風の神子の迷子イベント
「じゃあ、オレの部屋に来るか?」
目的地である書物庫にも入れない。
だが、ハルナの肉体であるラシアレスは、誰もが驚くほど天才的な方向音痴。
それなら、行先は限られてしまうだろう。
「は?」
だが、黒い髪、黒い瞳の美少女は、どこか蔑んだような目でオレを見た。
驚くならともかく、今、その顔は何か違わないか?
「自分で、部屋に戻れないんだろ? しかも、書物庫は先客がいる。ハルナは行き場がなくないか?」
オレは正論を口にすると……。
「いや……でも……」
分かりやすく迷いを見せた。
「どうした?」
迷うってことは嫌じゃないんだよな?
「オオカミの巣穴に飛び込む勇気がなくて……」
自分が狼であることは読まれているらしい。
だが、ここで引く気はない。
「待てこら」
「はい?」
「ハルナ……、お前、オレがいくらなんでも行き場所がなくて、困っている女に手を出すような男に見えるのか?」
そんな単純な男だと思われるのは心外だ。
寧ろ、困っている女に手を貸して、そのまま恩を着せようと思っているようなヤツだぞ。
短期決戦ではなく、長期戦。
大体、このアルズヴェールの身体でできることなんて限られている。
そこで短期決戦を謀ることに何の意味がある?
「困っていると言っても……、たった数時間のことだよ?」
そのたった数時間をこんな場所で過ごす?
それはそれでどうなんだ?
「単純にオレが嫌なの」
「勝手だなあ……」
ハルナは眉を八の字にする。
「良いから、来い」
このままこんな場所で問答していても時間の無駄だと思って、そのまま、ハルナの左手を強引に掴んだ。
細すぎる手首。
それは彼女の本物の手でないことはかなり残酷に思う。
―――― ハルナの本当の手はどんな感触なんだろう?
ここまで細いとは思わないが、オレの手よりはずっと細くて柔らかいとは思う。
ふと、ハルナが笑った気がした。
「どうした?」
「いえいえ、お供しましょう、アルズヴェール」
その笑みに含むものは感じられない。
そして、オレが握った手も振りほどかれることはなかった。
部屋に連れて行ったところで本当に何もする気はない。
肉体的な問題もあるのだが、部屋に戻れば、オレの世話役のロメリアだっているのだ。
本当の意味で、2人きりになれるはずもなかった。
だから、雑談の場がいつもの書物庫から、自分が普段、過ごしている部屋に変わるだけの話だ。
それでも自分が浮足立っていることはよく分かる。
中学生のガキの恋愛か!?
だが――――。
「……おかしい」
少し歩いただけで、その違和感に気付いた。
「へ?」
ハルナは不思議そうにオレを見た。
「部屋の場所が……分からない」
「へ?」
これまでにこんなことは一度もなかった。
何度も書物庫と自室を一人で往復しているのだ。
それも数日ではなく、既に年単位になる。
それなのに、まるで、自分の思考に変な靄がかかったように、部屋までの道順や目印になるものが思い出せなくなっている。
これは一体……。
「と、とりあえず、腕……」
ハルナの戸惑いが伝わってくる。
「あ? ああ、悪い……」
気付かないうちに強く握っていたのか?
思わず、その手を離してしまった。
だが、その瞬間に……、頭の靄が晴れていく。
それまで途切れがちだった記憶が、何かの回路が繋がるかのように次々と、はっきり思い出されていった。
「部屋が分からなくなった?」
ハルナが心配そうにオレを覗き込む。
「…………いや……、これは……?」
今の現象はなんだ?
何故、ハルナの手を握ると記憶が途切れ、それを離すと思い出せるようになったのだ?
「ハルナ、確認するけど、現実のお前はここまで方向音痴だったか?」
「いや、全然」
オレの確認に、ハルナは真顔で即答した。
確かに彼女の言う通りの方向音痴なら、日常生活すらままならないはずだ。
オレもそこは疑問だった。
彼女は普通に会社務めをしていると聞いていたから。
「ゲーム内のラシアレスは?」
「極度の方向音痴設定」
思わず、舌打ちをしてしまった。
そう言えば、少女漫画の主人公もそこそこ方向音痴の設定だった。
だが、ここまで酷くはなかったはずだ。
「つまり、お前にはゲーム補正が働いているってことだ」
「ゲーム補正?」
少女漫画補正なら、ここまで酷くはない。
「ゲームのラシアレス設定に引っ張られているってことだな」
「そうだろうね」
だが、なんでそんな現象が起こり得る?
しかも、先ほどのオレの思考と記憶の断裂。
そんな状態を彼女がずっと体感していたとしたら?
そこに何の意味があるんだ?
「そうなると……、この世界は、ゲームの……? いや……、でも……」
オレはこれまで、この世界をあの少女漫画の過去の世界だとほぼ断定していた。
だが、その根底が覆される。
「ゲーム補正が働いていると何かあるの?」
「ある」
即答する。
「お前の手を握っている間、オレの方向感覚も狂っていた」
「へ?」
「頭の中に靄がかかっているようで、どうも部屋の場所がはっきり思い出せなくなっていたんだよ」
それが単純なゲーム設定ならば、その対象はラシアレスの肉体だけの話だ。
だが、彼女に触れた人まで影響を与えてしまうとなれば、それは単純なゲーム設定だとも割り切ることができなくなる。
少なくとも、そうする必要性は感じないはずだ。
「で、離せば、元通りだ」
彼女の手を離した途端、クリアな思考になった。
「……今は、分かる?」
「ああ、変な方向に来ているけどな」
幸い、見覚えはある。
ここから自分の部屋が分からなくなうほど、オレは方向音痴ではないようだ。
「もう一つ確認」
「ん?」
「ゲーム内のラシアレスは『迷子』に関するイベントはあったか?」
「あった」
やはり、ゲームにそんな話があったのか。
そのイベントを強制的に引き起こそうとして……、ラシアレスの身体そのものにそんな細工をされている可能性がある。
ただ、それは彼女に触れる人間がいなければ気付かないことだ。
世話役は、道案内中に彼女の手を引くことはないだろう。
そして、恐らく、この現象は神たちには起こらない。
人間だけに起こり得るものだと考えられる。
だが、こんな細工をしたやつはどれだけ、大雑把な人間……、いや神だったんだ?
それだけ「神子」に触れる人間はいないという確信か?
「このラシアレスは、ドジっ娘設定からのイベント発生が多かったんだけど……、好感度の確認は、迷子イベントだったんだよね」
「好感度の確認?」
友人などのお助けキャラとかから、「今、キミと一番仲良しなのは……」と言われるやつか?
「うん。プレイヤーとして操作している時、書物庫へ向かう途中で迷子になって、好感度が一番高い神様が助けてくれるというイベントが、不定期に発生していたはずだよ」
今回は書物庫へ向かうわけではないが、確かにその状況が似ている気がする。
いつもは案内役がいるから発生することはなかったが、今はハルナがプレイヤーとして操作しているようなものだ。
それが、たまたまオレが掴んだために、巻き込まれた?
だが……そうなるとその目的は……。
「……なるほど……。じゃあ、この場に相方が現れる可能性があるな」
「へ?」
基本的にオレは「赤イケメン(笑)」と部屋以外で会うことはない。
だが、この世界をその乙女ゲームに見せかけたいのなら、その迷子イベントとやらを再現する可能性は高いだろう。
「その間、オレは少し隠れている」
つまり、オレがいると邪魔だということだ。
「はい?」
ハルナは聞き返す。
「邪魔をするなら、効果的な手段をとる」
「はい!?」
相手がオレの存在を邪魔だと思うのなら、オレだって同じだ。
そして、「邪魔する」なら、相手が油断している時が良い。
そう思って、戸惑ったままのハルナをその場に残して……、オレはすぐ近くの角に身を隠した。
相手は神だ。
ならば、オレを出し抜くことも考えられる。
だが、オレがその場から姿を消すと同時に……。
『おや?』
案の定、そんなすっとぼけた声が聞こえてきやがったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




