まで、終わりがないようだった。モーター音がすると思えば、空には飛行物体があった。飛行機やヘリコプターなどで、UFOなどの未確認飛行物体はない。

 と、いうものの目下を見ていた人も同じように下を眺めていた。上を見るだけなら、下のことを知ることは出来ない。何かの神か超能力者でない限りは。

 高校の屋上で、伊佐郁は顔に当たる風を楽しんでいた。少し長い髪が自然と風に靡いている。昼休みの一番の楽しみといえば、その屋上だった。郁は図書館も気を休める場所だったが、何もかも忘れてリラックスしたい時は屋上が一番だった。誰もが訪れる場所ではない。なので、一人でいたい時には最適だった。

 何も郁は鳥のようになりたい訳ではなかった。人はあのような翼を持っている訳でもなく、そこまでのファンタジーを信じてはいなかった。だが、人混みには疲れる時が少々あった。誰もが同じように笑い、同じような声と目をしている。それだけでも、吐き気がするような日々だった。

 郁には親友も相談出来る家族や、教員もいた。しかし、それは本当に少ないのだった。一度その共有空間である学校。そして、クラスが耐えれなくなると中々以前のように仲間入りするのは大変だった。郁は特に嫌われている訳でもなかった。だが、また誰かの視線に晒されるかもしれないと考えれば、勇気は湧いてこないのだった。そこまでする労力を考えると、しない方がいい。

 それが郁の中での方程式だった。

 郁にはまだ一人の友達から言われた言葉が、まだ耳から離れなかった。

「…それは逃げているだけだよ」

 最初、それを言われた時は、もう見捨てられたのだと郁は思った。何も理解されずに、一方的に言われて嬉しいことはなかった。郁としても、何も逃げたい訳ではなかった。逃げいているつもりもなかった。ただ授業が終わってから、放課後になればもうそれ以上学校にい続けることは出来なかった。

 友達が嫌、クラスメイトが嫌という訳ではなかった。ただ体が疲れる。その空間にい続けることさえ、嫌に感じるのだった。誰も悪いのではなかった。誰も嫌味はいわず、誰もが郁を受け入れようとしてくれていた。ただ郁自身がまだその空間に立ち入りたくなかった。

 また景色を眺めながら、郁は溜め息をついた。それをしても、何かが変わる訳でもない。逆に幸せが逃げるよ、と誰かに言われたことを思い出すのだった。だが、実際にそうであったとしても、それをしない理由にはならなかった。人が無性に貧乏ゆすりをしたくなるように、何も理由がなくてもしたいことがある。それが溜め息だった。しても、誰も幸せにはならない。だが、することによって多少は気持ちが変わるのだった。誰にも危害を加えることなく、自分が良くなるのならそれでいいと思った。

 自分自身が疲れている、とよく感じることが出来る。自分の状況をよく知ることが出来る。それでも、しないよりかは意味があるのだった。もし幸せが逃げるとしても、今を乗り越えれないのなら、意味がないのだった。だから、郁は溜め息をするのだった。

 下を見ても、先程から景色は何も変わらない。いや、通り過ぎる人や車は必ず変わっているはずだった。だが、それには何の意味もないのだった。それを知った所で通り過ぎる人数を数えれるだけである。特に郁は何かの調査をしている訳でもないのだった。永遠と太陽が下界を照らしそうだった。そして、雲がいつまでも何かから逃げ回るようだった。

 郁は一歩近づくと、フェンスに手をかけた。ひんやりとして、人らしい温かさはない。それは当然だった。逆にそれが温かいのなら、きっと誰もが驚く。先程まで誰かがいない限り、それは本当の怪奇現象である。フェンスは物質である。つまり、温もりはない。それが人の感情を感じることも感じさせることもないのだった。

 軽く力を入れてみた。そして、手を離す。フェンスはバネのように元の位置に戻った。隣のフェンスと連動して、大きな衝撃音を立てながら。郁の手の力だけではそれを壊せる気配さえなかった。

 郁は軽く背伸びをしてから、フェンスに体を傾けた。背中に当たる涼しげな風と、温かい日光が郁を眠りの世界へと誘いそうだった。郁は少し眠いと思いながらも、欠伸を噛み締めた。だが、皮肉にも郁はいつまで経っても眠りの世界へと飛び立てることは出来なかった。学校にいる間は眠くならないという無駄な体質が、郁の眠りを妨害していた。だから、授業で気持ち良さそうに眠っている生徒がいると本当に羨ましく感じられる。寝たいと思っても、寝れない。郁はふと、日向ぼっこをしている野良猫を頭で想像していた。それになったら、どれほど良いかと考えてしまう。

 だが、すぐに現実的なことを考えてしまうのだった。例えば、野良猫の方が飼い猫より交通事故などの死亡率が高い。ご飯は自力で狩る必要がある。なので、野良猫になるのは非効率的で今の暮らしより幸せとは言えない。と、目が覚めている頭が考えるのだった。それだけでも、郁は自分自身に折角の眠りの誘いを潰された。

 もう郁は溜め息しか出ないのだった。こんな頭を持っているから、読書などもっと大変なのだった。何か矛盾があればどうしても指摘したくなる。そして、それがファンタジーになるとその思いは何とも大きくなった。だが、最近はその理性の脳を抑え込んで読書をすることも可能になった。ただ欠点としてはただの読書より、余計に体力がいるので余り長続きがしないのだった。そして、郁が思いついた最善な方法が速読だった。これで、今の郁は大切な読書する時間を自分でまた潰すようなこととなった。

 この何とも硬い自分の頭に、郁は利点を見つけることはまだ出来なかった。色々指摘したいと思ったとしても、それをいわれて嬉しい人はいない。だから、毎回何かを思ってもそれを郁の脳内を一周すると、どこかに消えた。その消化不良な状況は良いものではなかった。最初は親にも色々いっていたが、何度もいう内に余り好かれていないと感じた。話す時に親の顔を見れば、嫌がっている感情が滲み出ていた。だから、その対処方法として、郁は口を閉じることとした。

 郁自身が誰かを邪魔しなければ、誰かの邪魔にもならない。幸せにしていなければ、誰かが自分を恨むこともない。誰かに嫌われることもない。そして、その逆で誰かに好かれることもないのだった。だが、郁はそれでよかった。仲間が増えるとしても、それはそれで大変であると考えていた。裏切られたり、陰口をいわれたりするかもしれない。仲間が裏切ることほど、一番精神的に辛いことはないと思っていた。なら、初めから本当に信用出来る人だけを仲間とすればいいのだった。何故なら、ここで幾ら仲良くしたとしても、十年後、二十年後で再会出来る人はほんの数パーセントであるのだった。

 だから、郁は自分の生き方に何も感じなかった。何も悲しさも嘆きも何もなかった。丁度、思春期も被り、今の郁は以前より更に何も感じなくなっていた。そして、次第に誰からどう思われようとどうでもよいと感じた。その人の一人の意見が果たして、自分にどこまで影響するのか。そう考えた時にその可能性は本当に少しだった。ただの高校生の同級生が郁自身の人生をめちゃくちゃにする可能性も低かった。なら、その些細な意見を参考にする方が意味がないのだった。

 だとしても、郁はしっかり年上の人の話には耳を傾けていた。自分よりも長く生きたということは、自分自身よりも長い人生経験があるということだった。それがしょうもないことであるとしても、きっと何かはしたのだった。その人が今そこにいるということだけでも、必ず何かの壁とはきっとぶつかっているからだった。だが、郁としてもしっかりいいたいことはいうようにしていた。全ての人の意見が正しいと思っていれば、その人が間違えた時に自分自身がどうしようも出来ないからだった。だから、参考に出来る意見だけは聞き入れることにしていた。

 楽しくもない、自分の思考に浸っていた郁は目を開けた。それだけでも一気に考えることから解放さえた気がした。自然はただそこにある。何も語らずにそこにある。だから、郁はそこが好きだった。

 郁は頭もフェンスに傾けると、また目を閉じた。今なら静かな世界で眠りにつくことが出来そうだった。出来れば初めからそれがしたかったが、中々自分の脳がそれを許してくれないのだった。

 浮遊感を感じて、郁ははっとした。落下感というべきか、エレベーターで目的の階に到達した時に感じるのと同じだった。そこにあるはずのフェンスがいつの間にか、ないのだった。それは何とも非科学的で非現実的な出来事だった。

 郁は叫び声を上げることも出来ないまま、落下した。郁は近くから、叫び声も聞こえないことを、遠くで感じた。

 それが突然の死である、と郁は最期に感じた。何の前兆もないまま、郁はこのまま死ぬのだった。こうなるのなら、屋上に訪れるべきではないのだった。だが、今更後悔しても何もないのだった。何とも理不尽で信じたくないとしても、それが現実だった。受け入れる、受け入れないどうこうもなく、それがそういうものだった。

 何とも神は優しくない。無神論者である、郁はそう呟くしかなかった。それぐらいしか、いうことが出来ないからだった。

 もし、神がいるのなら、と郁は願った。このような死を迎えないようにして欲しい。このようなしょうもないことで、もう死にたくない、と。だが、そのようなことは思うだけでも、無駄なのだった。郁はないものをねだったり、縋ったりはしたくないと思った。

 郁は更に何かを感じることもないまま、意識を失った。



 そして、伊佐郁は死んだ。

 自分が死んだ原因も知らないまま、突然その命を何かに奪われた。



 それは何とも呆気ないのだった。最初から崖の手前にあった小石が、風によって下を落ちるように。


 *


 一人の少年が落ちいていくのを、向かいの建物の屋上から眺めている人がいた。隠れたフードの下では、鋭い犬歯が光っていた。丁度陰に隠れる場所にいたその人物は、その少年の姿を見つめていた。ゆっくりとだが、着実にその体は重力により落下していた。そこには何かが起こる様子もなかった。ただその運命が来るのを待つ。そこに何の面白さもないのだった。

「何だ、ただの勘違いか…何か匂うと思ったのだが。まぁ。それなら、死んでくれ。この世界のために死んでくれ。それぐらいの価値なら、あるかもしれないから」

 と、呟いてから、その人物は振り返ることなく、去った。

 瞬きの後、そこには誰もいなかった。最初からいないように、一つの痕跡さえ残っていなかった。

 その奥では、少年が地面へと真っ先に落ちていた。そして、そのまま散った。それはよく跡を作っていた。そこに誰かが生きていた痕跡を残していた。

 ただまだ、どこからも悲鳴は聞こえてこなかった。誰もがそれに気づいていないように。

 そして、時は進んだ。

 誰もが一度、瞬きをした。それだけで世界は動く。

 その一瞬でも何人もの人が散り、またはこの世に生まれてくる。

 そして、次の瞬間に誰もが死ぬかもしれない。




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