ー芹澤 千里ー
息は白く、外は既に冷たい空気に包まれている。白馬はそろそろ手袋が必要だと感じていた。自身の吐息で両手の暖をとる。
しかし、彼の心は今まででより熱く脈を打っていた。あの芹澤千里のと並んで帰る事ができるなど夢のようだ。彼女は厚手のマフラーに顔を包まれており、いつも以上に小顔が際立っている。艶やかな黒髪も首元のマフラーで軽く絞られ、柔らかな曲線を描いていた。
「ねぇ白馬、もしかして寒いの?」
半歩先を歩いていた千里は歩みを止め白馬に近寄る。彼女は手袋越しではあったが、白馬の両手を包み込んで温めようとしていた。千里の長いまつ毛の一本一本が、見てとれるほどに近い距離。白馬は自身の鼓動が千里に伝わっていないか嬉しさの反面、恥ずかしい気持ちだった。
「ありがとう、千里ちゃん」
「千里でいいよ」
学校では割とクールな千里が屈託ない笑顔を見せる。その笑顔はずるいと白馬は思った。
家までの帰路がもっと長ければ。まさか彼女がここまで積極的な女子だとは思っていなかった。
「千里も笑ったりするんだ」
「え? どういう事?」
「ちゃんと笑ってる顔、初めて見たもん。いつも怒ってるのかと思ってたよ」
「えー! 私普段そんなに怖い顔してた?」
千里は両手で顔を隠して見せた。赤面しているのは寒さのせいばかりではないようだ。
「普段の千里は男嫌いでツンツンしてるイメージだったから」
「あ、いや、そんなつもりはなかったんだけどな」
「天王寺も千里が笑ってる所見た事ないって言ってたよ?」
「天王寺? ……ああ、王子様役のあの子の事?」
白馬は千里の返答に少し驚いていた。学校ではモテ度ナンバーワンの天王寺の認識が、千里の中では薄いとは思えない。ましてやクライマックスともなれば、シンデレラ役の千里と王子様役の天王寺のツーショットのはずだ。
「そう、オレの背中に乗るイケメン」
千里は、再び笑って見せた。道中、劇の話しで盛り上がる。帰路の途中、リスを模した滑り台がある小さな公園でブランコに腰掛け、時がたつのを忘れるまで話し込んでいた。公園の街灯は二人が座る影を色濃く映している。
その脇からもう一つ、別の気配が近づいてきていた。
「白馬にぃ?」
「アユミ⁈」
白馬や千里よりも一回り小柄な少女。白馬の妹、九ヶ崎アユミはバレーボールクラブの練習帰りだった。普段内気の兄が女子と話しをしていることに驚きを隠せないでいる。
千里は立ち上がりお辞儀をして見せた。
「 はじめまして、芹澤千里です」
「は、はじめまして、兄がいつもお世話になっています」
アユミは顔を赤くして言った。
「今日はあと少しだけお兄さんお借りしても?」
「はい、こんな兄でもよければ」
アユミは深くお辞儀をして九ヶ崎家の方角へと走って行った。
「……妹さんだったのね、礼儀正しくてかわいい子。どことなく白馬と似てるし」
「そりゃ、妹だからね」
ーーいくら時間があっても足りない。名残惜しさもあるが、このまま千里を引き止めていては親御さんも心配するだろう。
公園を後にした二人は次の分岐で別々の道だった。歩みが気持ち遅くなる。
しばらくの沈黙の間に、千里の表情が少し曇っている事に気がついた。
やがて千里は話しを切り出す。
「ねぇ、白馬……実は私ね、転校するんだ」
彼女は笑顔を務めていたが、目元は潤んでいた。
白馬の中で時が止まったーー。
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