ー芽生えー
「今年の劇はシンデレラをやります」
当時、白馬たちの担任だった黒木サナエは朝のHRでそう言った。
九ヶ崎白馬、小学五年生の秋の事。
おおよそ二十名前後のクラスメイトが押し詰められたこの五年二組がいつもに増して騒ついている。ちらほらと聞こえる言葉の節々に、当時二十六歳独身だった黒木は、小学生のくせにませていると感じていた。劇のタイトルは強制的に決められたが、これも教育の一環。その後の進行は子供たちに任せるつもりでいた。
その日偶然にも日直だった白馬の隣には、大人の黒木から見ても明らかなほど、将来有望な美しい少女が立っていた。
小学生とは思えないほどの色気あるしっとりとした黒髪が肩下まで伸びている。切り揃えられた前髪からのぞく黒目がちな瞳とナチュラルに整った眉、艶やかで薄紅色の唇が色白な肌の中にアクセントを持たせていた。
「それでは日直の九ヶ崎白馬くんと、芹澤……千里さん? 司会進行をお願いします」
担任の黒木が言葉を詰まらせるのには訳があった。芹澤千里は双子の姉にあたる。同クラスには妹の千夏がいた。二年前に初めて彼女達を担任として受け持った時は、どう区別すればいいのか見当もつかないほどではあったが、第二次性徴期を迎えた今、固有の雰囲気に差が出始めていたため、即答とまではいかないにしても判断できるようになっていた。何より確信を突いたのは、この日も妹の千夏は遅刻のため、まだ学校に来ていなかった事だ。
「そういえば千里さん、妹の千夏さんは?」
黒木はクラスを見渡しては千里に問いかけた。
「声はかけたんですよ。無反応でしたが」
「あら、そう……」
千里の回答に黒木は溜め息混じりに肩を落とす。
白馬は千里を横目に緊張を隠せないでいた。白馬にとっては普段からあまり会話などしたことのない相手ではあるが、昔から気になる存在だった。何よりも彼女が持つ他者とは一線を画すほどの透明感が、かえってその存在感を主張していた。これは妹の千夏にも似つかない千里特有の雰囲気だった。
千里は教壇の横に立ち、黒木が印刷してきたシナリオを眺めている。
「それでは、配役を決めたいと思います」
率先して司会をつとめる千里に、白馬は黒板を前に登場人物名を箇条書きする。
シナリオは黒木により少し加筆されており、配役が皆に回るように、村の娘A/Bなど事細かに割り振られていた。誰がどの役をやるかは、立候補、推薦、場合によっては多数決で決められることになっているが、劇を進める上で重要となるのは当然、本作の主人公である『王子様』と『シンデレラ』を誰がやるかにつきる。本来であればこの配役に一揉めあるのだろうが、白馬のいるクラスは不思議とそうはならなかった。
そう、五年二組には誰もが認める王子様とお姫様が既に存在していたからだ。
『王子様役』には、当時から女子たちの人気を集めていたサッカー部エース、天王寺スグルが推薦され、『シンデレラ役』の討論では満場一致で芹澤千里が推薦された。
「あの、他に誰か立候補者はいませんか?」
千里が困ったような顔を見せて言う。
「シンデレラ役=芹澤千里っと……」
白馬は千里の言葉を聞き入れる間もなく、配役にその名を記入する。
「ねぇ白馬くん、私の話聞いてたかな?」
彼女は妹の千夏とは違い優等生気質ではあるが、決して人前に立つことが好きでは無かった。妹の千夏がこの場にいたのであれば、その配役を辞退した上で妹を推薦したであろう。
その場の空気を察するに、千里に選択の余地は無かった。
白馬が書記をする最中、嫌な予感がしたのは言うまでもない。王子様とシンデレラが決まれば、後はどんな配役でも受け入れるつもりでいたが、この二文字がお前の役はこれだと言わんばかりに主張していた。
そう、五年二組には誰もが認める白馬役が既に存在していた。九ヶ崎白馬は必然、『白馬役』に満場一致で推薦される。
「いやいや、ひねりなさすぎじゃね?」
白馬はあまりにも直接的な配役に反抗的な態度で言った。千里は書記の仕事を放棄した白馬のチョークを奪うと、配役にその名を記入する。
「白馬役=九ヶ崎白馬っと……」
「あの千里さん、オレの話聞いてる?」
普段はあまり笑った表情を見せないクールな千里だったが、この時ばかりは少し笑っているように見えた。この時不本意にも、白馬の心にはっきりとした『ある感情』が芽生えるのを感じていた。
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