火の神子は目印を刻み込む
「ハルナもそれが本当の姿か?」
先ほどからずっと、気になっていたことを確認する。
オレは肉体が男になっているし、いろいろと見覚えのある形や特徴と一致しているから間違いないとは思う。
今更、オレの精神を別の男の肉体に放り込む理由もないだろう。
服装だけは、何故か赤のワンピース姿だがな!!
だが、ハルナもそうだとは限らない。
オレはまだ、彼女の本当の姿を見たことがないのだ。
これまで、何度かハルナの背後にそれと似た影を見たことはあるが、それすらも本当の彼女の姿と誰かが保障してくれたわけでもない。
まあ、アレが何の関係もない女の幻とか言われたら、ホラーでしかないのだが。
「顔は確認できないけど、多分……。特徴もあるし」
どうやら、ハルナもはっきりとは言い切れないけれど、元の自分の肉体と何らかの特徴は一致したらしい。
そのことに、彼女に気付かれないよう、胸を撫で下ろす。
「特徴?」
それを自分の知っておきたくて、何の捻りもない言葉を口にする。
もし、それを覚えておくことができたなら……、いつか、何かの役に立つ日が来る気がして。
「左腕に北斗七星」
だけど、オレにとって、不思議なことを口にされた。
あ~、北斗七星ってあれだよな?
北の夜空に浮かぶおおぐま座の一部。
日本人の天体が苦手な人間でも発見しやすいカシオペヤ座やオリオン座と並ぶほど有名な星の並び。
肉眼で北極星を探すのに目印とする人間は多いだろう。
少なくとも、オレは眼鏡をかけた状態なら、北極星よりも先に、北斗七星とカシオペヤ座の方が見つかる。
オレがそう考えていると、白い霧の中から、ぬっと左腕……というより左肘が現れた。
どうやら見ろと言うことらしいが……、一瞬、肘打ちされるかと思って怯む。
先ほどハルナが言ったのはその左腕に北斗七星があるという話だが……どういうことだ?
どこかの世紀末の伝承者のようにそんな傷があるのか?
あれは胸だった気がするが……。
「北斗七星?」
言われるままに、その左腕を恐る恐る確認すると……、ハルナが言いたいことを理解した。
彼女の左腕にそれと思われるような黒子が並んでいたのだ。
「おお!? すっげ~!? マジで北斗七星だ」
感動のあまり思わず、そう叫んだ。
「しかも、ミザールの横にしっかり、アルコルまである……だと? ここまでの拘りはなかなかない!!」
確かに、似たような並びの図はたまにある。
柄杓の形をしていれば、それっぽく見えるからだ。
この再現率は凄すぎる。
しかも、黒子だぞ?
ある意味、自然物だぞ?
「ミザール? アルコル?」
そんなオレの興奮をよそに、ハルナは不思議そうに問いかける。
「北斗七星の二重星……、ここに二つ並んでいる星だよ。柄杓を形成しているのが2等星ミザール。その横に並ぶように見えるのは4等星アルコル」
二重星まで並んでいる図はなかなかないのだ。
そもそも、北斗七星に二重星があること自体、知っている人間が少ないかもしれない。
尤も知っていても、夜空で視力検査にしかならない程度の知識である。
そして、眼鏡を外したオレには……、星そのものが見えないという哀しい現実もある。
ド近眼とはそういうものなのだ。
「詳しいんだね」
「高校の時、天文……、いや、気にするな。たまたまだ」
数年前は、天文部の所属していたのだ。
だが、それを口にするのは憚られた。
天文部は女受けしない。
だから、馬鹿にされるかと思った。
だが……。
「天文学部のある高校だったんだ。凄い!!」
意外にもハルナはそう言ってくれた。
確かに天文部のある高校は現実的には少ない。
そして、野球やサッカー、バスケ、テニス、バレーなどに比べれば、明らかに華は足りないし、イケメンに見える確率も下がる。
「…………誰にも言うなよ」
たまにアニメで可愛い女の子たちがキャッキャウフフするような作品があったとしても、現実世界の天文部は暗いイメージが付きまとうのだ。
少なくとも、オレたちの高校はそうだった。
オタク、根暗、そんなレッテルを貼られていたのだ。
まあ、薄暗い部屋に籠って、星の映像ばかり見ていたら、そんな評価になってしまうことは仕方ない。
目も悪くなった。
だが、一度、プロジェクターを使って、部室一面を星空に変えてみろ。
最初は本当に感動するぞ。
部室の片づけは大変だし、プラネタリウムのように周囲がドーム状になっていないから、星の位置とか大きさ、明るさはどうしてもずれるけどな!!
「なんで? 凄いと思うけど」
「天文学部は根暗なイメージが強いそうだ。それが理由で振られたこともある」
正しくは、それを振る理由にしただけで、実際は、隠れオタクの最愛キャラに投影されていて、そのキャラが途中で死んだらしいことが、オレが振られた理由だと後に知ったのだけど。
「そうかな? ロマンチックだと思うけどね、天文学部」
ハルナはそう言ってくれるが、現実の天文学部を見れば、ただの星オタクたちの集まりだった。
彼女とのデート中に、星の講釈を長々と垂れて振られたヤツもいるほどだ。
まあ、そいつから相談されたことで、調子にのって、いろいろ星の知識を叩き込んだ部長も悪い。
アレはオレたちの高校だけなんだろうな。
いや、あのノリは同志たちにしか分からない楽しさはあったから、オレ自身に後悔もないのだけど。
「少なくとも、今のヒカルをよく知っている人なら『暗い』なんて思うはずもないけど」
「大学で頑張ったからな」
「なるほど」
そこで納得されても困る。
分かりやすく大学デビューというヤツだ。
言葉にすると単純すぎて阿呆らしいとも思う。
だが、オレはできるだけ陰キャから離れたかったのだ。
まあ、始めは慣れないことをしていたために疲労は尽きなかったことは認めよう。
今となっては黒歴史と思われるようなこともある。
それなのに……。
「それなら、それだけ努力してきたことは凄いね」
ハルナはそう言って笑ってくれた。
「努力……?」
だが、オレは首を傾げた。
確かに大学に入りたての頃は、疲労は尽きなかったが、それを努力と言っていいかは疑問が残るところではある。
誰でもできるようなことができなかっただけの話だ。
それは「凄い」と言われるようなほどのことではないと思う。
「慣れないことを頑張って、路線変更したってことでしょう? それって、十分立派に努力だと思うけど」
だけど、ハルナはさらにそう続けてくれる。
「少なくとも、わたしは自分を変えることなんてできないからね」
その言葉には妙な説得力を覚える。
周囲がどんなに言っても、変わらないのだ。
ある程度、自分を曲げた方が生きやすいことは本人も承知している。
だが、それをしない。
勿論、周囲との軋轢を考え、口にせずに黙って我慢することぐらいはするけれど、その本質を変えようとしないのだ。
嫌なものは嫌だ。
できないことに対してできるようにするために時間も努力も惜しむことはしないけれど、納得できないことを強制的にさせようとする相手には決して従わない。
どこまでも我が道を行く誇り高い女。
そして……、どこまでも人を惹き付ける女。
「どうしたの?」
黒い髪が揺れる。
顔ははっきりと見えない。
それでも、その表情は何故か分かる気がした。
もう少し、近付けば……、そう思いかけて、留まる。
今の自分の格好を客観的に見れば……、そんなことはできなかった。
男の身体に女物の赤いワンピース。
それもわざわざオレのために誂えたほどぴったりという嫌がらせのような姿だ。
彼女曰く「ヘンタイ」。
うん、この格好で近付くのは絶対にやめておこう。
ハルナの本当の姿をはっきりと見ることはできないことは残念だが、今は我慢だ。
でも……、何故、彼女の腕の黒子は見えたのだろうか?
そんな細かい部分が見えるほど近付いても、その顔ははっきりとは見えなかったのに、その腕だけはしっかりと見えたのだ。
そこに何かの意図が見え隠れしている気がして……、オレは頭を悩ませるのだった。
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