ー村の娘Bー
室内に鳴り響く電子音は一体いつから鳴っていたのだろうか。
この日も芹澤千夏は少し遅い時間に目を覚ました。アラームをセットした携帯電話を彼女は何度も無意識で止めていた。スヌーズ設定だった事が幸いし、なんとかこの時間に起きる事が出来た。
とはいえ、もはやどんな手段を使っても遅刻は免れない時刻。だからと言って焦って家を出る事もせず、平常運航で学校に行く支度を始めた。
いや、彼女にとってのこの状況が既に平常だった。
「千里姉ったら、なんで起こしてくれないの……」
母が作り置きしてくれていた目玉焼きと食パンを、千夏はこれまたゆっくりと食べ始める。
芹澤家は両親共働きであり、千里と千夏が目を覚ます時刻にはもう家にいない。両親とも、双子の千里と千夏の将来を見越し、教育費と生活費を稼ぐことで手一杯となっていた。監視の目がないのをいいことに、妹の千夏には徐々にルーズな生活が身についていた。
『そういえば昨日、黒木先生がなんか言ってたっけ。今日の朝は遅刻しないようにとか言ってたような……』
まだ目が覚めていないのか、朦朧とする意識の中で、ふと担任の黒木サナエのセリフを思い出した。
「あれ? 確か今日は、劇の配役を決める日だっけ!? あ、しまった!」
急に焦りを見せ始める千夏。
彼女は校内の教員達が皆、頭を抱えるほどワガママな問題児だった。遅刻は当たり前、テストの日は決まって休み。ついでに雨の日もほぼ休みだった。それでも姉の千里と同様に恵まれた容姿だったためか、あるいは彼女固有の社交的な一面からか、同学年に友人は多い方だった。真面目でおとなしい姉の千里とは対を成すように、妹の千夏はマイペースで目立ちたがりだ。当然彼女は劇において、シンデレラ役を志望するだろう。それを見越して黒木は事前に劇のタイトルを千夏に教え、遅刻をしないよう釘を刺しておいたつもりだった。
刺された釘は見事に抜け落ちていたが。
珍しく焦りを見せながら、千夏は教室に到着する。担任の黒木はため息混じりで彼女を向かい入れた。
「残念だけど千夏さん、遅刻したあなたのに残された役は、村の娘Bだけよ?」
「えー!やだー」
「ワガママ言わないの!さぁ席に付きなさい」
ふて腐れる千夏を宥めながら、黒木は彼女を自分の席へと視線で誘導した。千夏は教壇の前を通りながら窓際の席へと足を運ぶ。司会進行を務める姉の千里をジロリと睨むように通過したが、千里は別段気に留める事もなく澄ました顔で劇の本題へと話を戻した。彼女たちは決して仲が悪い訳ではないが、見た目と違って性格の方はまるで正反対だった。
シンデレラと村の娘Bという両極端な配役も、彼女たちの性格の違いを表現しているかのようだったーー。
担任である黒木サナエの気まぐれでやる事に決まった『シンデレラ』の劇。あの日偶然にも日直だった白馬と千里は、劇の発表会、つまりクリスマスまでの間、そのまま実行委員をするようお願いされていた。全体練習が終わると、白馬と千里は教室に誰も残っていない事を確認し、鍵をかけて職員室に持っていく。ここ数週間はそんな毎日の繰り返しだった。
「二人ともお疲れさま。今日はちょっと遅くなっちゃったね」
黒木は鍵を返しに来た白馬と千里に言う。
この日、教室の施錠時刻は十七時を回っていた。秋も終わろうとしているこの季節、外は既に暗くなりつつある。まだ小学生だった白馬と千里にとっては、随分と遅い時間になってしまった。
二人は帰る方角が同じという事もあり、白馬は担任の黒木から『帰り道、何かあった時は男の子が女の子を守るように』と言いつけを受けていた。
とはいえ、女子とどう接したらいいのかわからない白馬にとって、憧れの千里と一緒に帰ること自体、ハードルが高いと感じていた。
「……暗くなっちゃったね」
先に口を開いたのは千里の方だった。
「うん、おまけに肌寒くなってきたし」
千里の問いかけに対し、もっと上手い切り返しが出来ないものかと白馬は少し不甲斐なく感じていた。下駄箱で靴に履き替え、外に出る千里の後を少し間を開けて校門へと向かう。方角が同じとは言え、これまで横に並んで帰った事など一度もなかった。いつも通り一定の距離を空けての下校。この日もそのつもりでいた白馬ではあったが、校門を出てすぐにはっとした。出入り口の表札前で千里が待っていた。
「……ねぇ白馬、今日は一緒に帰ろ?」
千里は少し照れくさそうにこう言ったーー。
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