ー対等な立場ー
楽しかった思い出だけを切り取っては何度もリピートする。
九ヶ崎白馬はそうやって自分の心を六年も前からその場所に置いてきてしまった。その先の事を考えると憂鬱になる。高校生となった今でも所詮はその延長ではあるが、あの時の事を思えば大したことではないと感じていた。半ば自分の中では時効となりつつあるあの日の出来事ではあったが、白馬は自分の性分を悟ったのか、本当の意味で心を開くことをしなくなっていた。
白馬にとって芹澤千里は、最も親しい異性だと思っていた。唯一お互いの名前を『呼び捨て』で呼び合う仲。担任の黒木から半ば強制的に割り当てられた劇の実行委員だったが、おかげで最後に千里と親しくなることができたのだと。
しかし、彼女たちの親の都合で姉の千里だけが転校する事になってしまった。その事を知った白馬は、勢いで彼女に告白してしまった事を後悔する結果となった。
とはいえ、六年も経った今では良かったとも思えている。彼女のおかげで白馬は自分の性分を知る事ができたのだから。身の程をわきまえる事は大事だ。
ただ、今でも『白馬』と呼ばれると、片思いだった千里の事を思い出してしまう。出来れば苗字で呼んでほしいものだと感じていた。
「……白馬」
言ったそばから。
声にならない声で呼ばれ、白馬は我に返った。
「白馬、当てられとるよ」
隣の席に座る女子が、白馬を呼んでいた。
六年前の回想から現実へと呼び戻される。ことさらに名前で呼ばれ、はっとする思いだった。
「片桐」
片桐重。彼女は高校一年の後期に転校してきた季節外れの転校生。にもかかわらず、クラスでもまったく目立たないモブ女だ。
しかし、目立たない人にもそれなりに特徴はある。彼女の場合、縁の大きなメガネと切り揃えた前髪、黒髪を赤いリボンで束ねたお団子ヘアーに誰も守らない校内規則を忠実に守っているのか、スカートを膝下まで伸ばしている。少し猫背なのはコンプレックスからか、女子の平均よりは身長が高いからだろう。本人は気がついていないみたいだが、イントネーションが少しなまっている。クラスの中でも彼女ほど地味な女性はいなかった。
しかしそれはモブ男である白馬も同じであり、唯一白馬が対等に接する事ができる女子だと感じていた。初恋相手だった芹澤千里とは似ても似つかない対照的なタイプだが、同じ二年三組のクラスメイトとなった今では彼女こそが最も心が許せる異性となっていた。
「片桐は今日も地味だな」
「余計なお世話よ」
白馬は自分の性分について考える癖がついていた。性分とはすなわち、自分の使命でもある。自分の周りには何故、イケメンが集まるのか。いや、何故か『イケメンとは気が合いやすい』というのが本音だった。生まれ持った『白馬』という名がそうさせているのかもしれない。そのお陰でプリンセス級の美女から話しかけられる事も多いが、彼女達の目的はもうわかっている。
「わかりません」
国語の授業で朗読するようにと当てられた白馬の回答だった。
「その場で立っとれ」
二年三組の担任であり、国語の担当教員でもある萩野ヒトシは白馬に告げた。
片桐は白馬の横で声にならないよう勤めてはいるが、明らかにお腹を抱えて笑っている。
白馬は視界が良くなった所で辺りを見渡すと、先約がいた事に気づく。
冗談じゃないと思った。
先に立たされていたのは鹿野タツロウだった。ああ、またこの流れか。鹿野タツロウは白馬に近づいて来る男子の中では唯一と言えるブサメンだった。彼の魂胆もわかりやすいものだった。
かつて白馬の周りにはイケメンが集まるという噂が女子達の中で流れた事があった。白馬を辿ればイケメンとお近づきになれる。彼女達の合言葉は『射将先馬』だった。
鹿野は逆もまた然りと考えたらしく、白馬の近くにいる事で、イケメンの称号を得ようとして失敗した口だ。その理由は単純明快だった。
鹿野がブサメンだったことはさることながら、彼らの名前もまた原因だったのだろう。
「白馬と鹿野でお馬鹿コンビだな」
萩野は呆れた表情を見せて言った。白馬は内心、『それが言いたいだけだろう』と思っていた。
片桐がいつも以上に笑っていたのは件のコンビが成立した事が原因だったのだろう。
方や『白馬に乗った王寺様』と呼ばれながら、組む相手を誤ると『お馬鹿コンビ』にもなりうる。きらびやかな世界とは雲泥の差ではあるが、白馬は何にでもなれる自分の可能性にもはや根拠のない自信さえ感じるようになっていた。
平凡かつ対等なモブ達の中にいる。その方が自分の性にも合っている。雲泥でも泥にまみれた方が心安らぐ事もあるだろう。
白馬は自分らしくいられる場所を大切にしたいと感じるようになっていたーー。
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