火の神子は扉の前で遭遇する
いつものように書物庫に向かった時のことである。
目的地である書物庫の扉の前で、黒い髪の少女がうろうろしていた。
「ラシアレス?」
その人物の姿を確認してその名を呼ぶ。
だが、不思議だ。
時間ぴったりに目的地にたどり着くオレと違って、いつもハルナは先に書物庫に来ているから。
「どうした? 中で待っていないなんて珍しいな」
オレがそう声をかけると、ハルナは自分の口の前に右手の人差し指を立てて、「静かにしろ」のジェスチャーをした。
懐かしいな、この仕草。
ガキの頃に見た覚えがあった。
「どうした?」
オレは再度、小声で確認すると、ハルナは扉の方を見ながら……。
「先客だよ」
同じように小声で答えた。
「先客?」
「現在、書物庫内のイベント中みたい。だから入ると、お邪魔かな」
イベント……?
ああ、ギャルゲーとかにあるようなやつか。
乙女ゲームは主人公とその攻略相手たちの性別が違うだけで、基本的には似たようなシステムらしいからな。
「そんなのがあるのか……」
「『すくみこ!』のプレイヤーには全てあったよ。好感度上昇イベントだからね」
「好感度上昇?」
その言葉から、今、この部屋の中で仲良くしているヤツらがいるらしい。
そのためにハルナは部屋に入ることができず、困っていたようだ。
「濡れ場か?」
他人が立ち寄れるところで、できることなんて限られているのだから、別の場所に行けば良いのに。
私室とかな。
あの「赤イケメン(笑)」によると、まだヤることはできないらしいが、仲良くすることはできるだろう。
そして、接触することは寧ろ、推奨されている。
今回は、その接触の一場面なんだろうな。
「男性向けゲームでも、ある程度、好感度上昇させてから濡れ場に至ると思うのだけど」
どこか呆れたように、ハルナは答えた。
「鬼畜ゲーム系には、そんなイベントないぞ」
導入部からいきなり事に及ぶゲームだってあるらしい。
オレはそちらには手を出していないから、聞きかじりの知識だけどな。
エロ自体は嫌いじゃないが、そのために女を苛めて喜ぶような加虐趣味は持っていない。
「そんな特殊な話を持ち出されても……」
そして、やはり、中身が女性であるハルナには引かれた。
さらにその瞳には蔑んだ色がある。
時々、見せてくれるこの瞳は、妙な癖になりそうで困るが、今回はここが引き際だろう。
「まあ、ハルナをからかうのはこれぐらいにして……、中にいるのは?」
「シルヴィクルと黄羽様」
黄羽?
ああ、相方のことか。
オレは自分の相方を「赤イケメン(笑)」と心の中で呼んでいるからな。
いや、名前を忘れているわけではない。
単純に……、その顔を見ると反射的に「赤イケメン(笑)」という単語が出てくるようになっただけだ。
「好感度上昇イベントって、具体的にはどんなイベントだったんだ?」
オレはハルナや他の神子たちと違って、この世界がその「乙女ゲーム」と一緒だとは思っていない。
そのゲームをやっていないこともあるだろう。
だが、なんとなく気にかかった。
「シルヴィクルと黄羽様なら確か……」
ハルナの話では、プレイヤーキャラではない状態のシルヴィクルは、自信がなく内気なタイプだったそうだ。
「それは中の人間とは真逆だとじゃないのか?」
「今は、ある意味プレイヤーが動かしているのと同じようなものだからね」
なるほど、確かにそうだ。
そして、そのシルヴィクルは、ライバルのヒロインたちの迫力に気圧されていたが、書物庫イベントにて、自信家で誇り高い「黄イケメン(笑)」が現れた時に、「控えめなそなたの内に秘めた向上心は高く評価している」と褒められたらしい。
「そんな言葉で、転がるのか?」
分かりやすい口説き文句だとしか思えない。
「自信を持てない女の子が、自信家の人にそう言われたら多少は喜ぶとは思うよ」
だが、女はそういうのが好きらしい。
そして、そんな女にこの人だけは自分のことを理解してくれている! と、そう思わせることができれば、男側が主導権を握ることができるかもしれないな。
「足りない隙間を何かで埋めて欲しいのが乙女心だから」
ハルナがそう言って笑った。
「ハルナも……、何か足りなかったから、『すくみこ! 』をやっていたのか?」
だから、現実ではなく、「乙女ゲーム」で仮想恋愛を楽しんでいたのか?
「どうだろう? もう10年以上前のことだからねえ。正直、覚えていない。社会に出ると忙しくて余裕がなくなったし」
確かに社会人になれば、オレたちのような学生と違って、ゲームをじっくりやる時間は減るだろう。
今は、スマホで、オートプレイができる放置ゲームも結構増えている。
わざわざ時間をかけてゲームをする必要も減ってきているのだ。
「あんなに……、『すくみこ! 』のことが好きだったはずなのにね」
だけど、そう言ったハルナはどこか、懐かしい日々を思い出すような顔をしていた。
その日々に、オレの存在はない。
それが、なんとなく悔しかった。
「一番好きだった創造神様とのイベントも……、あまりよく覚えていないかも」
「……創造神が好きだったのか?」
それはかなり意外だった。
いや、創造神ってあれだよな?
あの少女漫画に出てきた最も神に詳しい男が、「究極のめんどくさがり」に近い言葉を言うような神だった。
しかも、主人公があの世界に行くことになった遠因も、その創造神だったはずだ。
「この世界の創造神様と違って、『すくみこ! 』の創造神様はもっとやる気に溢れた神様だったよ」
その言葉で、ハルナもある程度、この世界の創造神のやる気のなさを知っているらしい。
「原作の創造神は、基本無関心だが、時々厄介なことを起こす神だったんだよ」
だが、その創造神がいなければ、あの主人公は生まれてすらいないのだ。
その辺り、絶妙なバランスで成り立っているよなと思う。
「しかし、濡れ場中なら、邪魔するのは確かに悪いな」
まあ、こんな場所でデキるのことなど限られている。
せいぜい、口付けて身体を触るぐらいか。
「鉢合わせても気まずくなるから、一度、出直すか」
他人のそんな場面を見せつけられても腹立たしいだけだ。
オレなんか、手を出すこともできないのに。
「それができたら、苦労はない」
だが、ハルナは不機嫌そうな声を出す。
「……まさか、まだ一人で部屋に戻れないのか?」
オレがそう問いかけると、彼女は黙って頷いた。
「ラシアレスは……、救いようがないほどの方向音痴だったからな」
そんな所はあの少女漫画と一緒かよ。
あの主人公は一人で歩くと、迷子になりやすかったのだ。
そして……、その先でトラブルに巻き込まれるところが、序盤のお約束に近かった。
尤も、中盤や終盤は、頼りになる護衛と常に行動していたために、迷子になる場面は減っていたが。
そこまで考えて、オレは、自分の頭を激しく掻いた。
これではこの世界が「乙女ゲーム」の中だと思い込んでいるハルナたちと変わらない。
だが、どこまでも、いつまでも、オレ自身もあの少女漫画とこの世界を同じものだと思い込むことがやめられないのだ。
ここに来て三年だ。
そろそろ完全に別の世界だと思いたいのに、どうしても、あの少女漫画の場面の数々がオレの考えの邪魔をする。
どれだけ、否定しても、否定しても、この世界があの少女漫画の過去の世界だという思考が繰り返され、この頭から抜けてくれないのだ。
これは、何の呪いだ?
だが、今、オレの目の前で、本気で困っている女を見ると、何故か心が落ち着いた。
先ほどまでのイライラしたものが浄化されるような気配。
だから、思わず……。
「じゃあ、オレの部屋に来るか?」
そんな分かりやすい言葉を口にしていた。
……オレも「七色イケメン(笑)」たちのことを笑えないな。
だが、口説くなら直球の方がオレも好きなのだ。
その方がちゃんと伝わるだろう?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




